うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

ガッコーというもの

2005年09月05日 | ことばを巡る色色
ガッコーになぜ行くのか、ということ、を考えてみた。
といっても、私でない人がどのようにガッコーを考えているかに口出しをできるはずもないので、私にとってのガッコーを書くことしか、私にはできない。
私は、きれいな履歴書で書ける過去をもっている。
「だから、あなたには何にも判らないわ」といわれれば、一言もない。
ガッコーに行かないあなたはわたしではないから、そう思うのも自由だ。
「きれいな履歴書の人の言うことなんてきれい事だ」といわれれば、そうかもしれないとしか言えない。だから、自分にとってのガッコーを私は書くのだ。だから、これは一人語りなんだろう。
さて、一人語りを始めよう。
私にとってのガッコーは、舞台だったし、武器を手に入れる場所だった。
前にも書いたのだが、私は、世間的には、マイナスな要因を持って育った。それは、物心ついてからの出来事だったので、私は強くそれを意識して毎日を暮らした。
神戸のあの事件の被害者の兄のその後のドキュメンタリーを見たが、彼は激しくそれを引きずっていた。彼も被害者なのに。きっと、犯人の少年の兄弟も違う形で刻印を押されているだろう。まだ、どちらもあの頃は小さい人だったのに。自分に非がなくても、被害者の兄弟であること、加害者の兄弟であることは、もうそれで否定のできぬものとして、人生に付きまとうのだ。良いとか、悪いとかそういうことではない。押された刻印が○印でも、×印でも押されていることは、変わりない。たとえば、それが背中にあるなら、服を着て隠すだろう。でも、自分は知っているのだ、背中にある刻印を。いつも、びくびくしている。誰かが暴いてしまわぬかと。そうして、自分が刻印を押された意味を考える。なぜ自分でなければいけなかったのかと。運命は、自分に何をさせたがっているのかと、刻印の文字を読もうとするのだが、解読不明なのだ。
刻印を押され、小さい人だった私は、復讐を誓った。私を選んだ運命に対する復讐である。
ゼッタイに、うまく隠し通す。そうして、シアワセになる。そうして、フツーの人の顔をして暮らす。そうして、何かの拍子に暴かれてしまっても大丈夫なように武器を持つ。私の刻印をあざ笑う人がいたら、それで、その人を刺すために。とにかく、その場だけでも何もいえないように、強力な武器が必要だと思った。容姿にも体力にも自信がなかったので、きれいな履歴書という武器を手に入れることを選んだ。
私は、そのためにガッコーへ行った。
フツーの人をやる舞台でもあったし、勉強をやって行って「すごいねー」とガッコーで言って貰ったりすると、その時だけ理不尽な刻印から逃げられた。
そんな不純な動機のためにガッコーは存在した。わたしにとって、それだけの意味のところだ。
だから、ガッコーがいらないと思う人にとって、ガッコーはいらないのかもしれないと思う。
だから、つらい人は、とりあえず、ガッコーに行っとけとも思う。
理不尽な友達やセンセーは居るけど、卒業したことに意味を押し付ける人は、たいてい理不尽な人なので、「ガッコーを出た」というだけで、その後、その手の理不尽は回避できる。大人になってもそんなことで人を判断するようなやつに、大人になってあーだこーだ言われるほど、人生は暇でもないし、大人になってそれに付き合うのはエネルギーの無駄だと思う。
こんな動機だったので、ガッコーはつらかった。特に中学はつらかった。中2のときは最初の鬱期で、食べ物がのどを通らないという日が長く続いた。本当に空腹なのに、口に詰めても嚥下できないのだ。夜も怖かった。横に誰かが居ないと、とにかく怖くてたまらなかった。夜は一人で留守番だったので、親戚を泊まり歩いた。でも、復讐だったので、ガッコーには行った。1ヶ月いくと「そろそろ、許されるよね」と思って、休んだ。高校は、中学よりはましだったけど、1年生のうちは、休み時間にトイレに行かないと不安で授業が受けられなかった。何度か鬱を繰り返すうちに、だんだん慣れてきた。とにかく、武器を手に入れなければ、フツーの人にならなければという思いが強かったので、鬱期も休んでいる時間はなかったからかもしれない。鬱をやるなら、もう少し暇になってからと思ってたのかもしれない。(最近は、付き合い方も上手になったので、鬱も長くならない。人は何でも慣れるものだ。随分オトナになってひどい鬱の人は、慣れていないのかなって思う)
そうして、大学に入った。私のできうる限りの、最強の武器を手に入れた。
そういうものが必要でなければ、ガッコーに行く意味はないのかもしれない。
でも、だれだってその気になれば結構勉強もできちゃうよねっとも思う。
大学の友達は、本当に楽だった。何かしら、人生に引っ掛かりを持っている人も多かったし、私の言いたくないことはほっといたままで私を受け入れてくれた。
そういう友達に会えたことは、本当に幸せだと思うし、大学に行かなければそういう人にも会えなかったろうと思う。

