2011年度 20
『一握の砂・悲しき玩具』
石川啄木
新潮文庫
昭和27年
『一握の砂・悲しき玩具』を読む。
これを読みこんな風にまとめられる松岡正剛さんの千夜千冊を読み、また感動。
『一握の砂・悲しき玩具』のごく一部に感情移入したなどと、阿呆なことは書いてられないので、題名の記録のみにて失礼致します。
新潮文庫より ▼
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。
2011年度 19
『中原中也 河上鉄太郎編 詩集』
『中原中也 河上鉄太郎編 詩集』
河上鉄太郎編
角川文庫 1149
昭和43年
『中原中也 河上鉄太郎編 詩集』を読む。
何度か読んだ中原中也の詩。
この年になると詩集を読むのは気恥ずかしいのはなぜ?
小学校高学年と中学の頃、あんなに好きだった詩なのに…。
思えばこんなに遠くまで歩いてきたんだなぁ。
伏見 寺田屋
坂本龍馬さんゆかりの寺田屋を見てきました。
刀傷あとなども残り、ビックリ。
現在の建物は再建されたものだそうです。
壁にかけられた絵や書の掛け軸は見るからに新しい紙に書かれたものやコピーでした。
しかし、日本の歴史の流れを感じ取れる時間を過ごすことができました。
ぼけぼけの写真だけで、今回も説明無しにて失礼申し上げます。
見ていただけましたら、うれしいです。
京都観光NAVIより ▼
寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。
伏見区南浜町263 寺田屋
(写真は 伏見 2011年2月20日)
生麩をお出汁であたためて、からし味噌をかけた懐かしいお料理を頂いた。
美味しかったので、伏見から帰り、京都によって生麩を購入。
帰宅後 ささっとからし味噌をつくり、箸休めとする。
伏見をあるく
水も酒も風景もきれいだったよ
病院も一通りそろい、寺も多い。
美味しそうな和菓子店や料理屋も多い。
和菓子の駿河屋や鳥政の本店もあったよ。
歩いていると水飲み場もあって、ペットボトルを持った人が並んでおられた。
京都市内とは全く違う顔を持った伏見
かって城下町として栄えたんだろうな…
水が美味しくて酒造が盛んで、川を使っての交易が盛んだったんだなって
園児みたいなことを考えながら、てくてくてくてくあるいていた。
2011年2月20日 伏見
イラン ファルス州 スィーバンドの採石場 「ペルセポリスで使われた石の石切り場」
イラン ファルス州 スィーバンドの採石場に行きました。
この採石場はペルセポリスで使われた石切り場です。
ペルセポリスの北方向です。
工事?トラック以外の車は通らない景色の良い山中を随分と進むと石切り場に着きます。
小さく見える人はドライバーです。
石の大きさがおわかりいただけるのではないかと思います。
ダライバーはイランで害のの資格を持つ多ヶ国語を話す方ですが、シーバンドにあるペルセプリスに使え荒れる石の採石場は初めてで、はしゃいでおられました。
奥さんに形の良い石をお土産だといって持って帰られていました。
実はわたしも小さな石をお土産にしていました。
ダライバーの直方体、わたしの選んだものはもっと鋭角な石でした。
お互いの石を見せあって、大笑いしていました。
ここからは写真だけを記録したいと思います。
見ていただけましたらうれしいです。
ペルセポリス
ペルセポリス
見て下さいまして、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
2010年12月 イランにて
イランのシーラーズには遺跡が大変多くあります。
以前から何度も記録していますが、去年の12月にもペルセポリスとナクシェロスタムとナクシェラジャブを見てきました。
ペルセポリスとナクシェロスタムとナクシェラジャブは割合に近く、車なら便利。容易く移動できます。
わたしは2日間 楽しみました。
ナクシェロスタム…ゾロアスター教の関係、
今回はのねずみくんには会ううことができませんでした。
ナクシェロスタム
ナクシェラジャブ…9月には貼ってなかった進入禁止の鎖が12月には新たに設置されていました。
ペルセポリス
ペルセポリス
みなさま
見て下さいまして、ありがとうございました。
お礼申し上げます。
次回はペルセポリスで使われた石の石切り場を記録する予定です。
2011年 12月 イラン シーラーズ近くにて
シーラーズ市内から車で一時間余