乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『ソクラテスの弁明 クリトン』8 (「敬虔」にまつわる問答。最終的に議論が行き詰まり、ソクラテスが嘆くところで話は終わる。)

2021-04-25 | 哲学

写真は、サルヴェスターン(イランの塩湖の一つ)

 

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』8 (「敬虔」にまつわる問答。最終的に議論が行き詰まり、ソクラテスが嘆くところで話は終わる。

 

『エウテュプロン』とは

『エウテュプロン』(エウテュプローン、希: Εὐθύφρων、英: Euthyphro)

 プラトンの初期対話篇の1つ。副題は「敬虔について」。

 

 敬虔とは

 深く敬って態度をつつしむさま。特に、神仏につつしんで仕えるさま。

 

 

 ソクラテス - 最晩年、70歳。

 エウテゥプロン - アテナイのプロスパルタ区出身の神学者。30-40代。

 

 

 紀元前399年、アテナイのアゴラに面したプリュタネイオン(役所)周辺にて。

 メレトスに「涜神罪」(神を冒涜した罪)で公訴される。

 その予審期間中の聴取のため、宗教犯罪の訴訟審理を行う役職アルコーン・バシレウスがいる、この場所を訪れていたソクラテス。

 ここで エウテュプロンと出くわすところから、話は始まる。

 2人はソクラテスの事情について会話を交わした後、話題はエウテュプロンの話に移る。

 彼が植民地ナクソス島で農業を行っていた際、現地の日雇い人が自分たちの奴隷の一人を殺してしまったため、アテナイの聖法解釈者に扱いを尋ねるべく使いを出した。

 その間、エウテュプロンの父親は日雇い人を縛って溝に放置していたが、まったく世話をしなかったため死なせてしまった、そのため、殺人罪で父親を訴えに来たのだという。

 当人である父や、身内の者たちは、「父親は直接被害者を殺めたわけでもないし、被害者は人殺しでもあるのに、ましてや息子が父親を殺人罪で訴えるなど不敬虔だ」と怒っているらしい。

 エウテュプロン本人は、彼らは敬虔・不敬虔に関する神々の法を知らないと、意に介さない。

 ソクラテスはエウテュプロンが敬虔・不敬虔をそれほど正確に知っているのか尋ねると、エウテュプロンは当然だと応じる。

 こうして「敬虔」にまつわる問答が開始されることになる。

 最終的に議論が行き詰まり、ソクラテスが再度一からの問答を要請するも、エウテュプロンは用事があると帰ってしまい、ソクラテスが嘆くところで話は終わる。

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』7 (『ソクラテスの弁明』では、法廷中のソクラテスの質疑の相手として登場する。)

2021-04-25 | 哲学

写真は東大寺指図堂

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』7 (『ソクラテスの弁明』では、法廷中のソクラテスの質疑の相手として登場する。

 

 

 メレトスとは

 メレトス(メレートス、希: Μέλητος, 英: Meletus、生没年不詳)

 紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけての古代ギリシャのアテナイの詩人。

 哲学者プラトン著

    『ソクラテスの弁明』

    『エウテュプロン』

    『テアイテトス』

によると、

    政治家のアニュトス(英語版)やリュコン(ギリシア語版)

    詩人の代表としてソクラテスを涜神罪(神を冒涜した罪)

で公訴した人物とされる。

 

『エウテュプロン』によると、彼はピットス区出身の無名の若者。

 髪が真っ直ぐで、髭が薄く、鉤(かぎ)鼻といった容姿をしていたという。

『ソクラテスの弁明』では、法廷中のソクラテスの質疑の相手として登場する。 

 

 

 

 

(クリトーン、希: Κρίτων、英: Crito)は、プラトンの初期対話篇の1つであり、『ソクラテスの弁明』の続編。

 そこに登場する人物名でもある。

 副題は「行動(実践)について」(希: Περὶ πρακτέου)

『ソクラテスの弁明』の続編『クリトン』

 

