日常

浦沢直樹『20世紀少年』

2009-02-12 08:24:49 | 
■浦沢直樹:『20世紀少年』(全22巻)、『21世紀少年』(上下巻)


『20世紀少年』と『21世紀少年』(→これで話は完結する)をついに読了しました。
唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子・・とかで映画化されて話題になってるし、その前にってことで。


『20世紀少年』が全22巻、『21世紀少年』は上・下巻の2巻。
長かったなー。
でも、相当おもしろかった!大興奮!
興奮の余熱でいつも文章を書くワタクシなのです。熱の有効利用。エコです。


まあ、漫画なので、推理小説と違って全ての伏線が回収されるってことはない。
浦沢直樹の『Monster』のときもそうだったけど、いろんな伏線があって、それがラストですべて回収されるのかなぁとか思っていると、結局あれはなんだったんだ?という謎で終わることあり。

浦沢直樹はそれで、「大風呂敷広げすぎ!」って批判されること多いけど、自分的には全然そんなこと気にならない。
その漫画の閉じられた世界で綺麗に完結して満足することよりも、その漫画を通して自分が感じられたり湧きおこった感情を味わう方が、後後は自分に漫画の刻印として残る。
しかも、あまりにスッキリさっぱりキレイにまとめられると、筋のプロットが見えちゃうせいで、もう2度と読まない気がするし。


実際、日常生活なんかも、全ての伏線とか全ての謎が最後に解決されることなんてないわけで・・。

謎は本当に謎のまま。よくわからんモヤモヤはモヤモヤのまま。そういう永遠にプロセスとして読める作品の方が、後後にスルメのように味わえるもので不思議です。


この作品では色んな問題提起があった。そこで感じたことを少し。



■友達

この漫画の大きいテーマで、『友達』という概念がある。

この漫画は《ともだち》という世界征服をしようとする存在が誰なのかというものを軸に話は進む。
そのときに、幼少時の記憶が常にフラッシュバックされていき、『友達』の輪に入れない子供。でもプライドだけは過剰に高い子供。その関係性で仲間はずれにしたりいじめたりした風景が挿入され、『友達』の間で繰り広げられた日常の会話が挿入されていく。


『友達』とはなんだろうか。

主人公のケンジも、「ともだちなんて、なろうって言ってなるもんじゃないよ」と言う。その通りだと思う。

『20世紀少年』で描かれる、新興宗教としての《ともだち》は、「契約」や「約束」としての『友達』。
『友達』から裏切られたと思うと、この新興宗教では「絶交」と称して人を容赦なく殺していく。
「契約」としての友人関係に裏切り行為という不履行があると、「絶交」という状態に移行する。絶交という状態が、もう二度とその人と『友達』にならないならば、自分の世界とは一生縁のない人間となるので、死んでいても生きていても同じことになる。寧ろ、自分が作ろうとしている美化された過去の思い出の花壇を荒らす存在なので、殺す。


こういう幼児期の世界観をひきずる男が、幼児期の友達から裏切られたりいじめられたりしたトラウマを引っ張りながら、幼児期の自意識過剰な時代に感じていた「世界征服」という概念と結びつけながら、話は進む。


その世界征服は完全なファンタジーで虚構で妄想なはずだったんけれど、自分の中で閉じられた自意識の世界で過剰に膨らんで暴走し、その異常な自意識の世界に周りの人々をどんどん巻きこんでいく。そんな物語だった。


■『友達』と『友情』

自分の中で、この『友達』と対比して感じたのは、『友情』という概念。
つまり、そこに『情』という概念が入ること。


友人関係とは、そんなに契約で、デジタルでゼロかイチに割り切れるものではない。「情」という淡いグラデーションかかった領域がある。その強度は数字でデジタル表示できないから、相対的に比較できないものでもあるので、友人関係に順位付けするということはできない。

友人関係にランク付けすることは、『20世紀少年』の漫画でいうところの、『契約としての友達』関係に近い。自分にとって有用である順番にランク付けをする。


ただ、『友情』という概念は、そういうランク付けのような相対評価ができない類のもの。それは愛情とか人情とか、他の「情」が入る人間関係もそうだろう。本来は損得とかが勘定されない。
自分の日常が、比較したりランク付けしたり、相対的にモノを見る視点で埋め尽くされてくると、気づかないうちに混同して人間関係にも損得関係を入れてしまう。これはよくない。


