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友達と知多に行ってきました。梅園を見て、露天風呂に入って、お昼を食べて、魚市場でトロ鯖の干物を買って。夕餉に焼いて食べました。ふくふく、あぶらのりのり。
友達が画像を送ってくれたんで、ちょっとアップ。
ふと、梅は文系で、桜は理系だと思った。
そうさ、私は梅派。
1.桜のように割り切っていない。
2.低木である。高く澄ましていない。
3.早い春の香りがする。
4.ぼんやりとして、豊かである。
そうして、梅は女で桜は男。
こどもの頃は、花見なんて退屈で仕方なかったけれど、大人になって「桜っていいもんだ」って思うようになった。でも、やっぱ、梅のほうが好きだ。
私は武士道なんて嫌いだ。同期の男の友情に酔ってるやつなんてアブナイと思う。国を危うくするのはそういう輩だと思う。ぱっと咲いてぱっと散るなんて、甘ったれた考えだと思う。生きることはもっと、ぐだぐだで、へとへとで、あがいて、おぼれて、育てて、生きていくことだと思う。
「潔く散っていくこと」が「品格」だろうか。潔く散ったその後に、腹をすかした子や、昼夜を問わず働かなければならない年寄り、女がいることは考えないのだろうか。国や企業が強くなり、民は平和ボケと呼ばれるようになった。その振り子を再び揺らさねねばと思う人たちがいて、本屋には、「武士道」本が積まれている。強さ、潔さを「武士道」と呼んでイメージすることは簡単だ。しかし、簡単明瞭なことはいつも危なさを内包している。人は面倒なことがいやだから、その一つの単語で言い下されることに身を委ねたくなってしまう。しかしそれは、そこからはもう、考えなくなるということだ。だから美しい言葉は危険である。すべての物事はそれぞれの事情を持っている。それを象徴的な言葉で断じてしまうことは危ないことだと、心に強く刻まなければならない。断じる「強さ」「潔さ」は、いつもいつも誘惑する。だから、いつもいつも、自らに問い続けなければならない。
でもさ、花吹雪だけは桜の勝ちだけどさ
友達が画像を送ってくれたんで、ちょっとアップ。
ふと、梅は文系で、桜は理系だと思った。
そうさ、私は梅派。
1.桜のように割り切っていない。
2.低木である。高く澄ましていない。
3.早い春の香りがする。
4.ぼんやりとして、豊かである。
そうして、梅は女で桜は男。
こどもの頃は、花見なんて退屈で仕方なかったけれど、大人になって「桜っていいもんだ」って思うようになった。でも、やっぱ、梅のほうが好きだ。
私は武士道なんて嫌いだ。同期の男の友情に酔ってるやつなんてアブナイと思う。国を危うくするのはそういう輩だと思う。ぱっと咲いてぱっと散るなんて、甘ったれた考えだと思う。生きることはもっと、ぐだぐだで、へとへとで、あがいて、おぼれて、育てて、生きていくことだと思う。
「潔く散っていくこと」が「品格」だろうか。潔く散ったその後に、腹をすかした子や、昼夜を問わず働かなければならない年寄り、女がいることは考えないのだろうか。国や企業が強くなり、民は平和ボケと呼ばれるようになった。その振り子を再び揺らさねねばと思う人たちがいて、本屋には、「武士道」本が積まれている。強さ、潔さを「武士道」と呼んでイメージすることは簡単だ。しかし、簡単明瞭なことはいつも危なさを内包している。人は面倒なことがいやだから、その一つの単語で言い下されることに身を委ねたくなってしまう。しかしそれは、そこからはもう、考えなくなるということだ。だから美しい言葉は危険である。すべての物事はそれぞれの事情を持っている。それを象徴的な言葉で断じてしまうことは危ないことだと、心に強く刻まなければならない。断じる「強さ」「潔さ」は、いつもいつも誘惑する。だから、いつもいつも、自らに問い続けなければならない。
でもさ、花吹雪だけは桜の勝ちだけどさ
遠くの空にこの空も続いている。
かの国の人に、
私の国は、腰抜けで、桜の美しさによっているのみよと伝えたい。
一夜限りだから桜は美しい。
それは、ハレの花。
その日ばかりは胸元の銀の入れ物入りのブランデーに酔いませ。
美しい花には毒があり、切れば血が流れる。
一夜、それに酔うが、人の定め。
明くれば、また、今日に戻っていこう。
「空知らぬ雪」韓国では黄色い雪が初めて降ったそうな。勿論、黄砂の仕業です。そういえば車の屋根の汚さは花粉とばかり思っていたけど黄砂だったんですね。
「桜の下は恐ろしい……」
坂口安吾だったでせうか?
