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ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

5月16日

2025-05-16 11:05:28 | エッセー
 目覚めたのは2時半それからどうしても眠れず、いろいろ考えてしまった。
長い人生を振り返って、自分の本質に目覚めたのは子育てをしていた20代
後半からかも知れない。あの頃は「早く30歳になりたかった」そうなれば
子供達から少し手が離れて、自分の求める何かに邁進できるのではないか
と思った。でもそれを待ちきれず、夫をそそのかして再びソシアルダンス
を始めたのは28歳。まだ幼い子供達を置いて、敷地内に住む夫の両親に
隠れて、毎週3回下北沢のダンス教習所へ通った。
 レッスン時間と車の往復で約1時間少し家を空けたが、それは数年間
続いたが、子供達はきっと淋しかったのだろう。
 それからダンス教師試験を受験し資格を取り、私の人生はガラリと変
わったのは、大家族の軋轢の中で耐えてきた私が、夫の理解を得て行動を
起こしたからだ。

 心理学、カウンセリング、催眠医学、大脳生理学、ヨーガなど、まるで
走っているような毎日の連続だったが、楽しくて、楽しくて仕方なく全く
疲れなかった。どんなに忙しくても、食事は決して手抜きしなかった。
 30歳代の終わりには「自分の情熱のブラックホール」に吸い込まれる
ような」恐怖感すら感じた。でも、「自分自身だけのためならいつ死んでも
良い」と思えるほど、家庭と仕事と勉強の充実した期間だった。

 梅丘北口前のビルに夢のヨーガ教室開催してから、その半年後に四谷
にもヨーガ教室を開き、その1年後梅が丘南口前にダンス、スタジオを
オープンした。その時は地元で商店を経営している、夫が大きくサポート
してくれた。スタッフは26人に膨れ上がっていたが、いつも時代の先取り
したためか、生徒さんはさばききれないほど集まった。

 取材も大変多く、テレビでもヨーガの指導をし、その頃最も売れていた
中央公論社発売「婦人公論」社から執筆依頼があり「ヨーガと心理」と
言うタイトルで1年間連載してから、執筆依頼が増え物書きとしての道が
開けた。折からの出版ブームになり、講演依頼も増えて全国レベルで講演
したが、「リラックスで人生が変わる」同文館書院が、大変売れたためか
ストレスのための講演依頼が多く、一流企業の研修講師にもなった。
 その後ヨーガ、ダンス、心理学など海外での研修も多かった。

そして今・・・私は老いた。気持にそれほど変化はないが、足を傷めて間もなく3カ月治療をしても、まだ時折足を引きずっている。
 12年間の夫の介護を他人は献身的だと言ってくれたが「夫を幸せな状態で
介護できた」のは私の誇りかもしれない。自分の中の情熱との葛藤、何でも
一生懸命、我儘な面をコントロールし、感謝の気持ちも強いと思う。
心の中で様々な感情が交差した真夜中だった。

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