『クリトン』

 ソクラテス - 最晩年、70歳。

 クリトン (クリトーン、希: Κρίτων) - 裕福廉直な農民で、ソクラテスと同じアテナイのアロペケ区出身、同年齢で幼少期よりの友であった。

 容姿端麗な長男クリトブロスがソクラテスの友人(弟子)であったことも、『ソクラテスの弁明』やクセノポンの著作で言及されている。

 対話篇『エウテュデモス』にも話者として登場。

 

 紀元前399年、『ソクラテスの弁明』で描かれた民衆裁判所における死刑判決から約30日後、死刑執行を待つ身であるソクラテスが繋がれたアテナイの牢獄にて。

 夜明けに「死刑執行停止の解除」を意味するデロス島からの聖船の帰還を控えた深夜未明。

 ソクラテスの旧友クリトンが、懇意にしている牢番を通じて牢獄へ侵入、ソクラテスに逃亡の説得をしに来るところから話は始まる。

 最終的にクリトンの説得が失敗に終わる場面までが描かれる。

 

『クリトン』のあらすじ

 クリトンはソクラテス裁判の後、監獄で死刑執行を待つソクラテスに面会し、自分の財産を負担しても救出したいと言って説得するがソクラテスは妥協せずそれを拒絶、国家、法律、美徳について語り合い、最終的にクリトンは説得を諦める。

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』6 (クリトンはソクラテス裁判の後、監獄で死刑執行を待つソクラテスに面会し説得したが、拒絶。結果死刑を受け入れた。)

2021-04-25 | 哲学

写真はトルコ

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』6 (クリトンはソクラテス裁判の後、監獄で死刑執行を待つソクラテスに面会し説得したが、拒絶。結果死刑を受け入れた。

 

 

 クリトンとは

 クリトン

(クリトーン、希: Κρίτων、英: Crito)は、プラトンの初期対話篇の1つであり、『ソクラテスの弁明』の続編。

 そこに登場する人物名でもある。

 副題は「行動(実践)について」(希: Περὶ πρακτέου)

『ソクラテスの弁明』の続編『クリトン』

 

『クリトン』

 ソクラテス - 最晩年、70歳。

 クリトン (クリトーン、希: Κρίτων) - 裕福廉直な農民で、ソクラテスと同じアテナイのアロペケ区出身、同年齢で幼少期よりの友であった。

 容姿端麗な長男クリトブロスがソクラテスの友人(弟子)であったことも、『ソクラテスの弁明』やクセノポンの著作で言及されている。

 対話篇『エウテュデモス』にも話者として登場。

 

 紀元前399年、『ソクラテスの弁明』で描かれた民衆裁判所における死刑判決から約30日後、死刑執行を待つ身であるソクラテスが繋がれたアテナイの牢獄にて。

 夜明けに「死刑執行停止の解除」を意味するデロス島からの聖船の帰還を控えた深夜未明。

 ソクラテスの旧友クリトンが、懇意にしている牢番を通じて牢獄へ侵入、ソクラテスに逃亡の説得をしに来るところから話は始まる。

 最終的にクリトンの説得が失敗に終わる場面までが描かれる。

 

『クリトン』のあらすじ

 クリトンはソクラテス裁判の後、監獄で死刑執行を待つソクラテスに面会し、自分の財産を負担しても救出したいと言って説得するがソクラテスは妥協せずそれを拒絶、国家、法律、美徳について語り合い、最終的にクリトンは説得を諦める。

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『箱入娘面屋人魚』5 (人魚乗り込み、つりぶねの平次 言う「ぬしのくちさき、うり  はりにかゝつちや  あべこべさ」) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

2021-04-25 | 山東京傳

 

   『箱入娘面屋人魚』5 (人魚乗り込み、つりぶねの平次 言う「ぬしのくちさき、うり  はりにかゝつちや  あべこべさ」) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

 

 

