
(写真は2014年に伺った、熊本、幣立神宮の写真です)
自分の愛する故郷熊本が大変だからこそ、自分は自分なりにできることをやる。
自分は熊本で生まれたし、自分の両親から生まれた。
いのちを生み出した存在に、感謝の気持ちを忘れたことはない。
熊本も両親も、その存在がなければ自分という存在はこの宇宙には存在しえない。
苦しみも悩みも悲しみも、生きていればこそ。
いのちを生み出したあらゆる存在に対して、その恩を忘れたことはない。
アドラ―は<課題の分離>と言った。
<それは誰の課題なのか>ということ。
その決め手は、<結果の責任はだれが引き受けるのか>という点。
自分が引き受けるべき問題こそが、自分の課題となる。
果たして、今の自分の課題は何か?
いま熊本では困っている人がたくさんいる。
現地では多くの人が懸命に働いているだろう。
今はそうして現場の人たちの邪魔をしないよう、自分は黒子に徹してサポートできることを考え抜く。
黒子は、いい血液を循環させる存在として重要な役割を果たすはずだから。
それぞれやることは異なる。そのために多様なのだ。
何かをする役割の人もいれば、何もしない役割の人もいる。
いま何もしない役割の人は、長期的な役割として、考える時間を与えられている。
今行動している人が疲れた時に、バトンを受け取るために。
■
自分は未来の医療を立体的に研究する準備会を実験的に立ち上げたのだが、それは縦のヒエラルキー組織を作りたいのではなかった。それは一つの芸術運動のようなものであり、一陣の風のように空間の換気を促すものであり、再統合の狼煙や花火や合図のようなものであった。
そのきっかけは、東北の震災だった。
あの時、自分には自分なりの課題が降ってきて、毎週末東北に通っていたのだった。
そのときは地震だけではなく、津波と原発の問題も複合的に重なり、土地は人災でも汚された。
それはまるで自分の体が汚されたかのような身体感覚を伴ったものだった。
水俣病という事件で、自然という神が人災で汚されたことに戦慄を覚え、そのことが医師を志す遠因になっていることとも関係している。
いづれにせよ、色々な方向からの命を受け、自分は東北の震災の後、原発で大変な地になった最深部にまで通い続けたのだった。
○3.11 4年 春分の日(2015-03-21)
○3.11 4年(2015-03-12)
○3年後(2014-03-13)
○ふくしま(2013-09-04)
○2年後(2013-03-13)
○ふくしま 川内村(2012-02-06)
○いま考えていること(2011-03-31)
そのときの体験で今の医学システムが無力で無責任なことを痛感し、今後このままでは持続できないことを、身体感覚でつきつけられた。
どんな状況でもサバイバルな状況でもベストを尽くせる医療。
それは自分が山岳医療の中で、自然の中で行っていた医療の根本にあるものだった。
自分の立場でできることを、、、と考えて、色々と行動にうつった。
当時、東北の現状を見て、九州に帰ったとき、九州はほとんど何の影響も受けていないことに驚いた。
電気は煌々とついていて、変わらない日常が九州では続いていた。
そのとき、日本という国土の広さを感じた。
ただ、今は自分の故郷の熊本が震源地になっている。
■
熊本から大分にまたがる今回の大地震(2016年(平成28年)4月14日21時26分)では、一部はライフラインも絶たれ、壊滅した家も多く、今でも大変な状況になっている。
1週間が経過し、なかなかブログもかけないでいた。
考えるべきものに、急性期と慢性期とがある。
急性期では、現時点でできることのベストを尽くす。
まず生きてこそ。