「愛」というものも、単なる契約のようなもので考えるか(「お付き合いしましょうという契約」「肉体関係だけの契約」「お互いを利用し合う契約」)、「愛情」のようにグラデーションがかかり、どこが境界だか分からない漠然としたものとして、情緒的なものとして考えるか、かなり違う。
契約としての「愛」と、友情や人情や情けとしての「愛情」の違い。

もちろん、「愛」という言葉自体に、契約の雰囲気がつきまとうというわけではないんだけど、「愛情」と言うと、自分に沸き起こる感情レベルなので、比較的自分でもとらえやすい感覚なんぢゃなかろうか。
「愛」って言葉まで行くと、かなり抽象的で少し実態がつかみにくい。

自分の感情である「愛情」とか「友情」って相対化できるものではなくて、自分の方が愛情が上だとか、友情が上だとか、そういうのは言えないと思う。
「感情」は、自分の中に沸き起こる絶対的な価値基準のものだと思う。


川上弘美「センセイの鞄(カバン)」

 

それは、川上弘美さんの「センセイの鞄(カバン)」を読んだのだけど、そのときも感じた。

少し脱線。

この本はShin.K氏に名作!って奨められて購入していて、読む機会を虎視眈々とうかがっていたのだけど、このブログに書きこんでくれるla stradaさんがブログで感想を書いていてすごく感じ入った。本を読んだ後にブログを読んでも似たようなものを感じたし。
「時来たり!」という感じで(笑)、当直中に読んだのです。
あと、WOWWOWのドラマ版「センセイの鞄」もあったんですね(既にDVD化)。主人公ツキコさんがキョンキョン!確かに似合う。ちなみに、偶然にも浦沢直樹の『20世紀少年』にも小泉響子という重要な役の女性が出てきます。


脱線終わり。復帰。



粗筋は『四十間近のツキコさんと、八十近いセンセイとの恋模様』と言ってしまえるのかもしれないけど、そこに流れている時間の感覚とか、会話の仕方、愛や恋の向かい方・・なかなか感じ入ることが多い作品だと思った。
「SEXと暴力さえ書いとけばいいんでしょ!」っていう安っぽい作品やドラマが巷にはあふれていて、そういうのを見た後はゲンナリとウンザリしてムカムカしたりするんだけど(笑)、この「センセイの鞄(カバン)」はなかなかもっていい作品でした。

最初、こんな年の離れた人間同士の恋なんて・・ってなかなか入り込めなかったんだけど、それはある意味、登場人物のセンセイと同じような心理状態で読んでいたのかもしれない。

センセイも、惹かれつつあつも、理性で制御して、その世界に入り込もうとしない。それでいても、ゼロからイチになるような飛躍ある契約的な付き合い方ではなく、グラデーションかかった移ろいゆく情の中でゆっくりと引力で惹かれあい求め合うような世界の、「愛情」を書いている気がした。

二人は、向き合って愛を語らず、別の視点から遠い同じ方向を進むように話は進む。並列で前を向いて歩き、カウンターで横に座りお互いの顔を見ないで会話をする。見つめ合うわけではなく、同じ方向を見ている。

読んでて、時にじれったくもなる。応援したくもなる。諦めろーと言いたくもなる。話は進んでいるようで進んでいないようで、でもやはりお互いの心は勝手に進んでいるという物語。


こういう緩やかな形で自然に始める愛情の終わりは、結局・・・・。
この本のラストシーンのように終わらざるを得ないんですよね。
契約としての愛情ではないから、きっと終わりもないのです。終わりは非情なものとしてしかやってこないのです。


川上弘美さんが「センセイの鞄(カバン)」で描く愛情の形。
それは、浦沢直樹の『20世紀少年』で描く「友達」のアンチテーゼで伝えようとしている、「友情」のような人間関係。
偶然にも近いテーマ性を感じましたね。


■記憶

なぜかいつの間にかに川上弘美「センセイの鞄」の感想まで織り混ざっているわけですが(笑)、『20世紀少年』で感じたのは記憶の曖昧さに関しても。

『20世紀少年』では、「よげんのしょ」と言われる子供時代に遊びでつくった物語が大きな影響を与える。そして、当時の友達同士の付き合いや遊びやイジメや、色んな記憶が物語を解く鍵になってくるんだけど、いかに人間の記憶が曖昧でアヤフヤかということや、いかに自分に都合よく記憶を再構成して過去を作っているかということを考えらさせられた。

