「モーゼル河を渡河しメッツ南方から攻撃を加えるためには、以上三ヶ所の道路を通って進撃するしかない。しかし、この地域で包囲攻撃や正面攻撃を行なおうとすれば、特にマンス峡谷が最大の難関となる。したがってドイツ軍防衛線左翼の主要拠点は、マンス峡谷でも浅い部分をはさんで北と南に、ブア・ド・ヴォーとブア・デ・ オグノンの高地上に設置された。アルス・シュール・モゼルの南西約一マイル、ブア・ド・ヴォー高地のモーゼル河寄りの地点には、第一次大戦直前、当時ドイツ領であったメッツ駐留の司令官たちの手で強力な砲兵陣地が築かれており、防御効果をさらに高めている。この陣地は、フランス領となったのちの1919年にドリアン要塞と呼び改められたが、その砲台からは南西部からメッツに近づく敵ばかりでなく、モーゼル河沿いの渓谷をも照準におさめることができるというものであった。」
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「ブア・ド・ヴォーの北と西には、それぞれレゾンヴィル(0407)とマルス・ラ・トゥールというふたつの 村があり、ドイツ防衛線南翼の前哨地点となっていた。これらによってメッツに至る主要路が遮断され、マンス やゴルゼ峡谷を北から南へと抜ける道路も制圧下に置かれたわけである。グラーブロットの外側では、ブア・デ ・ジェニヴォーと森林に縁どられたマンス峡谷とが強固な防衛線を形成し、東側奥深くにあるドイツ軍陣地を覆い隠している。これらの後方陣地は長い尾根の見晴らしのよい頂きに配置されており、その西側の斜面に点在する頑丈な作りの山荘は、その監視哨となっていた。」
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