いのちを維持するために、食べ物や水、雨や寒さを防ぐ空間、排せつ物の処理、寝るための空間、心理的な安全や安心、、、、その確保が急性期は極めて必要だ。
そういう時は迅速に動く。一秒も無駄にできない。
同時に、慢性期のことも考え続ける。
長期的な体や心への影響も考える必要がある。
いま、とても元気な人も、急性期の心の適応の可能性がある。
すこし時間が経った時の逆側に揺れる反動も同時にケアする必要がある。
体や心はその時点でのベストを尽くすが(なぜなら、体には未来や過去という時間感覚は存在しない)、ベストを尽くす急性期の反応が長期的には悪い影響を与えることもあり、それは各自が調整をいないといけないものなのだ。
天災は、今後も日本中、世界中で起きてしまうだろう。
それは過去もそうだったし、今も現実にそうだし、未来もそうだろう。
東京に住んでいる自分も他人ごとではない。
いのちが動いているように、地球も自然も動き続けているから。
社会は自然の一部として存在しているので、自然界の動きの中で、柔軟に対応できるものを、同じ地球空間を共有するみんなで作り上げていく必要がある。
■
ひとのくらしは衣食住と言われるように、生きている存在にとって衣食住は重要なものだ。
着ている衣(裸では人は生きることができない)、食べているもの(固体食と液体食が体を構成する。気体食の空気も必要。)、住んでいる空間(皮膚は常に空間と交信し、多大な影響を受けている。)というものが、人の心や体に24時間影響を与え続けている。
それは医療でも意外に盲点になる点だ。
暮らし(衣食住)をベースにしながら、そこに医療がどう補完的に協力できるかを考えている。
それは医療の問題でありながら、未来の社会の提案でもある。
今は経済がすべての機動力になっているが、それはここ数百年のものだろう。別の観点で社会を再構成していく時代に来ている。
人々が日々を健康で笑顔で暮らせる社会づくりを。
医療もそれをサポートする役目がある。
江戸時代の安定期を経て、世界の植民地支配合戦の巻き込まれる形で開国を経て、明治維新や第二次世界大戦などを経た。
そこでシステムは仮に作られた。
それは時代の必然であり、あらゆるパワーバランスとパラメーターの中での最適化されたものが出来上がったのだと思う。
ただ、そろそろ、システムは時の洗礼を受けて限界になっていて、新しい時代の養分を受けて再創造される時期に来ているのだと思う。時代とともに更新されていくものだ。
■
坂口恭平君という、熊本高校時代の同級生がいる.
作家,芸術家,建築家,音楽家...あらゆる顔を持つ,熊本が誇るべき正真正銘の尊敬する天才.
○「坂口恭平 躁鬱日記」(2013-12-13)
坂口君は本当に未来と過去から現代に滲み出してやってきたような存在だ.
彼の熊本からの移動の軌跡を書いたテキストは,未来の社会を考えるときにとても示唆的だ.
非常時に,ほんとうに大切なものがあぶりだされる.
坂口君が抜けた道の,熊本金峰山の修験の道は,自分も小学生の頃から遊んだゾーンなのでよくわかる.(このゾーンにある霊巌洞で,晩年の宮本武蔵は『五輪の書』を書いた)
いま安全な土地にいる人は,未来の社会のありかたを,常識にとらわれず自由に思考し続ける役割があるのだと思う.
それは,生きているからこそできる重要な使命.
Web版現代ビジネス 賢者の知恵 2016/4/20
必読.
○坂口恭平の熊本脱出記(1) あの日、東京で感じた「予兆」―そして家族の待つ熊本へ
○坂口恭平の熊本脱出記(2) 真夜中の激震 ―なぜ僕は「避難所」で鬱になったか
○坂口恭平の熊本脱出記(3)だから僕は、熊本から逃げ出した 余震は体に良くありません!
