乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

「被災者のため相撲を」=伊藤理事、場所再開に前向き-大相撲

2011-03-19 | 民俗考・伝承・講演











「被災者のため相撲を」と、伊藤理事は場所再開に前向きなようす。

 被災者に相撲を見せることで社会的責任を果たすべきだ、との見解を示し、

「東北(出身)の力士は多く、避難所のお年寄りが一番楽しみにしているのが相撲」

と話されたと言う。

 以前の問題はどうなったのかなといったような なんだか釈然としない気持ちもないではないが、被災地のお年寄りが少しでもお喜びになられるなら やっちゃって下さいませませ。

 宮田登ほか複数の民俗学者によると、相撲といえば地鎮祭の意味もあるとの事。

 今でも奈良の春日大社 おん祭 後宴祭では相撲が行われる。

 
 

 ウィキペディアによると、地鎮祭とは



 地鎮祭(じちんさい・とこ しずめ の まつり)は、土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式がある。一般には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。
一般には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建築業者・施主の参列の上で執り行う。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ)を立てて祭壇となし、酒・水・米・塩・野菜・魚等の供え物を供える。また、関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もある。祭壇の左右に、緑・黄・赤・白・青の五色絹の幟に榊をつけた「真榊」を立てる場合もある。この五色絹は五行説における天地万物を組成している5つの要素、つまり木・火・土・金・水を表している。


    農業における地鎮祭

 一般的にその土地の神に対して豊作と農作業の際の事故防止を祈願する。春先は主に豊作と無事故祈願、秋口に行われるのは豊作への感謝(不作においては来年の豊作祈願)と無事故(事故が発生した年は来年の無事故祈願)の感謝を捧げている。一般的に農業関係者等が中心となり行われ、これに関しては宗教的行事というよりも地域の安全祈願も含まれている為に例え「仏教徒」だろうが「キリスト教徒」だろうが宗派関係なく参列するのが一般的であり、例え普段宗教行事に厳しい考えを持つ者もこの行事には関係なく出席している事が多い。会場には町内会館に隣接した社(管理は町内会)や岩にしめ縄を締めた場所等で行われ、その場所には幟が立てられる。


    仏教における地鎮祭

 仏教では、地鎮法、鎮宅法(じちん、ちんたく・ほう)、安鎮法(あんちんほう、安鎮国家不動法の略)、地天供(じてんく)、あるいは俗に地祭り、地堅めの法などともいう。密教の場合は不動明王を本尊として行う鎮宅不動法という儀式があり、堂宇や仏塔、墓碑を建立する前にその土地を結界して、地天を本尊・中心として諸天の天神や、横死した霊魂なども含めて、それらを供養し鎮霊して、永久に障難が及ばないように修する。
堂宇などの場合、まだ板敷きを敷かずに土壇を鎮める修法を鎮壇法といい、地鎮と鎮壇を個別に修する。なお略式で同時に修する場合もある。壇の中央に五宝や七宝をなどを入れた賢瓶を埋めて、鎮石と呼ばれる平らな石を置き、再建する場合も決して動かさない。八方に輪や橛(くい)、五玉を埋める。
日蓮正宗でも「起工式」という形で行われ、本尊の力で土地を清め、工事の安全を祈願する意味合いがある。敷地中央に祭壇を組み、寺院の常住本尊を掲げて住職の導師により読経・唱題の上、鍬入れの儀式が行われる



 

 地鎮祭 や問答の意味合いのある相撲。

 お年寄りの楽しみに加え、ここはひとまず相撲八百長問題などはうっちゃっておくんなさいまし。

 相撲は皆目わからないわたくしですが、



    一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。



 





 時事通信 3月18日(金)23時7分配信より ▼

「被災者のため相撲を」=伊藤理事、場所再開に前向き-大相撲


 日本相撲協会の伊藤滋外部理事(早稲田大特命教授)は18日、本場所の再開に向け積極的な意向を明らかにした。この日、報道陣から夏場所開催に関する理事としての考えを問われ、「相撲協会は何らかの形で(東日本大震災の被災者の期待に)応えなければならない。本場所かどうかは分からないが、巡業でも」と述べた。
 伊藤理事は私見と前置きした上で、相撲協会は八百長問題を抱えているが、被災者に相撲を見せることで社会的責任を果たすべきだ、との見解を示し、「東北(出身)の力士は多く、避難所のお年寄りが一番楽しみにしているのが相撲」と話した。