古木の立派な桜の下には、死体が埋まっていそうだ。
漆黒に伸ばした枝は、天を突き破ろうとして、
尚、その届かぬ想いに悶えているようにも思えます。
風に舞う様を古人は「空知らぬ雪」と形容しました。
散り散りになる桜の花びらに、死に際の狂気めいたものを感じ、
まさに「狂い咲き」とは言いえて妙。
桜のその高さから「楼閣」うむ。納得。
梅はどことなく伝統的な美を感じます。
桜が美しいなら、梅は愛らしいてな風かな?
しかし、それは個人的なグラフィカルなイメージ。
花びらの形状は梅の方が、淫靡な風でもありますな。
これまた性病に「梅毒」とはまたロマティックなネーミングだ。
今年も花見が楽しです。
夜桜の下で、首からぶら下げたブランディーをちびちび飲りながら
「あぁ、また1年……」と感慨深げに、白髪の増えた彼の横顔を
盗み見るのが至福である。
花は自らにつけられた名札を知らず、とき満ちれば咲いて、散る。そのように生きることは難しいけれど、せめて、少しだけは凛と生きたい。
かささぎさんは、桜だけれど、秋には実をつける桜。
まさに花のように凛として、美しく潔く生き切りたい。そのために対を成す意味で死ぬことも見つめ続けるというように、わたしは勝手に武士道を捉えておりました(「葉隠れ」も似た感じで捉えているのですが)。
梅のうさとさんは、凛として薫り高く生きる在り方で。
祭の終わりを告げる桜の散り際、わたしは好きですが、自分が何花なのかは判りません。。。(あー記事書かなくちゃ)
迷惑をかけられて後始末をさせられて、
それもたのし、
うんうん、納得納得。
ふと、一粒の麦もし死なずば、を思い出しました。
しかし、それは遠くで愛でるもの。かな。
小川探検ツワー
春はうららで、たったかた。
どうぞ、お誘いをお待ちしております。
詳細分かったら、教えてくださいね。バルタンさん。
コメントありがとう。やっぱ、猫わんさんの言うことは面白い、くすぐられる。
生死観、死生観。死を見据えて生を考える。生の完結として死を考える。それは男女観と表裏をなしている。興味深く読ませていただきました。
「名刺」を持って生きていく男の人にとって、「武士」という表明は心強いものでしょう。しかし、かわいそうなものです。病気のときも死ぬときもその名刺は(奏して札束も)紙くずになってしまう。それに気づいている「武士」はどれだけいるのだろうか。
私は別にフェミニストでもサードな人でもないんですが、みんなが強弁で推し進めようとしている組織ってそんなに意味のあるものなのかなって思う。
でも、「名刺」を信じてるって、ある意味幸せだよね。変えればご飯があって、お風呂が沸いていて。
梅肉も甘い紀州梅も大丈夫なんですよ。赤いお漬物がちょっとダメ。紅生姜もちょっと苦手。その原体験は未解明です。
そうそう、人生は味わいよね。
これは、失礼しました。
でもね。
川下りしながらの景色、これがまた、違った風情がありれましてね。
岐阜の街が全然、見たこともない角度から眺められる。
絶好のチャンスどすえ。
梅は生
桜は死
・・・ですね。
あくまで僕のイメージです。
別な表現をするなら、
梅は実景
桜は虚影
「武士道」を定義するのは難しいです。「武士道」と聞いて僕がまず思い浮かぶのはヒクソン・グレイシーです。でも、彼の言う「武士道」は「武道」と言い換えた方が適切な気もします。
組織とか群のシステムとしての武士道という捉え方をすると「国のために花と散る」みたいな思想になっていきそうです。これは、飛躍すると、坊さんや神主さんを殺すと罰が当たるという永年のタブーを壊してしまった人たちがいて、その人たちが、男の社会を作るために立ち上げた思想のように思います。
ですから大雑把に言って、シャーマニズムを完全に壊したのが武士道だと僕は認識しています。
史実に出てこないような太古から呪術師が政をリードしてきました。国のトップは女性だった。呪術師は、土地や空のエネルギーを感知して、人や動物のオーラを見て、人々に伝えてきました。
武士が登場して以来、僕ら日本人は、そういうチカラを日陰に追いやってしまったのかもしれません。
すっぱくない蜂蜜梅ってのもあるけど・・・・
人生すっぱいって言っちゃダメです。味わいがあるって言ってくださいまし^^
え、ボートで!!
