乱鳥の書きなぐり

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『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 1 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

2023年02月03日 | 文学入門

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 1 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

 『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章を読む。

 

 深刻な内容にもかかわらず、医者のことばが妙に捌けていると、『明暗』(おそらく1)の感想で書いたが、本書ではそこを詳しく書かれていた。(50)

 

 小林秀雄はかつて、〈患者であること〉について、サルトルの「シチュアシオン」という言葉にふれて次のように述べたことがある。 54

  、、、、、、、、、、小林秀雄「読者 考えるヒント」1959

 

『シチュアシオン』(Situations)とは

 ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集 10巻

 

サルトルとは

 ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル

 1905年6月21日 - 1980年4月15日

 フランスの哲学者、小説家、劇作家。

 内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。

 右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。

 自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物である。

 実存哲学の代表者

『存在と無』などの思想を、小説『嘔吐』、戯曲『出口なし』などで表現した。

 

 

実存哲学とは (旺文社世界史事典 三訂版)

〘名〙 (Existenzphilosophie の訳語)

 合理主義や実証主義に反対して、人間を理性や科学でとらえられない独自な存在とし、この人間の実存の構造と問題性を明らかにしようとする哲学。

 広くはキェルケゴール、ニーチェ、ハイデッガー、ヤスパース、マルセル、サルトルらの哲学を含むが、厳密にはヤスパースの哲学をさす。

 特に、第一次世界大戦以後に盛んになった。

 

ヤスパースとは(ウィキペディア)

 カール・ヤスパース(独: 1883年2月23日 - 1969年2月26日)

 ドイツの哲学者、精神科医であり、実存主義哲学の代表的論者の一人である。

 現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。

『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)などの著書が有名。

 ヤスパースは、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。

     精神病理学者

     哲学者(神学者)

     政治評論家

 

(今思えば、安部公房氏も実存主義的だったなと思う。)

 

 

実存哲学とは (デジタル大辞泉)

 絶望と不安,虚無と不条理にさらされる人間の現実存在を追求する現代哲学 実存は本質に先だつものであり,それゆえ,人間は自己の条件と存在の意味をみきわめ,みずからの力で自己を形成しなければならないとする。

 19世紀にキェルケゴールに始まり,ニーチェをへてヤスパース・ハイデッガーが体系化し,第二次世界大戦中,サルトル・カミュらが発展させた。

 

  小林秀夫

 『明暗』の医者の小林 (津田の学友)55

     友人の小林と医者の小林

     →津田の弱点を知る

      癒す者あるいは害する者

 

「彼の子」と「彼の子」  56-58

  別の女性

 

 

『明暗』の対句的表現は、その文脈に、誇張や滑稽味を伴ったリズムの動因を与えている。67

 

 妻の拒否と夫の冷ややかな反応

 二人の会話を面白く感じ、特にお延の会話が劇中劇のようだという感想を書いていたが、本書では次のように書かれている。

  少々芝居がかっているが、会話場面から、地の文の一部のみ残してほとんど削ったもの。68

 また本書の別のページでは千木のように書かれていたことを思い出す。

  まるでテンポの良い脚本のようで、面白い(要約) (ページ忘れる)

 

 

 メレディス 喜劇作家

『エゴイスト』

メレディスとは

 1785.10.18. 〜1866.1.23.

 イギリスの小説家,詩人。 

 

 

 

 長くなりますので、『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章  2に続く  

  

  

 みなさま

 お越しくださいまして、ありがとうございます。

 

 

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法住寺(三十三間堂近く)身代不動尊 護持会(15景)2013年  /   (2023年 法隆寺の追儺式 鬼追い式は中止)

2023年02月03日 | 神社仏閣・祭り

 

法住寺(三十三間堂近く)身代不動尊 護持会(15景)2013年  / (2023年 法隆寺の追儺式 鬼追い式は中止)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかしこの法隆寺のページを調べると載っていたのかもしれないが、一番に出てくるページには午後七時から鬼追い式が行われると書かれていた。

 

  毎年 2月3日  午後17時30分頃~ 西円堂修二会結願  午前19時~ 追儺式

 