自分が大きい挫折感を感じた過去は、自分がダメでどうしようもない人間というダメな物語を作って記憶に定着される。逆も然り。

そこで、過去のともだち同士で記憶をくっつけ合うと、俯瞰して鳥の視点から見たような、本当のストーリーというものが見えてくる。
いかに、自分は自意識で自分に都合がいいように記憶を再構成しているかということは、漫画を読んでいて、ふと自分でも怖くも思えてきた。


特に、幼少期なんて自意識の塊で、自分のことしか考えていない。これは良いとか悪いとかじゃなくて、自意識を形成していく成長過程自体がそういうものなんだからしょうがないと思う。


そして、幼少期は人一倍プライドだけは高くて見栄張りなところもある。背伸びしたくなるし人と自分を比べてばかりいる。

自分の価値を相対的なものとしてしか認めることができないから、相対的な価値に縛られる。成績とか、容姿とか、人から認められるかとか、偉くなりたいとか、有名になりたいとか・・・・・。
そういう相対的に比較することでしか自分の存在を認めることができないようになると、友人関係にもそれを適用する間違いをしてしまう。それは順位付けとかランク付けとか、自分に都合が悪くなると絶交したり・・。


そういう時代で、何気なく友人にかけた言葉が、良くも悪くも、その人の人生を大きく変えることもある。
自分も、そういう風に色んなものとの複雑に相互作用しあう関係性の中で、いろんなものに方向づけられながら、過去という時間を生きてきたんだろう。


30歳近くになると、自意識過剰であること自体が少し気恥ずかしくなり、そこで自分と他者との本当の関係性を探し始めるのかもしれない。

人と比較してもしょうがない。相対的に価値を比べてもしょうがない。

自分という、この矛盾した存在を、絶対的な存在として、ありのままに受け入れていかないといけない。



僕らが言う「若いねー!」っていう言葉は、そういう自意識過剰で、でもだからこそエネルギーに溢れていて怖いもの知らずで、自信に満ち満ちていて、そういうものを感じた時に、ある種の憧れや羨ましさと共に出てしまう言葉なのかもしれないですね。

『曖昧な記憶を元に、過去というものを自分に都合よく再構成している。
そして、それを真実の過去だと思い込んでいる。
そういうあやふやな過去で現在の自分は形成されている。
現在という時間でさえ、自分に都合よく世界を解釈している。』
ということを、改めて強く感じた。そのことを意識すること自体が重要かもしれん。
→この辺りは、【『風の旅人』 36号 「時と転」】(2009-02-07)でも少し似たことを書いてます。




■感想

浦沢直樹の『20世紀少年』は、はっきり言って超大作です。ちょっとやそっとではプロットが分かりませんし、読んでいて自分がどういう時間軸にいるのか、何が真実で何が正しい記憶かよく分からなくなるほど、何度もストーリーが反転して軸が分らなくなる。そんなグネグネしたストーリー性にウンウン唸りながら読んでしまうと思う。

そして、そこに幼少期や過去の話が、時間を自由自在に動きながら話は展開する。
幼少期の自意識とか、友達関係とか、子供のころの夢や希望とか、それを受けた上での現在の自分とか・・・・、色々なものを感じざるを得ない作品です。

話の中で出てくる謎は、全てあの漫画の中で解決していないかもしれない。
でも、漫画での「ともだち」の正体が誰なのかとかの謎ときも面白いんだけど、そのオチ自体よりも、途中の部分、部分の要素や台詞の方が感じることが多かった。
(自分の中では《ともだち》の正体はこの人かなーっていうのはあって、それがわかったから「20世紀少年」っていうタイトルの意味も分かるような気がした。俺の推理はあってるかなー)

浦沢直樹が1970年代の過去を思い出しながら現在や未来を描き、今生きている僕らに宿題を託しているように感じられた。

壮大で長い作品ですが、是非一気に読んでほしい。グイグイ読ませてくれると思いますよ。

11 コメント

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子どもの記憶から話題が… (Is)
2009-02-12 11:58:38
『20世紀少年』、出始めの頃、追って買ってたんだけど、とても待てな~い!揃ってからにしよう~!と止まってました。そろそろ読んでみようかな。(同様に『バカボンド』もです)

