そのため私は塩分を少なくし、バランスを考えた家庭料理を、毎日工夫して食べさせ
ましたが、それでもあまり効き目はありませんでした。自営業でいつも家にいた夫は
それ以来お付きあい以外の外食は、只の一度もしたことはありません。
私の仕事がだんだん忙しくなり、そのため、お手伝いさんや、家政婦さん達にお願
いして、毎日きめ細かい献立をつくり、必ず家で食事をしました
私はその頃京都の同志社大学の、西岡一教授に「唾液」についてを伺いたくて、先生
の研究室を訪れたのがご縁で、その頃まだ知られていなかった「食品添加物」の恐ろ
しさについての知識を得ました。それ以来出来合いの物はほとんど食べさせなくなり
より食生活に注意しましたが、それが現在に続いています。
その頃まだ発行したばかりの健康雑誌「壮快」で、漢方薬で病気を無料で治療する
モニターの募集がありました。その中に「高血圧」も入っていたので、夫と相談して
「夫の年齢、環境、毎日の生活状態(その頃は毎朝早朝ジョギングをしていました)
食生活など」の応募要項をはがきに書いて応募しました。すると運よく当選し、半年間
無料で治療を受けられることになったのですが、その条件は夫の状態の変化やその
効果を、壮快誌に掲載するために、 半年間毎月その原稿を書いて送ることでした。
文章を書くのは好きでしたが、そう急激に変化する訳ではありませんので、夫をより
観察しなければなりません。実際に本態性高血圧症の治療を受けている先生に、詳しく
お話しして了承して頂き、漢方薬での治療を受けることになりました。
しかしその状態を書いて送るのは、実は想像以上に大変でしたが、でも、思い出
せば、初めて私の書いた原稿が、6か月間雑誌に掲載されたのです。
また、北里病院で頂いた漢方薬を毎日煎じて飲みながら、夫もときどき北里大学
病院へ通って、有名な藤平先生の診察を受けていました。すると確か4か月目頃から
少しずつ血圧が下がってきました。つまり6か月間漢方薬の治療で、血圧が下がることが
実証され、そのため雑誌「壮快」の企画は大成功でした。半年間のモニター治療が終わり
「それでは漢方薬で治療を続けよう」と決めました。ところが実費での治療は、その頃は
保険が使えないためか、大変高額でしたし、距離的にはそう遠くはないのですが、北里
大学病院の待ち時間が長く(モニターの時は特別扱いでした)商店を経営していた夫に
とって通院は不可能だと判断し、止めたらすぐに元の高血圧に戻ってしまいました。