日常

3.11 4年 春分の日

2015-03-21 12:49:37 | 考え
すべてのものには表と裏があり、表と裏は一つのもの。
生と死もそういうもの。

生と死、表と裏、裏と表をつなぐには、死と生の接点を失わず、つなげること。


自分は2011.3.11以降、色々な事情があり、毎週末のように東北を歩いていた。
東北や福島を歩く行為が、そのまま祈りの行為のようだった。
土地に行くと、亡くなった方々の思いを感じた。

それは必ずしも重いものではなかった。かなしみなどという言葉で済まされるものでもなかった。

死を無駄にしないでほしい、忘れないでほしい、よりよい未来をつくってほしい、あなたたちにバトンを渡す、というようなこと。
それは重要なメタファーを含んでいた。読み解かれるのを待っているようだった。


昨日、ふとした時にそれを思い出した。


自分はどんな人の死も無駄にしない。

3.11だけではなく。

自死したすべての人の思いも、一人残らず漏らさず受け取りたい。それを次につなげたい。
自死する人は感受性の高い人。それは本来は人類の宝だ。
そういう方を失ったのは大きな損失だ。
そして、そこから何かを感じ取り、受け取らないといけない。
いのちをかけて投げかけたメッセージを。
声は常に、か細いのだが、内なる芯はこよりとなり、強い。


喪に服する時間というものが必要だ。
そういうときくらいは、心を静かにして、違う時間を共有し、時を寄り合わせ、溶け合わせる。

死者は常に生者の味方をしている。
だからこそ、生者も常に死者の味方するものだ。

2 コメント

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このブログとの出会いに感謝します。 (春)
2015-03-25 07:13:01
稲葉先生のことを、数日前に初めて知りました。そしてブログを読み始めました。
大切なことばかり書かれているこのブログと、今、出会えてよかったです。
これまでのブログを、少しずつ、全部読んでいきたいと思っています。
Unknown (いなば)
2015-03-25 23:24:41
>春さん
是非今後とも遊びに来て下さいね。
ブログは、濁流に巻き込まれていくFacebookと違い、文章が静かにまとまっているところがいいですよね。
コンセプトのはっきりしないカオスなブログですが、今後ともよろしくお願いします。(^^