この間の焼き肉屋でも話したけど、
子どもに〈自我〉が芽生える瞬間(…それは意外と早いのでは)とか、
子どもは意外と分かってるとか。

記憶ってことでも、
団塊世代と団塊Jr.以上に
団塊Jr.と団塊Jr.Jr.の間の方が
価値観が近くなっていくと思う。
(見田さんは、この辺をずばりついた論文も書いてます。)
もはやメディア環境(テレビや漫画やゲームや音楽など文化的なもの)がほとんど第2自然みたいになっていて。
団塊世代の幼少期の「○○山の木に登ったな~」とか「駄菓子屋の○○じいちゃんにまた怒られたよ」とか、いわゆる第1自然を媒介にしたコミュニケーションが、下の世代になるほどいくつかの理由により乏しくなっていく。
(1:宅地開発による山の切り開きや、道路のアスファル化、による第1自然の減少
2:労働環境の変化により、職住分離やサラリーマン化で地域で働く大人の姿の減少
3:脳に気持ちいい娯楽の誕生(団塊世代だって子どもの時ファミコンあったら楽しんだでしょう!))

もはや第1自然は流動性が高くて、どんどん開発され、子どもの頃の風景なんて新築の分譲戸建てや大型ショップの開店でどんどん変わっていく。
むしろ、第2自然の方が、漫画の文庫化によるアーカイブやyoutube、歌謡曲のリバイバルブームとかゲームもリメイクで
(…ドラクエ4のPSでの復刻の広告が、確か「むかしお父さんも遊んだ」みたいなもんだった。)流動性が低い。

(…と書いてたら、どんどん発展してしまったので、場所を移しました。話が止まらん!)
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/archives/65175745.html
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どちらもツボ (maki)
2009-02-12 12:22:40
お久しぶりです。
ちょっと最近あんまりブログめぐりもできていなかったのですが、久々におじゃましたらナント!
『20世紀少年』と『センセイの鞄』。
どちらも大好きすぎる作品で。
思わず書き込みです。

◆20世紀少年
これは、当時タイムリーに単行本を購入していて、新巻が出るのを心待ちにしてました。(>>>>Is氏、だからその新刊待ちきれないもどかしい気持ちわかります)
最近映画でもやっていて(見に行ってはないのだけど)、その映画の絵の構成や配役があまりにもマンガを忠実に再現していたのでびっくりして再度全巻読破。これで、通読するのは4回目ぐらいだけど、読めば読むほど深いテーマを背景にかなりの芸術性と技能とセンスを発揮しているなあと感心してしまう。
自分が住み育ってきた場所ではない場所が描かれているのに、どうしても「秘密基地」とかに懐かしい感を抱いてしまう。私だけでなくたくさんの人がそれに共感するのだと思うけど。
それから、「ともだち」という壮大なテーマ。相手がいて自分がいる。相手は自分を映す鏡。子供ながらに痛感した「一つの社会の中での自分の立ち位置」とか、ちょっと苦い思い出とかを思い出させられる。本当に些細な心ない一言やその行動が、ヒトにとってはアイデンティティーを揺るがしかねないような出来事としてとらえられたりすることってあるのよね、いつの時代にもきっと。
**********
自分の中で、この『友達』と対比して感じたのは、『友情』という概念。
つまり、そこに『情』という概念が入ること。
**********
うん。これは、『論語』にあった、「友に対し絶対に約束を守る、まごころをもつこと」ととても通ずるところがあると思いました。←あ、これはまた別のところにコメント欄があったような…

しかし映画に関して一点だけ気になるのが…
あれだけ「絵」を忠実に脚本にしてしまうと、映画観なくてマンガ読めばいいじゃん、と思ってしまう。

◆センセイの鞄
というより、川上弘美さんの大ファンなのですが。
とにかくあの世界観というか、雰囲気。小説って、自分で読み進めていくものだけど独特の「ゆったり感」があるし、ほんわかとした空気が流れていて、絵を想像するときれいなパステルカラーを思わせてくれて、つまり文字を読み進めていくと時間と温度と色とを感じさせてくれるのです。
主人公の二人は見つめ合うでなく、居酒屋のカウンターで同じ方向を向いて、心を通わせ合う。年の差もしかり、二人とも「いい大人」な年齢だけど、ちょっと甘酸っぱさを感じさせる関係で。
私は女で、年齢もどちらかというとつきこさんよりなので、勝手にストーリーを読んでいるうちにつきこさん側に感情移入してしまっていたの。「センセイ素敵」とか思って。たけど、実はこの本が好きで友人に勧めたところ、その人(男性、70歳)はセンセイに感情移入したらしく、「大町は実際会ってみたいぐらいいい女だ」って言ってて、読み手によっては目線がずいぶんと変わるものだ、と思ったのです。これは、男性が読んで思うところを一度聞いてみたいな。