○坂口恭平の熊本脱出記(4) 3歳の息子は僕の手を引っ張り、「あそぼ」と言った 命より大事なものはない
○坂口恭平 (@zhtsss) | Twitter
■
自分は今、日常の仕事をしながら、熊本のことを思っている。
今具体的に熊本や家族にできること、そしてもう少し時間が経ってからこそ熊本や家族にできること。
同時に、どういう社会に僕らが生きていきたいか、も考えている。
未来の熊本や日本を見据えながら、どういう形で復活していくか、サポートする必要がある。
天災時や非常時にも柔軟な社会、過度な格差が生まれえない社会、適切なサイズでの循環型の社会、人の欲望や弱みに付け込み自我を肥大させない社会、誰もが笑顔が暮らせて幸福感を感じて生きていける社会、誰もがそれぞれの特徴や才能や興味・関心を追究して、それぞれの天分を最大限に生かしていける社会、評価から自由になる社会、暴力やおそれを起動力にせず、愛や調和を起動力にできる社会、数十億年続くいのちの流れを尊重して受け継いで行ける社会、誰にも居場所や役割があり、敬意をベースにした社会、、、、
自分はこういう仕組みを取り入れた次の社会や次の医療体制の課題に同時に取り組んでいきたい。
体の栄養を担う食べものがあり、心の栄養を担う芸術や文化があり、衣食住と安全に暮らせる環境さえ整えば、人間という生命システムは幸せに暮らしていけるものだと思う。経済はあくまでもそのための潤滑油として、血液として存在している。
自分の故郷が大変なことに巻き込まれ、みんながそれぞれの立場でベストを尽くす中で、自分は自分なりの課題を受け取った。
黒子の時期は、黒子に徹してサポートできることを考え抜く。
そして、短期的な視点だけではなく、同時に長期的な視野を持つ。
短期的・長期的な心や体へのケアを日常からトレーニングされているのは、プロの医療者の役目でもあると思う。
日々学んでいることは、別の形で応用されるために、基礎トレーニングとしてあるのだと思う。
それぞれが受け取る課題は異なるだろう。やることも異なる。何かをする役割の人もいれば、何もしない役割の人もいる。
いま何もしない役割の人は、長期的な役割として、考える時間を与えられている。
今行動している人が疲れた時に、バトンを受け取るために。
自分は、現地の人が困っていることを、友人や家族を介して間接的に受け取り、短期的にも長期的にも、その声を忘れない。
自分がやるべきことは、何だろうか。
毎日、動きながら思考しながら行動しながら、考えている。
自分の愛する故郷熊本が大変だからこそ、自分は自分なりにできることをやる。
自分は熊本で生まれたし、自分の両親から生まれた。
いのちを生み出した存在に、感謝の気持ちを忘れたことはない。
熊本も両親も、その存在がなければ自分という存在はこの宇宙には存在しえない。
苦しみも悩みも悲しみも、生きていればこそ。
いのちを生み出したあらゆる存在に対して、その恩を忘れたことはない。
アドラ―は<課題の分離>と言った。
<それは誰の課題なのか>ということ。
その決め手は、<結果の責任はだれが引き受けるのか>という点。
自分が引き受けるべき問題こそが、自分の課題となる。
果たして、今の自分の課題は何か?
いま熊本では困っている人がたくさんいる。
現地では多くの人が懸命に働いているだろう。
今はそうして現場の人たちの邪魔をしないよう、自分は黒子に徹してサポートできることを考え抜く。
黒子は、いい血液を循環させる存在として重要な役割を果たすはずだから。
それぞれやることは異なる。そのために多様なのだ。
何かをする役割の人もいれば、何もしない役割の人もいる。
いま何もしない役割の人は、長期的な役割として、考える時間を与えられている。
今行動している人が疲れた時に、バトンを受け取るために。
■
自分は未来の医療を立体的に研究する準備会を実験的に立ち上げたのだが、それは縦のヒエラルキー組織を作りたいのではなかった。それは一つの芸術運動のようなものであり、一陣の風のように空間の換気を促すものであり、再統合の狼煙や花火や合図のようなものであった。
そのきっかけは、東北の震災だった。
あの時、自分には自分なりの課題が降ってきて、毎週末東北に通っていたのだった。
そのときは地震だけではなく、津波と原発の問題も複合的に重なり、土地は人災でも汚された。
それはまるで自分の体が汚されたかのような身体感覚を伴ったものだった。
