
目覚めたのは2時半それからどうしても眠れず、いろいろ考えてしまった。
長い人生を振り返って、自分の本質に目覚めたのは子育てをしていた20代
後半からかも知れない。あの頃は「早く30歳になりたかった」そうなれば
子供達から少し手が離れて、自分の求める何かに邁進できるのではないか
と思った。でもそれを待ちきれず、夫をそそのかして再びソシアルダンス
を始めたのは28歳。まだ幼い子供達を置いて、敷地内に住む夫の両親に
隠れて、毎週3回下北沢のダンス教習所へ通った。
レッスン時間と車の往復で約1時間少し家を空けたが、それは数年間
続いたが、子供達はきっと淋しかったのだろう。
それからダンス教師試験を受験し資格を取り、私の人生はガラリと変
わったのは、大家族の軋轢の中で耐えてきた私が、夫の理解を得て行動を
起こしたからだ。

心理学、カウンセリング、催眠医学、大脳生理学、ヨーガなど、まるで
走っているような毎日の連続だったが、楽しくて、楽しくて仕方なく全く
疲れなかった。どんなに忙しくても、食事は決して手抜きしなかった。
30歳代の終わりには「自分の情熱のブラックホール」に吸い込まれる
ような」恐怖感すら感じた。でも、「自分自身だけのためならいつ死んでも
良い」と思えるほど、家庭と仕事と勉強の充実した期間だった。

梅丘北口前のビルに夢のヨーガ教室開催してから、その半年後に四谷
にもヨーガ教室を開き、その1年後梅が丘南口前にダンス、スタジオを
オープンした。その時は地元で商店を経営している、夫が大きくサポート
してくれた。スタッフは26人に膨れ上がっていたが、いつも時代の先取り
したためか、生徒さんはさばききれないほど集まった。

取材も大変多く、テレビでもヨーガの指導をし、その頃最も売れていた
中央公論社発売「婦人公論」社から執筆依頼があり「ヨーガと心理」と
言うタイトルで1年間連載してから、執筆依頼が増え物書きとしての道が
開けた。折からの出版ブームになり、講演依頼も増えて全国レベルで講演
したが、「リラックスで人生が変わる」同文館書院が、大変売れたためか
ストレスのための講演依頼が多く、一流企業の研修講師にもなった。
その後ヨーガ、ダンス、心理学など海外での研修も多かった。

そして今・・・私は老いた。気持にそれほど変化はないが、足を傷めて間もなく3カ月治療をしても、まだ時折足を引きずっている。
12年間の夫の介護を他人は献身的だと言ってくれたが「夫を幸せな状態で
介護できた」のは私の誇りかもしれない。自分の中の情熱との葛藤、何でも
一生懸命、我儘な面をコントロールし、感謝の気持ちも強いと思う。
心の中で様々な感情が交差した真夜中だった。
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