はて。なにより、稲葉氏やIs氏が読んでるマンガとか、自分の青春時代のそれとほぼかぶってて面白いなあといつも思う。
(ちょっと前に登場の『帯ギュ』も、わが青春のバイブルでした。
あれを読んで、本気で柔道を始めたいと言い出した私を、家族みんなで必死に止めようとしたとかなんとか…)
返信する
コメントへの返信が相変わらず長い私。 (いなば)
2009-02-12 21:53:46
>>>>>>>>>>>>Is
俺も途中でやめてすっかり忘れてたのよね。そしたら、昔読んだはずのとこもほぼスッカリ忘れてました。 やっぱ、通して読まないと記憶自体もすぐなくなっちゃうもんだね。
『バカボンド』も、実はわしも途中まで読んで、完結したら読もうと思って読んでない。リアルタイムではかなり進んでいるんだろうなぁー。

人間に自我が芽生える瞬間・・・これは思考実験するだけでもおもろい。
以前も、死に行く人から自意識が消えていく瞬間を見て、感じたことを
【田口ランディ「パピヨン」、よしもとばなな「彼女について」】(2009-01-12)
の時に書いたけど、
その逆に自意識とか自我ができていく過程は興味深い。
今はその中間地点におるわけだし。


そして、その自意識形成とかに、自分の記憶も密接につながってる気もする。


自分が最初に覚えてる長期記憶ってなんだろう?
幼稚園のときは結構覚えてるけど、その前はほぼ全く覚えてない。
幼稚園の風景は、先生に怒られたり、優しい先生で好きな人いたり、スカートめくりしたりとか(笑)、そういうどうでもいい断片的な記憶は沢山あるなぁ。

確かに、僕らと親の世代って敗戦後の影響もあるのか、壁は確かに感じる。
僕らの下の世代とは、確かにメディア環境(テレビや漫画やゲームや音楽な・・)共通なのかも。

親世代と共有できるのは音楽くらいかもしれんね。(ビートルズ、小田和正、井上陽水・・・)


日本は、第2次世界大戦以降、戦争に直接巻き込まれなかったし、稀なケースを覗けば大切な人が殺されたりとかなかったし(『わたしは貝になりたい』はそういう意味では強烈なシーンもあった)、そういう価値観の大転換もないから、何か連続している感じがあるのかなぁ。


国が違えば、生まれた時から死ぬまで永遠に戦争とか内戦やってる地域あるし。
まあ、僕らは幸せなんでしょうね。
休日に美味しい珈琲でも飲みながら好きな本やテレビ見るとか、友人と無目的におしゃべりするとか。
最高に至福の時だと思ってるし、実際そうなんだと思う。

最近は、この幸福を一方的に享受するだけぢゃ罰当たりそうだし、世界にお返ししていきたいって本気で思ってるよ。微力だとは思うけど、自己満足ではない形でなんとかやっていきたいな。お返ししたい。give and takeですな。

そこが30歳の自分の一つの決意。
孔子風に言えば三十にして立つ(三十而立)なんでしょうけどね。


あ、Is氏ブログのとこも、またコメント書いときますよー。


>>>>>>>>>>>>>maki
なんか確かにお久しぶり!元気してたー?
4月からは職場近くなるんでヨロシコ!


漫画の映画化とかドラマ化って、成功した例は聞いたことないなー。

忠実に漫画を映画化すると、絶対漫画を越えられないと思うし、だからと言って中途半端にデフォルメすると漫画と違うじゃん!と言われるし。
まあ、漫画にインスピレーション受けた上で、映像作品として有無を言わさない圧倒的にすごいの作ればいいんだろうけど、なかなか漫画原作を超えた映画は見たことないかも。

評判からは、「おくりびと」とかは映画でいい線いってるのかも。
(漫画だけで映画は見てないけど、映画の評判いいもんね。ていうか、あれは原作の漫画読んでる人の方が少ないからなのかもしれんと今ふと思った。)



Makiも、20世紀少年は通読4回目!スゴイ!