 夕方、私はもう一度ネットで鬼男意識があることを確認。

 万全の寒さ対策を行い、原付で法隆寺へと向かった。

 ところが正門が開いてない。

 人々は口々に話す。

「今日な、ないのでしょか」

と。

「いつもなら、ここが開いてますものね」

と、天気の挨拶くらいの気分で言葉を交わす。

 

「西門に行ってみましょう」

と言い出すご婦人につられ、暗い道をお伴する。

 やはりしまっている。

 子供は

「見たいぃ」

とぐずり出す。

 このお子達、大人の意を汲んで、自分が表に立ってぐずった風を装っている、利口な子供である。

 

 一人の親切なご婦人が、ネットで調べてくださる。

「今日は中止だそうですよ。」

 一巻の終わりである。

 

 ひとり、また一人と人がまばらに集まる。

 真っ暗な法隆寺の西門に、異様に人が集まっているため、西門正面のお宅が明かりを灯してくださる。

 今の私には、眩しすぎると、暗い気分で諦める。

 

 少し気を取り直し始めると、またひとり、真面目そうな男性が話しかけられてきた。

「今日はないのですね、、、」

 残念そうなのが、語尾に現れている。

「どちらからお越しですか?」

の私の声に、男性はすかさず

「大阪からです」

とおっしゃる。

 お気の毒だと、心から思った。

 

 あまりにも残念なので、京都国立博物館近くの道を歩いている時に拝見させていただいた、「身代不動尊 護持会」(2013年)を載せておきたい。

 写真の様子は氏子さんであろうか、民家を回られている。

 長くぱちからを入れてパフォーマンスをされる、見ごたえのある「身代不動尊 護持会」

 この日は博物館と壬生狂言を見に云ったのだが、まさか、「身代不動尊 護持会」を拝見させていただけるとは思わなかった。

「身代不動尊 護持会」の関係者の方々も非常に気持ちの良い方達ばかりで、嬉しそうに見ている私にも快く応対をしてくださったのが印象深い。

 

 みなさま

 いつもありがとうございます^^

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リュックで移動、ワンコ、廣瀬神社に行く。

2023年02月03日 | ヨーキなモモちゃん

 

 

 動物用リュックに入れて、神社に行った。

 注告は貼ってないが、ワンコを連れて境内に入ることはできないので、参道だけを楽しむ。

 

「ももちゃん。ここまでね。」

と言うが、返事はない。

 

 

 参道をひょこまか、我が道を往くもも。

 話しかけても、しんけん。

 それもそのはず、初めての散歩道なので、自分の匂いをつけることに余念がない。

 したがって、写真を取らせることもなく、マイペースに徹していた。

 

 カバンに詰められ、初めての散歩道に連れて行かれた もも

 帰宅後はいつもよりペタペタと甘え、ひっついて眠りこけていました^^

 

 

 みなさま、

 来ていただき、ありがとうございます。

 

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廣瀬神社   奈良県河合村

2023年02月03日 | 神社仏閣・祭り

廣瀬神社

 

 

 主祭神 若宇加能売命(わかうかのめのみこと) 「廣瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)」とも。社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とする。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。(ウィキペディア)

 廣瀬神社の〈砂かけ祭り〉も、その所以の一つであろう。

 

 尚、広瀬神社と龍田大社は互いに『日本書紀』に出てくると云う。日本書紀には、多くの寺や神社のなが出てくるらしい。

 話はそれるが、以前、四天王寺の講座でお話しさせていただいた、九州からみえていた『日本書紀』好きの方(専門家か?)がいらっしゃった。その方は『日本書紀』の素晴らしさを熱くお話しくださっていたが、私はついぞ『日本書紀』に手を伸ばすことはなかった。

「『古事記』は読んだのですが、、」

と申し上げると、その方は苦笑されていた。

『古事記』にしても何がしらの神話にしても、固有名詞を読み飛ばして読まねば読めない私がいる。『所詮そんなものですよ、、』と内心私が苦笑する。

 

  

 

  

 河合村、、、かもしれない。

 とても、のどかだ。

     おーい、誰もいないのかぁ

   (『もこもこもこ』谷川 俊太郎を、思い出す)

 

 

 

 

 廣瀬神社

 奈良県北葛城郡河合町川合

 

 

 みなさま、

 お越しくださいましてありがとうございます。

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