乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

エジプト人

2013年09月20日 | トルコ・エジプト


    エジプト人     2013年6月21日



 ギザのピラミッドの見える喫茶店で、二人でゆっくりしています☆
 …と言いたいのですが、エジプト人は次々と話しかけてきます。
 ゆっくりとピラミッドを見ながら、ノンアルコールビールを飲むわたくしたち。



 すると、エジプト人は瓶を取り上げて、
「おぉ!
 日本人はこんなの(ビールもどき)を、飲むんだね(お酒が恋しいんだね)
 ^^ ケッケッケッ ケ! お疲れちゃん☆」

のような ノリ。
 エジプト人も、結構 陽気です☆

          (こちらは、ギザピラミッド近くの喫茶店での話)

 

 エジプトはイスラム圏で、(旅行者はある程度許されちゃいますが)アルコールは御法度です。
 ホテルやレストランでは飲むことが出来ますが,町中では見かけません。

 話は飛びますが、ルクソールではリゾートホテルに泊まりました。
 プール付きで、門に出るまでに10分以上はかかるホテルです。
 ホテルをでた道路のこと。
 ホテルのすぐ傍には、その横にちっぽけな雑貨屋さんがあります。
 娘がとことこ歩いて、小半時間かけてお菓子やジュースを購入してきてくれました。

 娘の話のよると…
 その雑貨屋さん曰く、
「ビール、飲みたいでしょう?有るよ☆ 
 店においちゃまずいから、隠しているんだよ。
 見つかっちゃ駄目だよ。捕まっちゃうからね、僕が!
 
 部屋に戻ってきた娘曰く、
       僕が!
 そう、旅行者は アルコールは免罪なのです。

 僕が!
 で笑いの壷にはまり、親子共々中庭を眺めながら 大笑いしたのでした。

          (こちらは、ルクソールでの話)





           どんと はらい
 
 


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砂漠 

2013年09月20日 | トルコ・エジプト


   砂漠
     エジプト
     2013年6月21日
     


 おっぉおー
 砂がさっらっさらの 砂漠
 始めての、さっらっさらさらりん☆だ!

 イランでも多くの砂漠を見たよ。
 ごつごつしたのとか,
 草木がはえてるのとか、
 雨のあとで水がたまった砂漠などなど…

 イランではさらさらの砂漠は非常に少なかったけれど
 エジプトでは,いっぱい見たよ(*^-^*)

 一回だけ、
 娘と さらっさらの砂の上を走り回ったよ☆
 ズックが砂にのめり込んで砂だらけ
 入り込むだよ、砂ってやつは
 どこからとも無く侵入してきて
 毛穴をすみかにして
 皮膚の一部になっちゃうのさ。
 そう
 砂は,生きてるんだ。
 
 運転手に悪いので,車に乗込む時には律儀に靴を脱いで入ったよ。
 運転手もにこやかに
 ‘no problem’

 娘はモロッコのサハラ砂漠で一夜を過ごしたことがあるよ^^
 その夜の訪問者
 砂をカサコソと歩くスカラベを動画に撮ってきたよ。
 何度見ても、めっちゃ!カワイイ
 だけど、エジプトでは見ることが出来なかったよ(涙)
 神様の象徴のひとつになってんだからさぁ
 見たかったよ、スカラベ


 上の写真は,車窓から
 左のカーテンみたいなのは、地図
 あはは
 反射して見えなくってさぁ、何のことだかわかんない写真だねm__m

 道路が砂漠に堂々と胸をはって、立派に通じているんだ。
 これって、イランでもよく見かける光景だよ。
 昔の人は、らくだに身を寄せて,一歩ずつ砂にきしむ思い足を引きずりながら歩いたんだろうか…
 ここでどのような人びとが先を急ぎ、幾人の人びとが苦痛にたえきれず息を引き取ったのだろうか…
 そう思うと、砂漠はよけいに果てしなく広く感じたよ☆


 






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ギザのスフィンクス Sphinx  (6景)2013年6月21日

2013年09月20日 | トルコ・エジプト
      

 ギザのスフィンクス Sphinx
           2013年6月21日
           エジプト


 正面


 横顔


 首が美しい


 何やら涼し気な美しさを醸し出す
 スフィンクス


 スフィンクスの おしり、おいど、おけつ
 医学用語では  臀部(でんぶ)


 確かに
 スフィンクススはピザハットの方を向いていた☆
「わたくし、ダイエット中なのですが,お腹がすきますのよ…。」
 と、怨めしそうにピザ屋を眺める???
 