俺も読んだことある人と色々話してみたいことあるんだよね~。
ブログに書くとネタばれになるから遠慮してたとこが何個かあるんで、ともだちの正体とか、その辺。今度会って話すときに是非20世紀少年ネタで話しましょう!楽しみー。あの長編は、そう簡単には読めないし、読んでる人もそう頻繁にはおらん気がするし。

20世紀少年で出てくる、「秘密基地」とか、「お化け」とか、・・・
子供時代の人間関係や世界観のの表現も本当にうまい! 流石!ってうなったもん。
あと、ともだちランドのアトラクションで、子供時代を再現した仮想空間とかあったけど、あれも時空がグルグル回っておもろい。見ててかなり興奮したー。


『ちょっと苦い思い出』
→ほんとそう!今思い返すと、なんであんなことしたり言ったりしたのかなぁって、我ながら恥ずかしくなる思い出に満ち満ちてると思う。
後悔してることとかもいっぱいあって、あの漫画を通してそういうほろ苦い思い出も思い出しちゃう。
だから、読者もみんな子供時代の思い出して、世界観にはまれるんだと思う。


『論語』の言葉、いいよね。イイものはイイ!
わしも最近、論語輪読会やったことでかなり多くのこと学んだよ。
またいづれ論語トピックでブログに書きたいと思っとります。



『川上弘美さん』
→俺はあれが初めて読んだけど、なんか川上ワールドって感じは確かにあった。言葉使いとか時間の扱い方とか。

『絵を想像するときれいなパステルカラー』『時間と温度と色』
→確かにその通りだー。言ってることよくわかるよー。表現ウマい!


俺は男だし、確かにセンセイに8割感情移入して読んだかもしれん。2割がつきこさん側。
センセイは、八十近いし、やっぱり恋なんてイマサラーってのは間違いなくあったと思う。

男側に感情移入したわしとしては、
「どうせ若い女性が自分をからかってるんでしょ。まあ単に生徒が先生を慕う感じで慕っているんでしょ。つきこさんがこっちに好意あるんじゃないかってのは自分の自意識過剰!そんな自分、キモイ!」
って思うのが普通の男性だと思うし。

まあ、恋の駆け引きって難しい。タイミングとか間違いなくあるし、出会い方とか・・。まあ色んな要素が複雑にある。
タイミングもこっちのタイミングと、あっちのタイミングとかね。
この辺は奥が深いものですわ。


まあ、川上弘美さんの「センセイの鞄(カバン)」は、男性が全員面白く読めるかと言うとそうじゃないと思うね。よしもとばななと同じで、男性でわかんない人には全然ピンと来ない世界観だと思う。
男性の中に、どれだけ女性性を混在させてるかどうかで、あの本の味わい方も変わる気がするなぁ。




『自分の青春時代のそれとほぼかぶってて面白い』
→同感。
わしとかIs氏とかMakiとか、30歳近辺の人間って、少年ジャンプ黄金期の世代でしょ!

『ファミコンジャンプ 』ってファミコンソフトも出たくらいだし。北斗の拳・ついでにとんちんかん・ドラゴンボール・シティーハンター・Dr.スランプ・聖闘士星矢・魁!!男塾・男一匹ガキ大将・ジョジョの奇妙な冒険・キャプテン翼・キン肉マン・こち亀・・・・みたいな漫画が、あのソフトに出てた。


タイトル見るだけで、すごい時代だ!


漫画好きじゃなくても、みんな何かしら読んだこととか聞いたことあるし、あれで漫画リテラシーが形成されてると思う。
病院とかの仕事場に漫画ほっぽり出すと、みんな狂ったように集中して読むし。

わしも、そんな感じで行く先々で手塚漫画はばらまいてますけど笑


同時代に生きてるって、漫画に限らず、テレビとか、流行りものとか、歌とか、そういう同時代の文化とか。色んなものを濃密に共有するわけで、それは既に奇跡的なこと。
少し世代が違えば、全然違う文化の輪の中に入ってたんだろうし。
同じアラサ―世代、今後も仲良くしましょうねー。10年下の世代に『あの世代楽しそう!』って思わせるのが目標です。


『帯をギュッとね』、あれ読んでMakiが柔道始めてたら、その知能レベルとか運動神経とかカリスマ性とかで、インターハイとか100%出てただろうね。そして本気の柔道家なったりして。ま、そうなってたら人生変わって、わしと浪人時代に出会うこともなかったかもしれんけどね!笑 

ま、それも全部ひっくるめて、縁ですわ。
返信する
同世代が満開 (Is)
2009-02-13 00:47:40
なんか、世代トーク満開って感じで。
いいですね~、同時代に呼吸をしてるしあわせ。
三浦展さんとかも分析してるけど、
やっぱり団塊Jr.の文化の隆盛はすごいね。
僕、弟、3つ下、3つ下といるけど、
やはり末の弟まで空くと、結構、
温度差を感じるね。エヴァとか全然なのね。