『箱入娘面屋人魚』(はこいりむすめめんやにんぎや)

 

 

…つりぶねの平次と

いふものあり…

………

………

あるとき…

かみをみだせし女の

ばけもの、船中にとびこみ

………

………

うらしまと

こいとのなかに

できたる人魚

………

………

………

………

おびれのがくもんじや

ぬしのくちさき、うり

はりにかゝつちや

あべこべさ

 

 

 箱入娘面屋人魚. [上],中,[下] / 京伝 作 ; [歌川豊国] [画]

 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3[1791]

 早稲田大学所蔵

 早稲田大学図書館 (Waseda University Library)

 ヘ13 01961 0035

 

『箱入娘面屋人魚』(はこいりむすめめんやにんぎやう)1  (まじめなる 口上)  山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

『箱入娘面屋(めんや)人魚』2 (『方丈記』引用/ まずなみをふみて) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

『箱入娘面屋(めんや)人魚』3 (うらしま太郎とて、みなさまご覧べしのいろ男あり) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

『箱入娘面屋(めんや)人魚』4 (人げんとうをとの中にできたる子なれバ…いわゆる人魚なるべし) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

『箱入娘面屋人魚』5 (人魚乗り込み、つりぶねの平次 言う「ぬしのくちさき、うり  はりにかゝつちや  あべこべさ」) 山東京傳作 歌川豊国画 通油町(江戸) : 蔦屋, 寛政3  (2枚)

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』5 (クセノポンについて/ クセノポン、ペルシアへ / クセノポン、ペルシアからの帰還とその後)

2021-04-25 | 哲学

写真はイラン

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』5 (クセノポンについて/ クセノポン、ペルシアへ / クセノポン、ペルシアからの帰還とその後

 

 

 クセノポンとは

 クセノポン(クセノポーン、希: Ξενοφών、英: Xenophon、紀元前427年?-紀元前355年?)

 古代ギリシア・アテナイの軍人、哲学者、著述家。アテナイの騎士階級の出身。

 ソクラテスの弟子(友人)の1人。

 クセノフォンとも。

 息子のグリュロスは紀元前362年のマンティネイアの戦いでテーバイの名将エパメイノンダスを討ち取ったといわれる(パウサニアス)。

 

 

 クセノポン、ペルシアへ

「アナバシス」

 セノポンは若いころ、ペルシア王アルタクセルクセス2世の弟キュロスが兄王を打倒すべく雇ったギリシア傭兵に参加した(紀元前401年~紀元前399年)。

 クセノポンがこのことについてソクラテスに相談すると、ソクラテスは「神様にお伺いをたてろ」と言った。

 しかしクセノポンは

「参加するにあたっては、どの神にお供えをすればいいか」

とお伺いをたててしまい、その答えを聞いてしまった。

 クセノポンは参加したくてたまらなかったのであろう。

 ソクラテスはしかたなく

「『参加するにあたっては』、とお伺いを立ててしまった以上、神様にうそはつけない」

として、参加を許したという。

 しかし、このおかげでクセノポンは師の死(紀元前399年)に立ち会うことができなかった。

 傭兵として参加した東征も、キュロスの戦死によって失敗に終わる。

 しかし、雇用主と指揮官の死去によってペルシア帝国の真ん中に放り出された傭兵部隊をまとめ、激しい攻撃や自然の猛威を防ぎながらも敵中を脱することができたのは、クセノポンの名采配あってこそだった。

 

 

 クセノポン、ペルシアからの帰還とその後

『アナバシス』はギリシア傭兵たちがまとめて小アジアに侵攻したスパルタに雇われることで終わる。

 クセノポンは、そのままスパルタ軍の一員として活躍したようである。

 彼の著作『アゲシラオス』を見ると、スパルタ王アゲシラオス2世に心酔していたことが分かる。

 始めは、スパルタ軍と小アジアを支配するペルシア帝国との戦いであったが、ギリシア本土で反スパルタ陣営の反乱が生じ、コリントス戦争が勃発するにあたり、スパルタ軍の一員であるクセノポンも反スパルタ陣営との戦いに突入することになる。

