TOY VOX

管理人VOX6336が昭和レトロな遊びをするだけのブログです。スマートフォンでの閲覧推奨。

ベストプレープロ野球 49

2022-01-09 20:34:49 |  野球ゲーム
「就任して優勝がないまま迎えた四年目の1987年、私は「今年が最後と思って、なりふり構わずやる」と宣言した。誰になんといわれようが、もう自分が思ったようにやるだけだ。」

「その象徴が鹿取、角、サンチェの救援トリオだった。勝ちパターンになったらとにかく、三人を投入して逃げ切るのだ。「角、サンチェ、鹿取」の毎日。」


 これぞ87年の王巨人を象徴する勝利の方程式、「王(ワン)パターン」である。

「いったん必勝パターンができると、接戦を確実にモノにできるようになった。 角は大車輪の活躍で57試合に登板、サンチェは33試合で9セーブ。鹿取はリーグ最多の68試合に登板し、16セーブを挙げてくれた。鹿取は特に肩の出来が早いので助かった。」



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ベストプレープロ野球 48

2022-01-09 06:19:11 |  野球ゲーム
 87年の優勝にいたるまで、世間の風は王に冷たかった。

 まず85年のドラフト。ジャイアンツは巨人入りを熱望する清原を指名すると見られていたが、フタを開けてみれば進学を表明していた桑田を強行指名。これで王は完全に悪者になった。

(補足説明。当時のマスコミは清原に同情的、桑田は悪者扱いだった。)

 86年には自身のホームラン記録にあと1本とせまる阪神バースが4連続で敬遠された。マスコミはこれを「スポーツマンらしからぬ行為」であると批難した。王の釈明は以下のとおり。

「1986年はバースのシーズン本塁打記録を巡る議論もあった。私のシーズン55本の年間本 塁打にあと1本と迫っていたバースに、シーズン最終戦となった試合で巨人投手陣が4四球を与えた。その前の試合で江川が勝負を挑んでいる(結果は2打数1安打1四球)ように、私は「勝負するな」という指示などしていない。走者を出すことは私が一番嫌う負けにつながる。」



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ベストプレープロ野球 47

2022-01-09 04:27:57 |  野球ゲーム
 薗部博之「ベストプレープロ野球(新データ)」(1988年10月、アスキー)をGチームでプレイ。
 選手データは88年シーズン終了時のものである。あまりにも昔すぎて分からないひとが多いと思うので、わが巨人軍の状況を簡単に説明する。

 王貞治は監督に就任して以来3位、3位、2位と優勝をのがし(「ジャイアンツの監督は就任3年以内に優勝しなければならない」というジンクスがあった)、4年目の1987年、ようやくリーグ優勝をはたした。


 以下、王の自伝より抜粋。
「打線は円熟味を増した篠塚が首位打者となり、中畑、原、クロマティーの主軸も3割を打った。六年目の吉村が3割30本塁打86打点と、押しも押されもせぬ看板打者として育った。チーム打率はリーグ断トツの2割8分1厘だった。」

「先発陣の柱には二年目の桑田が座った。15勝6敗、防御率2.17で1位。高卒二年目での成績だから、我々の目に狂いはなかった。開幕から飛び出し、中盤、広島や中日に首位を明け渡したこともあったが、最終的には星野監督率いる中日に8ゲーム差をつけて優勝した。」


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