>maki女史、
新刊の待ち遠しさと言えば、高校の頃の『モンスター』と『ドラゴンヘッド』がクラスの仲間みんなで待ち望んでたような感じだった。あのワクワク感…最近あるかな~。
これが無いことを大人になったって威張ってるのは良くないのかもね。「ワクワク待つ」ってのも、「いまさら」や「いいものをいいと言う」みたいな基本事項として考えてみよっと。

川上弘美、読んでみようかな~。
昔、芥川賞とった短編読んだくらいで、不思議な感じくらいで止まっちゃってたけど、…この人は、小説の世界と作者の人柄が一致してる人ですよね。本人もほんわかしてる気がする。(ほぼ日とか、ちょこちょこでるよね。)

>いなば氏、
>「最近は、この幸福を一方的に享受するだけぢゃ罰当たりそうだし、世界にお返ししていきたいって本気で思ってるよ。微力だとは思うけど、自己満足ではない形でなんとかやっていきたいな。お返ししたい。give and takeですな。」
…ってとこ、
ぼくもホント同じく思います。
多分、ぼくらのこの30年くらいの幸福って、(それは明確な戦争や貧困にも遭わず、文化的にも質量共にものすごい成熟で)、歴史的にも世界的にも、多分これまで数え切れないくらいの子どもたちが生まれてきたなかで、間違いなく、トップクラスに恵まれた部類に入るのだと思う。
だから、ノーブル・オブリージネス。
恵まれた者ががんばらないと世界は良くならないと思うので。
恩返ししていこう!それも、楽しく!

先日ギロッポンジョジョエンで話してたときで「バチ当たる」話、したけど。
この科白が、真実みを持って言える年までは何としても生きながらえたいな~。
30の若造に言われても、説得力ないからな-。顔の皺とか増えるのも、そうした視点で見ると、ポジティブに捉えられる。「これでまた言葉に重みが出る…グシシッ」という感じで。
返信する
noblesse oblige!! (いなば)
2009-02-13 11:53:40
>>>>>>>>>>>>>>>Is

待ち遠しさで言えば、やっぱり小中学時代の『ドラゴンボール』ジャンプ連載時は毎週そのことばっか考えてたくらいはまったなー。でも、実は終わり辺りはほとんど覚えてない。フリーザくらいからどんどん記憶が・・魔神ブウとか忘却の彼方に・・。あれは、鳥山明大先生には悪いけど、ジャンプ上層部の圧力?のせいなのか、明らかに話を引き延ばしすぎだよね。神様出てきたりカリン塔とかセンズとか、初期の世界観は圧倒的だったもの。
中学時代は『ドラゴンヘッド』作者望月峯太郎先生の「座敷女」は流行ったね。
あと、同じヤンマガの「ゴリラーマン」ってのも中学の時、狭い中で一大ブームありました。

『ドラゴンヘッド』は、確かに高校時代大流行したよね。あの不安とかパニックとか。当時の気分にあxってたんだろうなぁ。瀬戸さんっておしゃれでかわいい女の子いたよね。


『ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)』は、熊本高校時代はよく言われた言葉です。
これも、当時は自分がひねくれてたから笑、悪い意味でのエリート意識みたいなの感じてたけど、今はその良さが素直に分かる。
これって、新約聖書から来てるんだよねー。
Wikipediaから引用すると、
****************************************
この言葉の意味する概念自体は新約聖書の福音書に由来している。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(「ルカによる福音書」12章48節)(新共同訳)。

F.A.ケンブル(フランセス・アン・ケンブル。1809-93。イギリスの女優)が1837年に手紙に「…確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族はより多くの義務を負わねばならない」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権はそれを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となる様に振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的な批判を受けることはしばしばである。
****************************************