 スフィンクス(Sphinx)は、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。

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ギザのピラミッド  Great Pyramid of Giza  一回目 (7景)

2013年09月20日 | トルコ・エジプト
(写真上 ガイド説明
 三角に上の部分が崩れて付け加えたのではないそうです。
 下の部分の表面が崩れ落ちて、煉瓦状(切り出した大石)が見えているそうです。)


 ギザのピラミッド  Great Pyramid of Giza
          2013年6月21日
          エジプト
          















 エジプト一日目、少しの時間の隙間でさえもピラミッドが見たいが為に ガイドにお願いする。
 旅行社の答え待つこと,約十分。
 OK! Go~! ☆
 追加金で、ギザのピラミッド45分ほど楽しませて頂いた。
 ラッキ~~ ☆

 予め旅行に組み込んでいたギザのピラミッド観光日と 暴動混乱期のエジプトを考え最終日(自由行動)も旅行会社にお願いし,ここのピラミッドに連れて頂く。
 小学生低学年の頃何度も繰り返し読んだ某bookで夢が広がり、ずっと見たかったピラミッド。
 ギザのピラミッドへは合計三度訪れることが出来て、夢をみているようだ。


 ギザの大ピラミッド(ギザのだいピラミッド、英語: Great Pyramid of Giza)とは、ピラミッド建築の頂点とされる「クフ王のピラミッド」である。
 エジプトのギザに建設された。
 世界の七不思議で唯一現存する建造物である。
 このピラミッドはエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられている。
 完成時の高さ146.6mは、14世紀以降ヨーロッパの教会建築がその高さを超えるまで世界で最も高い建造物であった。
 (ウィキペディア引用)

 




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深川富岡八幡宮の祭礼 & 手古舞

2013年09月20日 | 舞台・音楽 雑感メモ



 9月20日

 1807年(文化4年8月19日)
 永代橋が崩落、深川富岡八幡宮の祭礼に詰め掛けた群衆が大勢巻き込まれ、1,400名もの死者・行方不明者が出た。


 富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。
 別名を「深川八幡」ともいう。

 
 2005深川八幡祭り(2)びしょびしょになってみる!?
 toumorokoshi58さまよりお借りしました

 
 平成13年三社祭 荒れる宮出し
 cg8maktさまよりお借りしました

 祭礼は、毎年8月15日を中心に行われる。深川八幡祭、深川祭とも呼ばれている。
 当社の一の宮神輿は日本最大の神輿とされ、あまりの大きさに1991年(平成3年)に初渡御が行われただけで以後は神輿倉の展示品として扱われている。なお、2008年(平成20年)の連合渡御には、平泉の世界遺産登録を祈念して、平泉の神輿が特別に参加した。
 渡御途中の中央区新川 (永代橋西詰付近) からは厚化粧して日本髪の鬘を被った女性の手古舞が加わる。

 
 手古舞(てこまい)
 tougeoyajiさまよりお借りしました

【手古舞】とは 1
《「梃子前(てこまえ)」からという》江戸の祭礼で余興に行われた舞。
 のち舞は絶え、特殊な男装をした女性が、男髷(おとこまげ)に片肌ぬぎで腹掛け・たっつけ袴(ばかま)・脚絆(きゃはん)などをつけ、紺たび・わらじをはき、花笠を背に掛け、鉄棒(かなぼう)を引き、牡丹(ぼたん)を描いた黒骨の扇を持ってあおぎながら木遣(きや)りなどを歌って、山車(だし)や神輿(みこし)の前を練り歩くもの。
 もとは氏子の娘たち、のちには芸妓などが扮(ふん)した。  (goo辞書より)

【手古舞】とは 2
 手古舞(てこまい)とは、ほんらい山王祭や神田祭を中心とした江戸の祭礼において、山車を警護した鳶職のこと。また、もとは「てこまえ」といった。現在一般には、この「てこまえ」の姿を真似た衣装を着て祭礼その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいう。  (ウィキペディアより)

 鳶職はその名が鳶口を扱うことからきているが、江戸時代にはほかに「てこ」または「てこの者」とも呼ばれていた。
 これは鳶の者が土木作業をする際に、手棍(てこ)を使って木や石を動かしたことによる。

 当時の江戸の町の鳶は、山王・神田の祭礼のときには山車を組み立てその山車を置く山車小屋を建て、さらにその山車を引き回すときには付き添って、木遣を唄いながら警護するのを役目とした。
 このときの山車に付き添う鳶のことを「手棍前」(てこまえ)と呼んだ。「前」というのは、山車の前に立って道を行き警護したことによるという。

「手棍前」は「手古舞」とも書いたが、「舞」というのは当て字らしく、特に祭礼に当たって何か踊るというわけではなかったようである。
 その格好は派手な着付けにたっつけ袴、花笠(またはざんざら笠という菅笠)を用いるというものであるが、袴をはかず着流しで東からげにするというのもあった。

 のちに芸者や氏子町の娘たちがこの「手棍前」の格好を真似て、これも山車の引き回しに付き添うようになった。
 これが現在見られる「手古舞」の起こりである。

 本来の鳶職による「手棍前」の風俗は幕末にはすでに廃れてしまったものらしく、菊池貴一郎著の『江戸府内絵本風俗往来』には、山車を警護する鳶の「手古舞」の姿が揃いの「印袢纏」であると記されている。
 しかし歌舞伎や日本舞踊では今もその姿が残されており、往時を偲ばせるものとなっている。
(ウィキペディアより)  

 日程が現在とずれている。
 旧暦がからんでいるのか…。

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