水俣病という事件で、自然という神が人災で汚されたことに戦慄を覚え、そのことが医師を志す遠因になっていることとも関係している。
いづれにせよ、色々な方向からの命を受け、自分は東北の震災の後、原発で大変な地になった最深部にまで通い続けたのだった。
○3.11 4年 春分の日(2015-03-21)
○3.11 4年(2015-03-12)
○3年後(2014-03-13)
○ふくしま(2013-09-04)
○2年後(2013-03-13)
○ふくしま 川内村(2012-02-06)
○いま考えていること(2011-03-31)
そのときの体験で今の医学システムが無力で無責任なことを痛感し、今後このままでは持続できないことを、身体感覚でつきつけられた。
どんな状況でもサバイバルな状況でもベストを尽くせる医療。
それは自分が山岳医療の中で、自然の中で行っていた医療の根本にあるものだった。
自分の立場でできることを、、、と考えて、色々と行動にうつった。
当時、東北の現状を見て、九州に帰ったとき、九州はほとんど何の影響も受けていないことに驚いた。
電気は煌々とついていて、変わらない日常が九州では続いていた。
そのとき、日本という国土の広さを感じた。
ただ、今は自分の故郷の熊本が震源地になっている。
■
熊本から大分にまたがる今回の大地震(2016年(平成28年)4月14日21時26分)では、一部はライフラインも絶たれ、壊滅した家も多く、今でも大変な状況になっている。
1週間が経過し、なかなかブログもかけないでいた。
考えるべきものに、急性期と慢性期とがある。
急性期では、現時点でできることのベストを尽くす。
まず生きてこそ。
いのちを維持するために、食べ物や水、雨や寒さを防ぐ空間、排せつ物の処理、寝るための空間、心理的な安全や安心、、、、その確保が急性期は極めて必要だ。
そういう時は迅速に動く。一秒も無駄にできない。
同時に、慢性期のことも考え続ける。
長期的な体や心への影響も考える必要がある。
いま、とても元気な人も、急性期の心の適応の可能性がある。
すこし時間が経った時の逆側に揺れる反動も同時にケアする必要がある。
体や心はその時点でのベストを尽くすが(なぜなら、体には未来や過去という時間感覚は存在しない)、ベストを尽くす急性期の反応が長期的には悪い影響を与えることもあり、それは各自が調整をいないといけないものなのだ。
天災は、今後も日本中、世界中で起きてしまうだろう。
それは過去もそうだったし、今も現実にそうだし、未来もそうだろう。
東京に住んでいる自分も他人ごとではない。
いのちが動いているように、地球も自然も動き続けているから。
社会は自然の一部として存在しているので、自然界の動きの中で、柔軟に対応できるものを、同じ地球空間を共有するみんなで作り上げていく必要がある。
■
ひとのくらしは衣食住と言われるように、生きている存在にとって衣食住は重要なものだ。
着ている衣(裸では人は生きることができない)、食べているもの(固体食と液体食が体を構成する。気体食の空気も必要。)、住んでいる空間(皮膚は常に空間と交信し、多大な影響を受けている。)というものが、人の心や体に24時間影響を与え続けている。
それは医療でも意外に盲点になる点だ。
暮らし(衣食住)をベースにしながら、そこに医療がどう補完的に協力できるかを考えている。
それは医療の問題でありながら、未来の社会の提案でもある。
今は経済がすべての機動力になっているが、それはここ数百年のものだろう。別の観点で社会を再構成していく時代に来ている。
人々が日々を健康で笑顔で暮らせる社会づくりを。
医療もそれをサポートする役目がある。
江戸時代の安定期を経て、世界の植民地支配合戦の巻き込まれる形で開国を経て、明治維新や第二次世界大戦などを経た。
そこでシステムは仮に作られた。
それは時代の必然であり、あらゆるパワーバランスとパラメーターの中での最適化されたものが出来上がったのだと思う。
ただ、そろそろ、システムは時の洗礼を受けて限界になっていて、新しい時代の養分を受けて再創造される時期に来ているのだと思う。時代とともに更新されていくものだ。
■
坂口恭平君という、熊本高校時代の同級生がいる.
作家,芸術家,建築家,音楽家...あらゆる顔を持つ,熊本が誇るべき正真正銘の尊敬する天才.