まあ、多義的に使われてるみたいだけど、この言葉で素直に感じる、元々の語韻の方を大事にしたいね。



あと、熊本高校時代よく言われたのが『士君子たれ!』とかよく言われて、孔子の論語読むとやっと『君子』の意味が分かった気もした。
これは脱線。


年をとって老人になると、年をとるだけでさらに尊敬が増すような社会にしたいよね。そうじゃないと未来性もないし、僕らも希望が持てない。短期的な幸福とか、短期的な利益を追い求める社会ではなくて、お年寄りを大事にするような、そういう長期的な積み重ねを尊重していく社会にしたいね。それが真の意味でのスローライフだと思うのよね。今は時間の流れ方が異常に速すぎて、まともに思考しないで済んじゃう社会になりつつあるし。
この辺は、僕らの世代に託されてると思うから、ちゃんと考えていきたいなー。
返信する
感想の感想 (la strada)
2009-02-14 13:24:22
私のブログをこのように取り上げてくださって恐縮です。センセイの鞄、確かに、男性は入り込みにくい世界なのかもしれませんね~。そういう事は、思いもしなかったです。そういう意味で、村上春樹の本というのは、私からすると、男性的な世界なのかもしれません。男の人にしか分からないロマンとかこだわりとか、そういうのが、どうもある気がします。(それともあれは彼の生きた時代の独特のものなのだろうか。)。惹かれるけれども、やっぱりそこまで好きになりきれない世界。ドイツには、熱狂的なファンが多いですが。

それにしても、こちらのブログのコメント欄の広がり方ってすごいですね。素敵。
返信する
村上春樹は自分の中で時期を待ち中。 (いなば)
2009-02-15 22:25:41
>>>>>>>>>>>>>la stradaさま

いえいえ。la stradaさんのブログは、常にすごく知的なので、色々想像力を喚起されます!
勝手に色んなものを得て持ちかえっております。
お返しのお歳暮みたいなものでブログに書きました(笑)


川上弘美さんもよしもとばななさんも、男性が読むのと女性が読むのは全然違うと思いますねー。僕はかなり感じ入りました。


村上春樹はですねぇ。実はまだ時期が来るのを待って読んでないんです!これはIs氏とかShin.K氏に絶句されるんです(笑)。
読みたいんだけど、なんか時期来るの待ってるんですよね。間違いなく100%自分がはまるのわかってるので、とりあえず時期が来るのを静かに待ってるわけです。
ちなみに、ドストエフスキーも、あえて待っている作家の一人です。
カラマーゾフの兄弟、はまりそうだったのであえて一巻目の10ページあたりで止めたままです。めちゃくちゃ読みたいんですけどね。

きっと、読みだすと、異様にブログにトピック乱立させて感想を書き始めそうですけど。笑



このブログのコメント欄、ほんとドンドン脱線していくので、そこが予定調和的じゃなくてイイ!! みなさんにも自由に参加してほしいところです。
予定調和な人生なんて面白くないですしね。こうやって色んな友人との出会いは、運命のようでもあり、ハプニングのようなものでもあり、それも全て含めて、すごく面白いっていつも思います。

友人との出会い全般に関して、自分としては運命だと思っている派でもありますので、そういう出会いや運命を引き受けていけ入れたうえで、みんなとコメント欄とかリアル世界でもキャッキャと遊ぶのが、わしの人生の一番の楽しみデス。
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ハルキナイトかな? (Is)
2009-02-15 22:37:35
そうそう、村上春樹ね。
いなばさんのような
ここまで知的好奇心旺盛な人が、
村上春樹ヴァージンだなんて、
これは、奇跡だし、
もう、ネタにしてくれってことでしょう!
夏には最新長編も出ることだし、
(多分、ねじまき鳥、海辺のカフカに並ぶ、代表作になるのでしょう。)
これは、いなばさんにおすすめするべく、皆がマイ春樹ラブ話で盛り上がるみたいな企画ですかね!?グシシッ…!
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時満ちるのを待つ私 (いなば)
2009-02-15 23:50:25
意味もなく読むの我慢してるのよね笑


なんというか、魂の奥底から読みたい!読まねば!というものにとりつかれたら読もうかと。
時が満ちるのをまっとります。


夏に最新長編が出る!っていうのは、いつもIs氏から血管浮き出るほど興奮して話してもらってるんで、たぶん、その時期がわしの春樹デイズなんでしょうな。その発売前に、一気に読みまくる運命にあるんぢゃなかろうか。

ていうか、なんか読むの想像しただけで既に面白そうで興奮してるのよー。 早く読みたいな。

今は、医学の勉強の傍らに、仏教とか言葉の歴史とかを意味もなく勉強してるから、その後の楽しみ!
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新作が。 (la strada)
2009-02-16 08:08:08
そうですか。夏に新作が出るのですね!
シラナンダ。。楽しみです(好きになりきれなくともやっぱり気になる存在。)
偶然手にした「トニー滝谷」という映画は彼の独特の淡い光の、冷たい空気の世界をよく描いていました。http://sachiolin.exblog.jp/10086631/

時が満ちるのを待つってよくわかります。
私も最近その感覚で、読書していて、そうするとすごく体に沁み入って不思議。学ぶのでも、演奏するのでも、同じことが言えますね~
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