ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

夫を平均寿命より10年長生きさせたい (2)

2020-01-11 08:22:10 | エッセー

 そのため私は塩分を少なくし、バランスを考えた家庭料理を、毎日工夫して食べさせ

ましたが、それでもあまり効き目はありませんでした。自営業でいつも家にいた夫は

それ以来お付きあい以外の外食は、只の一度もしたことはありません。

私の仕事がだんだん忙しくなり、そのため、お手伝いさんや、家政婦さん達にお願

いして、毎日きめ細かい献立をつくり、必ず家で食事をしました

 私はその頃京都の同志社大学の、西岡一教授に「唾液」についてを伺いたくて、先生

の研究室を訪れたのがご縁で、その頃まだ知られていなかった「食品添加物」の恐ろ

しさについての知識を得ました。それ以来出来合いの物はほとんど食べさせなくなり

より食生活に注意しましたが、それが現在に続いています。

 

 その頃まだ発行したばかりの健康雑誌「壮快」で、漢方薬で病気を無料で治療する

モニターの募集がありました。その中に「高血圧」も入っていたので、夫と相談して

「夫の年齢、環境、毎日の生活状態(その頃は毎朝早朝ジョギングをしていました)

食生活など」の応募要項をはがきに書いて応募しました。すると運よく当選し、半年間

無料で治療を受けられることになったのですが、その条件は夫の状態の変化やその

効果を、壮快誌に掲載するために、 半年間毎月その原稿を書いて送ることでした。

 文章を書くのは好きでしたが、そう急激に変化する訳ではありませんので、夫をより

観察しなければなりません。実際に本態性高血圧症の治療を受けている先生に、詳しく

お話しして了承して頂き、漢方薬での治療を受けることになりました。

しかしその状態を書いて送るのは、実は想像以上に大変でしたが、でも、思い出

せば、初めて私の書いた原稿が、6か月間雑誌に掲載されたのです。

 また、北里病院で頂いた漢方薬を毎日煎じて飲みながら、夫もときどき北里大学

病院へ通って、有名な藤平先生の診察を受けていました。すると確か4か月目頃から

少しずつ血圧が下がってきました。つまり6か月間漢方薬の治療で、血圧が下がることが

実証され、そのため雑誌「壮快」の企画は大成功でした。半年間のモニター治療が終わり

「それでは漢方薬で治療を続けよう」と決めました。ところが実費での治療は、その頃は

保険が使えないためか、大変高額でしたし、距離的にはそう遠くはないのですが、北里

大学病院の待ち時間が長く(モニターの時は特別扱いでした)商店を経営していた夫に

とって通院は不可能だと判断し、止めたらすぐに元の高血圧に戻ってしまいました。

コメント
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