○「坂口恭平 躁鬱日記」(2013-12-13)
坂口君は本当に未来と過去から現代に滲み出してやってきたような存在だ.
彼の熊本からの移動の軌跡を書いたテキストは,未来の社会を考えるときにとても示唆的だ.
非常時に,ほんとうに大切なものがあぶりだされる.
坂口君が抜けた道の,熊本金峰山の修験の道は,自分も小学生の頃から遊んだゾーンなのでよくわかる.(このゾーンにある霊巌洞で,晩年の宮本武蔵は『五輪の書』を書いた)
いま安全な土地にいる人は,未来の社会のありかたを,常識にとらわれず自由に思考し続ける役割があるのだと思う.
それは,生きているからこそできる重要な使命.
Web版現代ビジネス 賢者の知恵 2016/4/20
必読.
○坂口恭平の熊本脱出記(1) あの日、東京で感じた「予兆」―そして家族の待つ熊本へ
○坂口恭平の熊本脱出記(2) 真夜中の激震 ―なぜ僕は「避難所」で鬱になったか
○坂口恭平の熊本脱出記(3)だから僕は、熊本から逃げ出した 余震は体に良くありません!
○坂口恭平の熊本脱出記(4) 3歳の息子は僕の手を引っ張り、「あそぼ」と言った 命より大事なものはない
○坂口恭平 (@zhtsss) | Twitter
■
自分は今、日常の仕事をしながら、熊本のことを思っている。
今具体的に熊本や家族にできること、そしてもう少し時間が経ってからこそ熊本や家族にできること。
同時に、どういう社会に僕らが生きていきたいか、も考えている。
未来の熊本や日本を見据えながら、どういう形で復活していくか、サポートする必要がある。
天災時や非常時にも柔軟な社会、過度な格差が生まれえない社会、適切なサイズでの循環型の社会、人の欲望や弱みに付け込み自我を肥大させない社会、誰もが笑顔が暮らせて幸福感を感じて生きていける社会、誰もがそれぞれの特徴や才能や興味・関心を追究して、それぞれの天分を最大限に生かしていける社会、評価から自由になる社会、暴力やおそれを起動力にせず、愛や調和を起動力にできる社会、数十億年続くいのちの流れを尊重して受け継いで行ける社会、誰にも居場所や役割があり、敬意をベースにした社会、、、、
自分はこういう仕組みを取り入れた次の社会や次の医療体制の課題に同時に取り組んでいきたい。
体の栄養を担う食べものがあり、心の栄養を担う芸術や文化があり、衣食住と安全に暮らせる環境さえ整えば、人間という生命システムは幸せに暮らしていけるものだと思う。経済はあくまでもそのための潤滑油として、血液として存在している。
自分の故郷が大変なことに巻き込まれ、みんながそれぞれの立場でベストを尽くす中で、自分は自分なりの課題を受け取った。
黒子の時期は、黒子に徹してサポートできることを考え抜く。
そして、短期的な視点だけではなく、同時に長期的な視野を持つ。
短期的・長期的な心や体へのケアを日常からトレーニングされているのは、プロの医療者の役目でもあると思う。
日々学んでいることは、別の形で応用されるために、基礎トレーニングとしてあるのだと思う。
それぞれが受け取る課題は異なるだろう。やることも異なる。何かをする役割の人もいれば、何もしない役割の人もいる。
いま何もしない役割の人は、長期的な役割として、考える時間を与えられている。
今行動している人が疲れた時に、バトンを受け取るために。
自分は、現地の人が困っていることを、友人や家族を介して間接的に受け取り、短期的にも長期的にも、その声を忘れない。
自分がやるべきことは、何だろうか。
毎日、動きながら思考しながら行動しながら、考えている。
はい。それぞれが与えられた場所とポジションでベストを尽くすことが大切ですよね。そべて恩返しのようなもので、それがまた別の形で循環していき、ひいては自分に巡り巡って帰ってくると思っています。短期的な視点だけに惑わされず、常に長期的な視点を持ち続けたいと思いますね。