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とり  (6枚)

2011-03-19 | お出かけ






                とり





























 ぼくはとりです。

 トモエガモ かな

 ヨシガモ かも

 名前はわかりません。

 僕の衣装って、きれいでしょう……。

 

 そういうとこのブログを立ち上げた頃

 toriって言うカテゴリーがありました

 パンっていうのもありました

 なつかしいなぁ。



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カラス  (5枚)

2011-03-19 | お出かけ


             カラス








   世界各地で太陽の使いや神の使いという神話や伝承がある

   日本でも、カラスは古来、吉兆を示す鳥

   神武天皇の東征の際、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明を掲げ導いたという神話が残る。
























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35; 「古今和歌集」より 巻第十 物名 日本古典文学大系8 岩波文庫

2011-03-19 | 和歌、短歌



 三月初めに読んだ本の記録を、忘れない間に記録しておきたいと思います。





35; 「古今和歌集」より 巻第十 物名 日本古典文学大系8 岩波文庫





「古今和歌集」より 巻第十 物名

 日本古典文学大系8

 岩波文庫






 前回読んだ王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』の中に「物名」(もののな)について詳しく書かれていたので、読む。

 わたくしこういったことば遊びは好き。

 読むとなるほど、みごとに名詞(物名)が組み込まれている。

 ただ、一首だけは単なる掛詞に思え、これがなぜ「物名」に入るのか何度読んでもわからないものがあった。

 頭注でも、「これは物名らしくない」と説明され、納得した。




 心に残る歌がいくつかあった。

  423、424,427,431,437、460、465

 
「物名」の中で感心したものは複数あったが、「ほととぎす」を「来べきほど時すぎ」と見事に織り込み、ほととぎすの声さえ聴こえてきそうな 藤原としゆきの朝臣(藤原 敏行=歌人、書家。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔)の歌と、しげはる(在原滋春=業平(なりひら)の第2子)の歌一首を ここでは記録しておこうと思う。  




 



        ほとゝぎす     藤原としゆきの朝臣

 423  くべきほどときすぎぬれや まちわびてなきなるこゑの人をとよむる


 


        すみながし     しげはる

 
 465  春霞なかしかよひぢなかりせば 秋くるかりほからざらまし
       中也
       なかしか
        非長非汝







 何かお気づきの点などがございましたら、お教えいただけましたら嬉しいです。


 最後までおつきあい下さいましてありがとうございました。

 こころより感謝しています。









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34; 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』 藤岡忠美著  集英社 1985年

2011-03-19 | 紀貫之


三月初めに読んだ本の記録を、忘れない間に記録しておきたいと思います。


34; 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』 藤岡忠美著  集英社 1985年





 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』

 藤岡 忠美 著

 藤岡忠美(ふじおか ただはる)
 1926年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。北海道大学助教授、神戸大学教授、
 昭和女子大学教授を経て、現在、神戸大学名誉教授。平安朝文学専攻。著書に、
『平安和歌史論』『和泉式部日記』『伊勢物語・竹取物語』『袋草紙』『躬恒集注釈』
『忠岑集注釈』『平安朝和歌――読解と試論』などがある


 集英社

 1985年07月

 252P 1,682円







 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』を読了。

『歌ことばを創る 紀貫之』は 竹西 寛子著の 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』との重複が多々ある。

 出版は『歌ことばを創る 紀貫之』は1985年、同時代ライブラリーの『古今和歌集』は1997年。

『歌ことばを創る 紀貫之』では『古今和歌集』に加え、『土佐日記』まで入る。




 本書で、貫之がなぜ『土佐日記』を書いたか、どのような状態で記したかがうすぼんやりとわかる。
 この本の半ばで藤原忠房や他との親密な歌のやり取りによって、思わぬ方向に事を知る。(139、140、187 他)

 子どもの会社帰宅後、声を出し読む。

 彼女も、事の深層にほくそ笑む。



 上に関係あるが、『土佐日記』の女装文学について割合詳しく書かれていた。

 よくいわれている言葉遊びの物名歌や滑稽な俳諧歌の世界に近い旨、貫之の得意とすると 著者はくくられる。

 また地域の古典講座でも何度も聞いたが、この本でも 一月十三日の入浴描写など、女装文学がばれていると記されている。

 藤岡忠美氏は こういった卑猥なジョークを漏らし、読者を笑わせようとした作者の手の込んだ趣向とまとめられている。



『土佐日記』は儀礼と内心、建前と本音、精神と物品などといった対立をとらえ、揶揄と風刺を働かせて、言葉の洒落をからませていきいきとえがいていくところに作者の本領があった。(212)



