乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

映画『1911』4,6★/5 2011 総監督:ジャッキー・チェン 監督:チャン・リー  /辛亥革命(しんがいかくめい)とは/ 孫文とは

2021-04-30 | 映画

京劇 (北京)

 

 

 映画『1911』4,6★/5 2011 総監督:ジャッキー・チェン 監督:チャン・リー

 

 

 映画『1911』を観た。

 革命に対して、良くも悪しくも私の感想といったものはない。

 ただただ深く受け止め、戦いの悲惨さや歴史の重さに、映画の途中で涙が流れた。

 

 今回も観たという簡単な記録のみにて失礼致します。

 

 

 辛亥革命から100周年を記念する歴史映画であると同時に、ジャッキー・チェンの出演映画約100本目となる作品である。

 

 中国、清代末期から辛亥革命の時代を孫文、黄興が率いる中国同盟会の視点からとらえたストーリー。

 1911年の武昌蜂起から、1912年に孫文が中華民国臨時大総統を辞任するまでの時期、腐敗した清王朝を倒し共和制を樹立する歴史を描く。

 

 

 

 

辛亥革命(しんがいかくめい)

 辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清で発生した共和革命である。

 名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。

 10月に孫文の影響を受けた革命軍が武昌と漢陽を武力制圧し、黎元洪を都督として中華民国軍政府が成立を宣言した。

 清国は革命軍の制圧に失敗し、15省が次々と独立を宣言した。

 1911年12月29日、上海で孫文が中華民国大総統に選出され、1912年2月12日に清最後の皇帝溥儀が退位し、清国は滅亡した。

 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。

 

 

孫 文(そん ぶん 清同治5年10月初6日 - 1925年(民国14年)3月12日)

 孫文は中華民国の政治家、革命家。初代中華民国臨時大総統。

 中国国民党総理。広東省の客家出身。

「中国革命の父」である。

 中華民国では長らく国父と呼ばれ、近年は中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」の「国父」として、再評価が進んでいる。

 中国語圏では孫文よりも孫 中山(そん ちゅうざん)の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。

 1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。

 現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。

 中国国民党では現在も、孫文は「党総理」であると党則第15章で定めている。

 

総監督:ジャッキー・チェン

監督:チャン・リー

撮影監督:ホァン・ウェイ

美術監督:チャオ・ハイ

プロダクション・デザイン:チェン・ミンチョン

アクション指導:ウー・ガン、JCスタントチーム

音楽:ディン・ウェイ

脚本:ワン・シントン、チェン・バオクアン

編集:ヤン・ホンユィ

 

ジャッキー・チェン

ウィンストン・チャオ

リー・ビンビン

フー・ゴージェイ

シー・チェン

ユイ・シャオチュン

ジョアン・チェン

スン・チュン

ジャン・ウー

ニン・チン

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「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛  4,6★/5 小坪 遊著  新潮新書  2020

2021-04-30 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 

「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛  4,6★/5 小坪 遊著  新潮新書  2020

 

 小坪 遊著の『「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛』を読む。

 特に印象に残ったのは、猫の殺傷の話や、池の水を一度抜いた後のテレビ局の話や、「ジビエ拡大、官邸主導で」(当時、菅 義偉氏)

 全て一方向から見ての批判や処置を、著者である小坪 遊著は、多角的に紹介し説明する。

 

 ことりが死にそうだとご子息から相談を受けた時の、子供にも生物にも愛を持って、地球の生物循環輪廻を優しく話された部分にも小坪 遊の人間性を感じる。

 この本は、読むに値する秀作だと感じる。

 

 

 

 

「池の外来種をやっつけろ」「カブトムシの森を再生する」「鳥のヒナを保護したい」――  その善意は、悲劇の始まりかもしれない。人間の自分勝手な愛が暴走することで、  より多くの生き物が死滅に追い込まれ、地域の生態系が脅かされる。さらに恐ろしいのは、  悪質マニアや自称プロの暗躍だ。知られざる〝生き物事件〟の現場に出向いて徹底取材。  人気テレビ番組や報道の盲点にも切り込む。

 

出版社(新潮社)

(目次)
はじめに――生き物ぐせの悪い人

第1章 「元気でね」放った先は深い闇

第2章 生き物ととるべきディスタンス

第3章 「池の水」は何回も抜こう
メディアが伝えるストーリー 「ジビエ拡大、官邸主導で」
ネコは激しく燃える 文春記事への反論 報道を学びのきっかけに

第4章 ダークサイドに堕ちた人たち
いい画(え)を撮るためなら…… 悪質鳥パパラッチ列伝

5章 悪事を取り締まる難しさ

第6章 あれもダメ、これもダメを越えて

おわりに――私の愛も生き物を殺した
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アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

2021-04-30 | 哲学

明恵上人像

 

 

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

 

 アラン『定義集』  P.48より抜粋

 

文明 civilisation

 他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。

 ほとんど考えられないものにする法、慣例、意見、判断の総体。

 例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。

 文明の意味はありふれた道徳が最良というのではなく、ただ、慣習があるモラリストたちの精力的な活動によって変化させられた、ということである。

 従って、我々の西洋文明が戦争を暖和しないこと、政治的熱狂を鎮めないこと、したがって、苦痛がまだ、説得手段として再いうされていることに人々は驚く。

 例えば、都市への空爆によって一国の抵抗を粉砕しながら、政治上の敵を奢(ほふ)りながら、しかし同時に、拷問の古い形を風習の変化によって廃止している。

 全く、当たり前のようにーーー。

 そのことは、文明を判断することのない盲目的慣例として確立するところから出てくる。

 それには利点も確かにあるが、厄介な問題もなくはない。

 

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

 

 

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アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

2021-04-30 | 哲学

 

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。

 

 アラン『定義集』  P.11より抜粋

 

「哲学」という言葉に与えている定義は、それの証明である。

 アランはいう、哲学は「ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。」

        2003年 ロベール・ブルーニュ

     

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

 

 

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アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

2021-04-30 | 哲学

 

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

 

 アラン『定義集』  P.10より抜粋

 モーリス・サヴァンが誠に見事な序の中で、最も重要なことを言っている。

「アランは、本質まで還元された、一つの共通の観念の簡単な提示として、感嘆している。言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。

     

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

 

 

 

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

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