内面に向かっては「深めていく」努力を、社会に対しては「開いていく」努力を。
大切なことは、表層に惑わされるのではなく、深層の本質へと直接に挑み続けること。
愛や調和とは、すべてを対象として使われる言葉であるからこそ、自分が嫌いなもの、苦手なものにこそ、自分が学ぶべきことがある。
そことの調和を図るからこそ、愛や調和という美しい言葉を発することが許される。
自分は、愛や調和という言葉を不適切に使用して、穢したくはない。
なぜなら、そこには先人の人生が重層的に込められていて、言葉には歴史があり、常に成長して生きていると感じるからだ。
自分はからだの専門家だから、あたま由来のことばが嘘をついていてもすぐにわかる。
なぜなら、からだ全体は素直にしか表現できないからだ。
からだは嘘をつくことができないし嘘をつく必要もない。もちろん、その程度を超えたときに、からだは壊れる。
ただ、だからこそ、そのひとのあたまがなぜ嘘を発する必要があったのかを深く考える。
相手に、それは嘘だ、と、指摘することはしない。
なぜなら、その人にとって何か大切なものを守ろうとして、あたまは嘘をついたのだと、自分は考えるから。
すべては、きっとその人にとっての何か真実を表現している一端であるはずだから。
その人が守ろうとしたものは何だろうかと、思いをはせる。
そこまでして嘘をついた理由はなんだろうか。
そこまでして守ろうとした大切なものはなんだろうか。
永遠に守られている場所。
そこに、魂の逆説的な本質がある。
大切なことは、表層に惑わされるのではなく、深層の本質へと直接に挑み続けること。
愛や調和とは、すべてを対象として使われる言葉であるからこそ、自分が嫌いなもの、苦手なものにこそ、自分が学ぶべきことがある。
そことの調和を図るからこそ、愛や調和という美しい言葉を発することが許される。
自分は、愛や調和という言葉を不適切に使用して、穢したくはない。
なぜなら、そこには先人の人生が重層的に込められていて、言葉には歴史があり、常に成長して生きていると感じるからだ。
自分はからだの専門家だから、あたま由来のことばが嘘をついていてもすぐにわかる。
なぜなら、からだ全体は素直にしか表現できないからだ。
からだは嘘をつくことができないし嘘をつく必要もない。もちろん、その程度を超えたときに、からだは壊れる。
ただ、だからこそ、そのひとのあたまがなぜ嘘を発する必要があったのかを深く考える。
相手に、それは嘘だ、と、指摘することはしない。
なぜなら、その人にとって何か大切なものを守ろうとして、あたまは嘘をついたのだと、自分は考えるから。
すべては、きっとその人にとっての何か真実を表現している一端であるはずだから。
その人が守ろうとしたものは何だろうかと、思いをはせる。
そこまでして嘘をついた理由はなんだろうか。
そこまでして守ろうとした大切なものはなんだろうか。
永遠に守られている場所。
そこに、魂の逆説的な本質がある。
あるね。
イナバさんがただ生きてるだけでけっこうな奇跡だから
このブログが読めるのはありがたいことです。
(^O^)
いつも見て頂きありがとうございます!(^^