 アテナイも反スパルタ陣営に在ったので、コロネイアの戦いにて、とうとうアテナイ軍を敵にまわして戦うはめになってしまった。

 このため、クセノポンは当時の敵国であったスパルタに加担して、祖国に弓を引いたということで、アテナイを追放される。

 それでも、クセノポンはコリントス戦争をスパルタ側として戦い続けた。

 その功績を讃えられ、アンタルキダスの和約によってコリントス戦争が終結した後に、クセノポンはスパルタからオリュンピア近くのスキルスに荘園をもらって住み、悠々自適の生活を送りつつ、狩猟や著述にいそしんだという。その後情勢が変わってテーバイがスパルタを破ってスキルスを占領したためにクセノポンはスキルスを追われる事になる。

 だが、皮肉にも今度はテーバイの台頭を恐れたアテナイとスパルタが同盟を結んだために、クセノポンはアテナイ追放から解かれた。

 しかし、アテナイに帰国したかどうかは定かではなく、スキルスの次はコリントスに移住し、そこでその生涯を閉じた。

 没年は定かではない。

 

 

ソクラテスの弁明   クセノポン

ソクラテスの弁明   ソクラテス

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』4 (クセノポンのソクラテスの弁明 )

2021-04-25 | 哲学

写真は、イラン

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』4 (クセノポンのソクラテスの弁明

 

 

ソクラテスの弁明   クセノポン

ソクラテスの弁明   ソクラテス

 

ソクラテスの弁明   クセノポンとは

『ソクラテスの弁明』(ソクラテスのべんめい、希: Ἀπολογία Σωκράτους、英: Apology of Socrates)は、クセノポンによるソクラテス関連著作の1つ。

 プラトンの『ソクラテスの弁明』と同じく、ソクラテスの裁判について述べられている。

 単に『弁明』(希: Ἀπολογία、英: Apology)とも云う。

 

 プラトンの『ソクラテスの弁明』のように、「一人語り」(モノローグ)や「対話」(ダイアローグ)のみで描枯れている。

 

 読者をその内容に没入しやすくした形式ではなく、クセノポン自身の「解説」(ナレーション)が加えられ、ヘルモゲネスからの伝聞情報であることを明示する。

『ソクラテスの思い出』と同じく、客観的な記述に努めた形式。

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』3 (プラトンについて ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索)

2021-04-25 | 哲学

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』3 (プラトンについて ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索)

 

 

 プラトンについて 

 プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)

 古代ギリシアの哲学者

     ソクラテスの弟子

     アリストテレスの師

 

 プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流。

 哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた

 

    『ソクラテスの弁明』

    『国家』等

 現存する著作の大半は対話篇という形式を取っいる。

 

 一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。

 

 青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍。

 イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われている。

 

 

 プラトンは、師ソクラテスから問答法(弁証法)(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア))を経ながら、正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学ぶ。

 

 国家公共に携わる政治家を目指していた。

 三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』2 (まず、ソクラテスについて)

2021-04-25 | 哲学

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』2 (まず、ソクラテスについて)

 

 

 ソクラテスについて

 ソクラテス(ソークラテース、英語: Socrates、古代ギリシア語: Σωκράτης Sōkrátēs ギリシア語発音: [sɔːkrátɛːs])

 紀元前470年頃 – 紀元前399年)

 アテネ(英語版)出身の古代ギリシアの哲学者。

 

 西洋哲学の基礎を築いた人物の1人。

 最初の西洋倫理思想の伝統の中の最初の倫理哲学者。

 

 謎めいた人物であり、ソクラテス自身は一切の著述を行わなかった。

 弟子の主に彼の死後に執筆を行った古代の作者たち。

 

 特に彼の弟子のプラトンとクセノフォンの著作を通して知られている。

 

