日常

3.11 4年

2015-03-12 01:10:08 | 考え
3.11は自分にとって重要な意味がある日。
自分も、自分の内なる声に耳を傾けて、耳を澄ました。
奥の奥の奥まで。

どういう社会、どういう未来をつくっていくのか。
今までできてしまったものはしょうがない。
過去のことを批判するのはやめた。
むしろ、感謝して受け取り、変容させることにした。
階段をひとつのぼる。

今までできてしまったものはしょうがない。
でも、これからできていくものは、自分なりの責任がある。
と、決めた。


3.11をそういう日と自分は位置づけた。
誰かが理想的な未来をつくってくれるだろうと思うのではなく、
自分が素晴らしい未来へと関与していくのだ、ということに、自分を巻き込んだ。


理想郷もユートピアも、どこか遠いところにあり、望むものではなく。
自分の周りにできていくもの。
そうすれば、動いても動かなくても、どこでもユートピアになる。

そして、それを共鳴させ、それぞれの人がそれぞれの人の周囲でユートピアを作っていけばいい。
少しずつ、焦らず、振り回されず。
その軌跡が人生となる。

それぞれが自分の持ち場で奏でる沈黙の音楽。
沈黙の音楽は、静かに共鳴の波紋を産み続ける。
それぞれが奏でる音楽は、一つのシンフォニーへ変容する。

それぞれが自分の持ち場で描く形のない絵画。
無形の絵画は、静かに感化し続ける。
それぞれから発される異なる色が、巨大な絵画となりタペストリーへ変容する。

黙とうしながら見えるものを見て、沈黙へと耳を澄ます。
ひとりでみる夢は夢のままだが、誰かと共有されると、それは現実になる。