グルメストアフクシマのブログ

男鹿にある大正七年創業の
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(有)福島肉店スタッフのブログです。

トモスカフェのプリン (TOMOSU CAFE プリンのお話)

2023-02-07 19:59:16 | tomosu cafe

こんにちは グルメストアフクシマの福島智哉です。

今日はTOMOSUCAFEのプリンのお話です。

▲(一人さん撮影 たしか)

トモスのプリンのルーツを辿るときっかけは60年くらい前のお話になります。

プリン自体は京都にある「イノダコーヒ」さんの昔ながらのカスタードプリンを模しており、学生時代、現社長基秋が影響を受けた事に起因します。

ちなみに「イノダコーヒー」と「―」はつかず「コーヒ」です。今では全国のスーパーにもアイスコーヒーや珈琲豆まで販売されておりご存知の方も増えていると思いますが、イノダ本店でのむのがイノダの珈琲なのだ!と僕個人は思います。

▲最近行った時の写真▼

そんな話はまた後述するとしまして…

時は1973年 基秋、大学時代(1973年~1976)を京都で過ごしたのですが、

(左 基秋 料亭こあん さんでのアルバイト時 しょうけんこと萩原健一さん右から二人目と一番右が父の同期の友人、真ん中おかみさん)

(大関のCMで湯豆腐で有名だったこあんさんのところに来た時だったようで、探したらその時のCMもみつけましたhttps://youtu.be/oPCrN4gh2JM)  

当時よく通った喫茶店の一つがこのイノダさんでした。

創業からかわらず現在もネルドリップで本店の方はかつてのレトロな空間をそのまま残していて「ザ昔」を楽しめるお店です。ちなみに当時は、今ほど観光化されておらずまだ街のおっちゃんが通う「地元の喫茶店」だった印象とのことです。

ここに行きたいと思ったきっかけが、高田渡さんの珈琲不唱歌(コーヒーブルース)という曲です。この曲が世に出たのは、1971年5月20日でシングルレコードのB面。ちなみにA面は「自転車に乗って」…このコーヒーブルースの曲で「三条へいかなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」という歌詞があって、イノダの存在を知るのですが、三条には近距離に三条店と本店と二店舗あるのですが、「自転車に乗って」を考えると間違いなく本店なのですわい!

そういうわけで、当時聴いていた音楽の影響もろ受けなミーハー基秋でしたが、プリンの話に行く前に、さらに何故高田渡さんが好きだったかの話をすると…

基秋が小四の頃(1965年)P.P&Mによるボブディランの「風に吹かれて」のカバーを聴いて衝撃をうけた、てところまでさかのぼります。

もし音楽の影響がなければ、プリンも今のお店のスタイルも無かったんじゃないかなーと思うわけです。

話は戻りまして、この、「風に吹かれて」の歌詞を見ながら、その音楽性と主張に驚き、原曲のボブディランって何者なんだ!

と音楽やその精神性を深堀するような感じになっていったそうな。

音楽はもちろんのこと、平和を願った表現やその思想に大きな影響を受けたわけですが、

当時の世界情勢や日本の社会情勢をみるとそこには安保闘争やベトナム戦争に対する文化人や音楽シーンの動きが背景としてあります。

この流れで、反戦活動や平和活動をしている人とつながりの深いシンガーソングライターの高田渡さんのコーヒーブルースを聴いて

歌詞に出てくる「イノダコーヒ」にいつか行ってみようと思ったようです。

それが、1971~2年の頃の話なので、その翌年、京都の大学に進学時、早速イノダに行く事になります。

そして、イノダで出会ったネルドリップの深入りでかつ独自の砂糖とミルク入りのコーヒーに合うイノダのプリンがモデルになっているのであります。

江戸時代から明治期にかけて日本に伝わったシンプルなカスタードプリンをイノダでは創業時から再現してだしているようです。

昔ながらのかたさもありつつなめらかなプリン。

僕ら兄弟は幼少時から毎年家族で京都に旅行に行っていたのですがイノダコーヒ本店は必ず寄っていたのでした。プリン=京都のかほりと当時の思い出。

(南禅寺近くのお宿で泊まって早起きしてイノダのモーニング、父についていったのが今も記憶に残ってます。そういうのが毎年あったなあ、よく連れて行ってくれたもんで今考えるとすごいな。)

そして、うちのお店でも「昔風プリン」という名でイノダのプリンの影響もろ受けなそっくりなものを出していたのでした。

しかしながら、保健所から「菓子製造」の許可なしにはプリンはだせませんとご指摘頂き、(当然ですよね)販売を中止した経緯があります。惣菜の延長というにはアウトゾーン…でも「甘い蒸したまご」という名前ならば当時の話だと惣菜としてもよかったみたいです(笑)

販売期間は5年前後で、その後、しばらく世に出る事はありませんでした。家ではたまに食べてましたが。

…動き出したのは、2019年に化世沢食堂がオープンしたこと。

レオさんの時やバーガー修吾(大橋君)の際に登場させてもらう機会を頂き、そのステップをふんでTOMOSU CAFEでも当店監修ということで、プリンをご用意する運びとなったわけでございます。

 

ルーツを辿っていくと、音楽との出会いやその精神性にきっかけを見出す事もできるのでした。

そういうわけで、美味しいプリンといえば世の中いっぱいありますが、僕個人はなにかと原点回帰のプリンであり、同時に京都に行きたくなるプリンであり、60年代から70年代前半の当時の音楽シーンをイメージするプリンでもあるのでした。

TOMOSUで出す、となった際、レシピはそのままでも使う素材をどうしようか、という所で何度も試行錯誤し、

一度に8種類のプリンを試食する、みたいなのを繰り返しました。同じ分量のレシピでも、使う素材や組み合わせ、カラメルの仕上げ具合で色んなパターンができて、そこから選ぶ作業が必要でした。

そのプロセスは割愛するとして、多くの人がこれだ!と意見の一致した「さっととけるてんさい含蜜糖」を使用した

今のスタイルに決まったのでした。ただ、決め手は船木夫妻&福島家共に全会一致したプリンだったこと。

まだTOMOSUができる前くらいまでは、よく船木家で夜な夜なお酒ものまずに午前様トークをしていたのですが、そういうのも思い出されます。

 

 

ここからはおまけの話ですが、

前述した、高田渡さんは実は船川でライブをしたことがあります。今考えるとめちゃくちゃすごい事です!!!

父が中学二年の時(1969年)、船川第一小学校(まだ現市役所に所在していたころ)の体育館で当時人気のあったフォークグループ「五つの赤い風船」と「岡林信康」さんが来るというライブが予定されていました。

が、丁度それが計画された少し後に、岡林さん失踪してしまい(有名な話ですw)代打で高田渡さんが来ることになったそうです。

ちなみに北島三郎さんのサブロウSHOWや五月みどりさんの演歌コンサート、メキシカンロックの橋幸夫ショウなんかも当時行われたくさんの人が船一に集まったようです。

高田渡さんの話に戻ると

僕は「生活の柄」という曲がすごく好きで

近年だとハンバートハンバートのお二人がカバーしています。https://www.youtube.com/watch?v=qHY1o2fGRWc