自分が理不尽なものにさらされていると思う人は、ガッコーに行くといいと思う。
残念ながら、理不尽なセンセー理不尽なオヤ理不尽なトモダチ理不尽な世間のオトナにほっといて貰うための最強の武器はガッコーへ行くことだ。それも、できるだけ、文句を言わせぬガッコーに行くことだ。
私はその武器を選んだが、世の中には別の武器もある。それを選択するならば、ガッコーとは別の道を行けばいい。
ただ、ガッコーは社会が長年をかけて作り上げたシステムなので、他を歩くと時間がかかってしまう。遊歩道を歩くか、けもの道を行くかというほどの違いだ。選択は自由だ。選択したからは、その道を胸を張って歩けばいい。「誰かにそうさせられた」と言わなければ、それはあなたの道なのだから。
そうして、急いではいけない。強い武器を手に入れるには、年月が必要だ。
(私は、10年弱の年月でこれを手に入れたが、手に入れたことで、腰を下ろしてしまった。本当はこの年月の中で学問が好きになっていたかもしれないが、その後きちんと勉強しなかったのは悔やまれるところだ。)

受け入れてはもらえないかもしれないけれど、つらい思いをしている、まだオトナでない人に、何か話しかけられないかと思っている。
何があっても、やっぱ、生きてることは、それだけで、ただしい。
人は、生きているために生きている。
そうして、生きていかなければならない。
あなたが、生まれてからの日々で、誰か一人とでも言葉を交わしたなら、話しかけたなら、
あなたは、生き続けなければならない。
生きているということはそれだけで、とうとい。


かささぎさん
ギビさん
kenさん
にトラックバックです。

できれば、一軒家@メモのko-ko-sei nikki てとーさんにも捧げたいけど、逡巡してます。

コメント (23)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小声で叫ぶ判断基準 | トップ | お誕生日のカード »
最新の画像もっと見る

23 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
生きるために生きる (かささぎです)
2005-09-05 21:33:03
今晩は うさとさん。今日は一日,うさとさんのコメントが朝から気になって気になって,家事もそこそこに,覗きに来ました。  有難うございます。



拝読して泣けてしまった。共通項が うっすらと見えました。 私には家庭からの逃避の場所だったガッコウ。取り敢えず今の学力で行っとこう,と選んだ大学。それでも学卒は世渡りの資格と思っていた。つまり,うさとさんと同じく,生き延びるための武器だと考えていたわけです(なので,単科大なのに卒業に6年も掛かった。その上,正直に言うと,勉強不足なんです。だから,今になってまだ勉強している)

うさとさんの話。解るような気がします。もしかしたら,重なるところは多いかも知れません。



ワタシ自身の話は・・・いつか,書き上げることになるかも知れません。書きたいとも思うし。依然躊躇している部分があるのも事実だけれど。



今までの経験のお陰で,今,陰のある生徒さんを御縁あってみさせていただいている,と,自分のことを振り返っています。



有難う うさとさん。



「生きるために,生きる」同じ台詞を,性同一性障害の人に私も話したのです,今夏・・・。そのまま,うさとさんから,自分へもエールを送られているような気がしました。

気を引き締めて,生きてゆきます。

返信する
こんにちは。 (Ken)
2005-09-05 22:44:59
TBいただきました。

僕も学校時代、というより、子供の頃から現在に至るまで、いろいろと引きずっているものがあります。

両親をはじめ、関係者が周囲にいるため、公開しにくい部分が多いのですが、少し時間をかけて、文章にしてみたいと思っていますので、しばらくお待ちくださいね。
返信する
わたしの昔きみの今 (ギビ)
2005-09-05 22:58:27
わたしは小学生のころ、それはそれは勉強のできる子供でした。けれど、わたしの学校では勉強のできる子、っていうのがあまり評価されませんでした。

塾は楽しかった。みんなアタマいいから。そこでとある、女子校に入りました。高校での募集がないのでイマイチ知名度は高くありませんが、まあそんなところに入ったわけです。

ところがわたしはそこで努力を苦痛だとおもうようになります。

成績の悪い子は部活とか人づきあいとかで生きて行かなければなりません。でも、それもわたしにはできませんでした。

そこでわたしは中高一貫から普通の、ほんとうに普通の女子高に入りました。

一番大切だった友人の退学。移動教室で独り取り残される恐怖。

そんななかで三人のセンパイと出会いました。数少ない救いでした。



しかしホシノ先生(児童精神科の先生、もちろん仮名です)は一年の単位はとるように、と云いました。

わたしはほとんどぼろぼろになりながら、通いました。



そして転校した今、わたしは学校が楽しくてなりません。すごくユニークで、オリジナル教科とかもあって、ともだちもできたし、先生とも仲良くなった。



今、わたしは受験にむけて勉強をしています。

かなえたい夢があるから。

「夢はそのままじゃただの夢のまま。誰かがそばにいなけりゃその夢がかわいそうだよ」

わたしの大好きな曲のワンフレーズです。



うさとさんにどんな過去があろうと、わたしはあなたをともだちだと思いつづけるでしょう。
返信する
かささぎさんへ (家主うさと)
2005-09-05 23:43:10
人にはやはり、核になる過去があると思います。それぞれの刻印を背負って生きているのかもしれません。かささぎさんが、私の聞いてほしいと思っていることを、まっすぐ受け止めてくださって、うれしく思います。