 同年代の他の出典としては、アンティステネス、アリスティッポス、Aeschines of Sphettus(英語版)の著作がある。

 

 劇作家のアリストファネスは、ソクラテスの存命中にソクラテスに言及した演劇を執筆した同年代の主な作家。

 キオス島のイオン(英語版)の断片である『旅行記』(英語: Trabel Journal)

 ソクラテスの若さに関する重要な情報を提供している。

  プラトンの対話篇は、古代から残されたソクラテスに関する最も包括的な著述であり、この著作により、倫理学と認識論の分野でのソクラテスの貢献が知られるようになった。

 

 ソクラテスのアイロニーやソクラテスの対話法、あるいはエレンコス(英語: elenchus、反対論証)を有名にしたのは、このプラトンが描いたソクラテスである。

 

 しかし、実在したソクラテスとプラトンの対話篇でのソクラテスの描写との違いに関しては、疑問が残されている。

 

 ソクラテスは、後代の古代の哲学者たちと現代の哲学者たちに絶大な影響を及ぼした。

 

 芸術、文学、ポピュラーカルチャーの中でのソクラテスの描写により、ソクラテスは西洋哲学の伝統の中で最も広く知られる人物の一人になった。

 

 釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。

 

 四聖人(四聖)とは

 中国の禅仏教の清規(『勅修百丈清規』)では、

     阿弥陀仏

     観世音菩薩

     大勢至菩薩

     大海衆菩薩

を四聖とする。

 12世紀中国の朱熹に由来する儒学の学派、朱子学では、道統の継承者である顔回・曾子・子思・孟子を四聖(四配)とする。

 この四聖は、東アジア各地の孔子廟所蔵の絵画や像に表れている。

 それらの絵画や像では、四人の席次が制度として規定されている(昭穆制度(中国語版))。

 その他、

     釈迦

     イエス

     孔子

     ソクラテス

を四聖とすることもある。

 

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』 1  (まず、ソクラテスの弁明について)   プラトン 著 久保 勉翻訳

2021-04-25 | 哲学

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』1 まず、ソクラテスの弁明とは

 

 

 ソクラテスの弁明とは

 ペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗北後の紀元前404年。

 アテナイでは親スパルタの三十人政権が成立し恐怖政治が行われた。

 

 三十人政権は一年程度の短期間で崩壊した。

 代わって国の主導権を奪還した民主派勢力の中には、ペロポネソス戦争敗戦や三十人政権の惨禍を招いた原因・責任追及の一環として、ソフィスト・哲学者等の「異分子」を糾弾・排除する動きがあった。

 

 ペロポネソス戦争において致命的な働きをしたアルキビアデスや、三十人政権の主導者であったクリティアス等と付き合いがあり、彼らを教育した師であるとみなされていたソクラテスも、その糾弾・排除対象の一人とされた。

 特にソクラテスが「神霊(ダイモニオン)」から諭しを受けていると公言していたことが、「新しい神格を輸入した」との非難の原因となった。

 

 こうしてソクラテスは、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた」としてる。

 紀元前399年初頭に裁判が行われる。

 

 本篇『ソクラテスの弁明』ではその場面を題材とする。

 

 この告発に対し、ソクラテスは全面的に反論。

 いささかの妥協も見せない。

 その結果ソクラテスには死刑が宣告された。

 

 死刑宣告された後のソクラテスは、牢屋に約30日拘留された。

 その後、刑執行によって毒ニンジン杯を飲んで死亡する(参照:『クリトン』『パイドン 』)。

 

 ソクラテスの刑死から6年後の紀元前393年

 ソフィスト・弁論家であるポリュクラテスが、『ソクラテスに対する告発』という、アニュトスの法廷告発文を脚色した作品を発表。

   プラトン 『ソクラテスの弁明』

   クセノポン『ソクラテスの弁明』

   クセノポン『ソクラテスの思い出』

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

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