うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

1982

2008年08月04日 | ことばを巡る色色
最近ちょっと気になっていることがある。
おじさんの運転がゴーマンであるということだ。おばさんの運転は許せる。とりあえずすまなそうな顔をしてくれる。しかし、おじさんにとって公道は自分のものだ。すれ違えないところではけして譲らない。曲がるところはとにかく自分が先に曲がる。かつ、にらむ。けしからん、どけどけ、である。最近は小さい車に乗っているゆえか、それが顕著である。おじさんの車かあ、しゃあないぜ、とけんかは買わぬことにし、やり過ごすのだけれど、さぞやご家庭でも我が道であろう。団塊の人々が老年にさしかかっている。団塊の人々はとにかく元気だ。さすが数を乗り越えてきた人々は違う。やたらと競りたがっておられる。1950年生まれ前後の方々は、このにらむおじさんよりは少しお若いのだろうが、その方々もまた、ドライバーとしてはやや恐怖である。彼らはステイタスとして車に乗れる世代なのだ。乗ってる車もえらそうなものが多い。元気な団塊の人々は定年で野に放たれ、元気にボランティアなどをなされるのだろう。その中には潤沢な老後資金をもたれる方とそうでない方の格差も生じる。またここでも競り合いがなされるのだ。そうしてより恐ろしいことに、団塊の世代の人々は自分が他の世代より元気なジェネレーションであることに気づいておられない。
他の世代といえば、自殺統計から1930年前後生まれの人の自殺率が高いというのを何かで読んだことがある。確かに幼い頃が戦中戦後であり、その後の経済成長期と価値観の振幅は大きかったであろう。この世代の人がにらむおじさんに多い。世間体を気にする時代から、個の時代の転換でもあり、世の中との間のとり方が不安定な人が多い気がする。そういう人が育てる子はどうなるだろう。子は、団塊世代直後生まれと言うことになる。おおよそ、1955~1960生まれの子。学生運動が吹き荒れた後の砂塵の中で学生時代を送っている。世の中は学歴社会といわれ、親は世間体におびえる最後の世代だ。学校では、がんばれば高みに登れるといわれ、家では、お前だけはいい学校行きなさいといわれたであろう。学歴を手にした者は虚構の優越を持ったし、そうでなかった者は、その後の人生の挫折を、手に入れられなかった物のせいにしたかもしれない。
密かに1982年生まれは危ないといわれているが、1982年生まれの親は、この1955~1960生まれの世代ではないか。そしてその親の1930年生まれは自殺願望を持ち続ける世代。
何が、危ない1982年生まれを作ったか。
最近の報道は加害者の親の責任を追及しない方向である。その割りに親がインタビューによく出てくる。あの子には自分も困っていたという言葉に違和感を持つ。そう、親のみのせいではない。親も、その親に育てられた。親の責任はその親の責任であるかもしれない。
1930年の不安、1950~1955の執着、1982の逸脱は家族の中でつながっている。
世代を論じるとき、その成長期の社会背景が語られる。1982年生まれの場合は、ゲーム機の普及などが問題とされる。だが、それを熟成した親の世代こそ、考えられるべきではないのだろうか。テレビで子の犯行を謝罪する親は、モザイクをかけられていても、その家庭が短くはない間、混乱の中で病んでいたことをあらわす。
個であっても、自分が育った世代の空気から逃れることはできない。まずは、自分がどんな世代の親に育てられ、どんな時代に育ったか、他の世代と比べてどうであるかを自覚する必要があるだろう。年を重ねたものは、過去を懐かしむより前に、そうすべきでなかろうか。
コメント (19)
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