これから、だよね。



おいでくださり、本当にありがとうございました。

私も、気を引き締めて、いきます。
返信する
kenさんへ (家主うさと)
2005-09-05 23:48:14
お読みくださり、ありがとうございます。

差し障りというのは、ありますよね、周りの人もみんな、そばで暮らしているし。私も、これで精一杯です。簡単に書けるくらいなら、引きずることもないですものね。でも、やっぱし、避けては通れない。自分はこういうもので、できているからです。

kenさんの、いろいろに感謝申し上げます。
返信する
ギビさんへ (家主うさと)
2005-09-05 23:59:05
ギビさん。

トラックバックお受け取りくださり、本当にありがとうございました。

ギビさんがぼろぼろになって通ったお話を読んで、わたしもぼろぼろになってしまったように辛かった。

ギビさんが、そのときのギビさんが、かわいそうで仕方ありません。

でも、今、ここにギビさんは居る。それはギビさんが、ここまでの一日一日を、ちゃんと生き続けてきたからだと思います。捨てたくなる時も、ちゃんと歩いてきたから、ここに今、君が居る。

私を友達にしてくれてありがとう。

私は君の友達です。君は私の友達です。



返信する
うさとさんへ (こんどう)
2005-09-06 00:29:46
みんな過去を引きずっているのですね。

その事を書けば、すっきるするかもしれないけど

私には書けません。余りにも仮面が重たすぎて。

だから、被り物が私には似合うのですかね?

返信する
こんどう様 (家主うさと)
2005-09-06 08:22:48
こんどう様は、ビバアメリカで、ミロで、原始人な被り物の、こんどう様でしょうか。私はもう、百年以上、仮面を被ってるような気分で居ます。

仮面の人こそ、その奥の顔を語る価値がある!と私は思ってます。被ってない人なんて、話しても詰まんないとも思ってます。

別のこんどう様でしたら、ごめんなさい。

返信する
履歴書の空白 (猫わん)
2005-09-06 19:30:48
武器というのは、○○卒という肩書きということでしょうか。あるいは、その肩書きを武器に、さらに強力な肩書きを得られるというようなことでしょうか。ガッコーに関して、僕はそれくらいしか思い浮かびません。

高校は運動で入ったようなもので、部活さえやっていれば授業中に寝てようが別の教室で遊んでいようが通知表は3以上はもらえました。そういうガッコーでした。だからガッコーそのものの意味なんて考えたこともありません。大学に進学しなかったのは、ズバリ、体力の限界を感じたからです。笑っちゃいます。当時、発情期もとい思春期の僕にとっての重要課題は、どうしたら女にモテるか、この1点だったような気がします。

会社勤めをしていた頃は、自分が組織に守られていることに気づいていませんでした。自力で生きていると思っていた。退社してみて、まず驚いたのは、電車に乗るときお金がいる、ということです。そんな当たり前のことが、僕にはショックでした。屈辱でさえありました。あまりにも永い間、組織に守られ過ぎていたんですね。すっ裸で街へ放り出されたような不安感に苛まれながら、切符を買って、改札を通りました。

警察をはじめ役所での対応は、あからさまに違います。確定申告のとき税務署の若い女の職員から子供相手のような言葉で話されたときは、「おもろい!」とさえ感じました。収入によって人格まで決められてしまうんだと理解したからです。

こうして武器を放棄して、自由人になって10年ちょっとになります。最近ようやく慣れた感じです。丸腰で街をフラフラ歩く自分を、今はすごく気に入ってます。

とは言うものの、家庭もあることだし、不安や恐怖がないわけじゃありません。筋トレをやるのも、もしかすると代償行為なのかも知れないと、ふと思います。力尽きてさらにフンガァ~とダンベルを持ち上げるとき、僕は一瞬だけ、救われた気持ちになれるのです。体を強くすることで、頼りない自分を忘れることができるのです。それならそれでいいじゃないかと、僕は考えています。

自然体でプヨプヨの体で堂々と街を歩いている人は、本当に強いんだなと、僕はいつも、そう思って見ていました。でも、そういう人は、また別なヨロイをまとっているのかも知れませんね。



僕の履歴書には2年くらい空白が出来てしまいます。これを埋め合わせるのは大変です。

返信する
良いエントリですね (てとー。)
2005-09-06 20:46:32
こんにちは。迷っていらしたようですが、結局、TBを送っていただけたので喜んでいます。



共感する部分がとても多いです。この16年で、自分としては80年分生きたような気がするのですが、順調に行けばあと70年は生きなければなりません。ネットに書くことはできませんが、ずるずる引きずっている過去があるために、常に憂鬱になる要素は転がっています。この月をあと何度見るのだろう?と「ずーん」と絶望的になることもあります…だから夜は苦手。



それをまた自分のことと受け入れていければいいのですが、まだ癒されるという段階ではありません。とりあえず、生きてみよう、と自分を励ましつつ、朝早くがんばって起きているというわけです…とほほ。
返信する

コメントを投稿