『歌ことばを創る 紀貫之』始まってすぐに 貫之の名前に着いてく詳しく書かれていた。

 なるほどと読み進むうちに、貫之は貫く云々と書かれていた。

 先日このブログで『古今和歌集 春 紀貫之のみ』を終え次に何に仕様かと阿呆なことを書いていた。
 
 その際、「貫之で貫き通す」と駄洒落のつもりで書いた。

 間違い。そのままだったと本書で気づかされる。

 無知とは楽しいものだと笑いでごまかしながら、赤面する。

 

『古今和歌集』では気になる歌が多くあったがここではほとんどを省略。



 ことばと幻想(121)での「眼前の景物から連想を展開し、見えない世界へ幻想をうたう」「嘆美と理知とをひとつにした体」とした下の歌は興味深い。


      吹くかぜと谷の水としなかリせばみ山がくれの鼻を見ましや  (春下)



   似

        春立ける日詠める

      袖ひちて結び清水の氷(こも)れるを春たつ今日のかぜやとくらむ  (春上)


        山寺に詣でたりけるに詠める

      宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにもはなぞ散りける  (春下)


        秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遥 (かはせうえう)しける供にまかりて詠める

      河風の涼しくもあるかうち寄する波とともにはや秋はたつらむ  (秋上)

   







 気になる事が他にも多くありましたが、長くなりますのでこのへんで終わります。


 記録におつきあい下さいましてありがとうございました。

 心よりお礼申しあげます。




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33; 『武者小路実篤集』から「わしも知らない」「人間万歳」 武者小路実篤 日本文学全集23 集英社

2011-03-19 | 読書全般(古典など以外の一般書)








33; 『武者小路実篤集』から「わしも知らない」「人間万歳」 武者小路実篤 日本文学全集23 集英社 昭和46年





 日本文学全集 23

 集英社

 武者小路実篤

 昭和46年初版 昭和51年7版


「わしも知らない」(47-59)

「人間万歳」   (251-293)

 昭和46年初版 昭和51年7版




 武者小路実篤はリンドグレーンの次に好きになった作家かも知れない。

 十代前半に読んだ武者小路実篤の小説や詩だが、なぜ好きになったのだろうと気になっていた。

 この度ふと思いだし、手にとってみる。

 今の気持ちにあった詩もあった。

「わしも知らない」「人間万歳」を読む。

「人間万歳」は簡単な言葉で、人間社会が痛烈におかしく描かれている。

 これなら十歳そこそこでの子でも、好きになるでしょう…と、納得。

 小学生から中学生にかけて 星新一やマンボウや狐狸庵、詩では朔太郎や光太郎に流れるのもごく自然。

 わたしってミーハーな普通の少女だったんだとあらためて感じた。







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32; 『節約の王道』林望 日経プレミアシリーズ011

2011-03-19 | 読書全般(古典など以外の一般書)







三月初めに読んだ本の記録を、忘れない間に記録しておきたいと思います。




32; 『節約の王道』林望 日経プレミアシリーズ011





 林望

 日経プレミアシリーズ 011

 2010年5月

 222ページ 780円



 納得部分とそうでもない部分があるが、「時間」に対する感覚には大きくうなずく。

 一方向からの思い込み部分は別として、家庭や奥方に対する思いやりに、人の温かみを感じる。


【自慢するわけではありませんが、わたしと同い年で六十歳になるわたしの妻は、今でも非情に若々しくて、「せいぜい五十歳くらいにしか見えない」……普段全く化粧もしてないし、……まだどこか女学生のような雰囲気を漂わせています。体型もすらっとスレンダーで………。(211)】

 読者が読んでいてこっぱずかしくなるような上のような台詞をさらりと書ける著者って うふふ。うらやましいようなうらやましくないような…。

 なんだか複雑な気持ちのまま、詠み終えてしまったのでした。ちゃんちゃん





 今回は記録のみにて失礼申し上げます。
 







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