私は歩いてって思ってたんですが、
いやいや、いいですね、私のような鈍いやつでも大丈夫でしょうか。
ああ、なんだか、やりたいやりたい。
お越しくださり、本当にありがとうございます。
「凛」と生きることは、私十代よりの目標です。
それが、酔った人々の中で手垢にまみれるのを見るのは寂しいことです。
「潔く生きる」おっしゃるとおり、その「生きる」部分が大切だと思います。ありがとうございました。また、お声を残してください。楽しみにしております。
やっぱ、梅やよねえ。
風情がいい。人生の奥深さを知ったってことでしょうか。へへ。
(ところで、私は梅干がダメです、人生がすっぱすぎるので)
川下りがしたい?
今季のエヌエスネットのE-ボート講習会にこられますか?
ビニールのボートに乗って川下りをします。
オールのこぎ方扱い方を指導していただけますよ。
さて、本来的な意味ならば、名誉のために「潔く」死ぬことも武士道ならば、恥をしのんで生きていくことも武士道だったはずなんです。あなたがおっしゃるとおり、生きることはしんどくて辛いもの。それを耐え忍び、凛として「潔く」生きていくことも本来の武士道だったはずなんです。武士道とは、人として生きていく上でのバランス感覚みたいなものを説くものだったはずなんです。
僕は武士道という言葉や精神が大好きです。世界に誇るべき日本文化や精神の精華だと思います。しかし、当の日本人自身がその武士道の意味を取り違えている昨今の状況は、実に嘆かわしい限りです。おそらく、最近の武士道ブームは、「”潔く”生きろ!」、ということを言いたいがあまり、「潔く散れ」、というように書いてしまっているのかもしれない。それはやはり言葉が足りない。人を啓蒙する立場の人間がそんな程度であること、そのことこそが、国家を危機にさらすのだとおもうのです。
いきなりやってきて長文すみません。
出羽桜、黄桜、さくらの刺身
。。。。ん?食うて飲んでばっかりや~ん^^;
ちなみに、オイラは最近梅が好き。
ブログでお友達になった(会った事はないけど)蒼天さんが作品を作ってらっしゃいます。
梅→http://ameblo.jp/souten2005/entry-10009629342.html
桜→http://ameblo.jp/souten2005/entry-10007780318.html
どちらの花も、春になれば咲き、時期が来れば散る。人はそれを愛でるのですよね♪
梅が枝餅、梅昆布茶、桜茶、
うう、続かん・・・
花も、人間も始末のつけ方は難しい。
同じものを「美」と呼び「ごみ」と呼ぶ。
酔わずに散っていけるなら、そして願わくば、人を酔わせることができるなら。それでも、遠くの海に流れていけるなら。
梅:梅大福。
桜:桜餅。
桜は美人薄命、潔さが愛でられるが一方で卑怯だとも思う。一斉に散ったこびり付く桜花の処理まで残された人がさせられる。
黒っぽい車に桜の花が全面に散りばめられるととても綺麗です。花車!けど、後が大変!梅に比べ大変労力が掛かります。
花吹雪にうっとりしているうちはいいんだけど、飛ぶ鳥跡を濁さんで欲しい。隅田川の桜のように水が処理してくれれば楽なんだけどな。