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お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

春に読みたい絵本

2011-04-25 | my Anthology


”カリフォルニア”というと、なんとなく一年中陽光きらめく暖かい土地という印象があるのですが、実は、北カリフォルニアの冬は雨期です。毎年ハロウィンの頃から降り始める雨は、2月のバレンタインデーを過ぎるあたりまでずっと降り続きます。”カリフォルニアの青い空”などどこへやら、冷たい雨に加えて、時には激しい雷雨や集中豪雨の”冬の嵐”もしばしば。毎日どんよりした日がつづきます。

そんな冬の楽しみのひとつは虹です。雨が通りすぎたあとにちょっと陽が射すとすぐに虹がかかるのです。広い空一杯に大きくフルブリッジの虹がかかることもよくあり、また、時には、高速道路を走りながら、何マイルにもわたって、くぐってもくぐっても何重にも虹が重なって見えることなどもあって、そんなときは、なんとなく「良いことありそう!」な気がして嬉しくなります。(ブログ記事:『晴れのち曇り ときどき雨 ところにより雹』)

さて、しばらく雨が続くと、春から初秋まで毎日晴れ渡る砂漠型の気候で完全に”夏枯れ”て茶色くなっていた丘や野原に短い草が生え始め、ぐんぐん育ってやわらかい緑で丘を覆います。そう、日本と違って……と言うよりも、”冬枯れ”で茶色くなる日本とは反対に、北カリフォルニアでは雑草が青々と芽吹くのは11月から12月、まさに冬の最中なのです。年が変わって立春を過ぎるあたりから、日当りのよい斜面に野生の水仙や菜の花が咲きはじめ、そこから春がひろがってゆきます。

スタンフォード大学のキャンパスの裏にひろがる丘の斜面に牛が放牧されるのもこの頃です。緩やかな斜面をゆっくりと移動しながら、時には小雨の中でも、のんびりと日がな一日草を食んでいる牛たちを見るたびに思い出されるのが『Ferdinando』。闘牛になるための気の強い牛を育てる牧場で生まれ育ったのに、なぜか花が好きで花が好きで、日がな一日花の匂いを嗅いでばかりいる「花の好きな牛」のお話です。春だなぁと思ったら、必ず読みたくなる一冊です。

女の子が森へ遊びに行って、いろいろな動物や虫に出会うお話『わたしと遊んで(Play with Me)』もいかにも春らしい絵本です。薄い黄色を基調にした柔らかな色づかいと繊細なイラストを眺めるだけでいかにも春の気分に慣れること請け合い。森の木立の間にある小さな池のほとりに座った女の子の頬をなでる風の暖かさや、目を閉じた女の子の鼻をくすぐる新芽の匂いや花の香りまでがただよって来そう。女の子が着ているワンピースもいかにも春の風情です。

春の日差しは皆を外に誘い出します。我が家の周辺も、この1-2週間、急に散歩に出てくる犬が増え(それも子犬が多くてかわいい!)、乳母車に乗った赤ちゃんが増えました。ジョギングする人も薄着になり、軽々と明るい表情で走っています。

そんな春の日にぴったりなのは、”お散歩”や”お出かけ”のお話ですよね。最初はいいお天気に誘われて”船遊び”に出たのはガンピーおじいさんです。ひとりでのんびり川下りを楽しむつもりが、「ねぇ、乗ってもいい?」「ぼくも乗せて」「わたしも!」と次々に動物や子どもたちがやってきて、船はいっぱいになってしまいます。『静かにしているんだよ』と言われたのに、みんな、やっぱりはしゃいでしまい……とうとう船はひっくり返ってしまいました。『Gumpy's Outing』。

「きょうは、いいてんき!」とのんびり散歩に出かけたのはゾウ君です。
「ゾウ君、どこ行くの?」
「散歩だよ、いっしょに行こう」
ところが、出会う動物たちはみんな
「ねぇ背中に乗せてよ!」
「背中に乗せてくれるなら、ね」
気のいいゾウ君は「うん、うん」と言って、皆を次々と背中に乗せてあげてお散歩を続けます。
でも、だんだん重くなって、ついに……水たまりにばっしゃ~ん!
でも、大丈夫! みんなにっこにこ! きょうはいいてんき!
この日本発の「ゾウくんのさんぽ」は英訳されて出ています。『Elephee's Walk』。

さて、春と言えばニンジン! 春だなぁと思ってから種をまいても間に合うのが嬉しい。芽吹いたばかりの新芽はちょっとポピーに似ていますね。ニンジンと言えば、この絵本! お百姓さんが丹精こめたニンジン畑の誘惑に逆らえず、やわらかくておいしい盛りのニンジンを、次々と掘リ出して食べてしまったのは? そう、おなじみの『ピーター・ラビット(Peter Rabbit)』です。またニンジンと言えば、忘れてはいけないもう一冊は『The Carrot Seed』です。ニンジンの種をまいて一生懸命育てる男の子のお話は、きわめつきにシンプルで”超”がつくくらい短いのに、イラストもお話も含蓄があると評判。ロングセラーの人気絵本は、子どもだけでなく会社の研修のテキストや、起業家の間で幅広く読まれているそうです。

そして最後は、私の大好きな「木」の絵本です。春は木も美しい季節です。葉を落として、冬風の中でくっきりと細く尖っていた梢が、春の日差しをあびてだんだん白っぽくゆるんできたな……と思っていると、やがてほどけるように、やわらなか小さな葉がでて来て……あっと言う間に輝く新緑になります。そんな様子を身近に眺めることのできる木があるのは、実に楽しいものです。  『A Tree is Nice』。

芽吹く前には、よく目をこらしてみないと見落としてしまうのだけれど、梢の先に小さくとまって寒い冬風に耐えて春を待っている”冬芽”は、それぞれの木によって形も色も十人十色の個性派ぞろいです。日本には、そんな冬芽ばかりを、一つずつじっくり撮影した写真集絵本『ふゆめがっしょうだん』があります。本当に「木の芽の写真」ばかりが載っているのですが、これが実に可愛いのです。図鑑としても使えそうなデザインで、でも、小さな子には絵本としても十分楽しめます。2月生まれの我が家の娘は、2歳になるちょっと前、寒くてお散歩に出かける気持ちわかない日に、こたつでこの絵本を初めて読んだのですが、読み終わるや、すっくと立ち上がって「ふゆめ、見に行こ!」と宣言。とっとと玄関に行って靴を履きました。そんな、なつかしい思い出のある絵本です。

春に是非読みたい絵本も、たくさんありますね。




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絵本で学ぶ アメリカの『常識』

2011-04-18 | my Anthology


小学校4年生でニューヨークから日本に戻った帰国子女の友だちが言うには、学校で一番困ったのが「ラジオ体操ができなかった」こと。2学年上のお姉ちゃんと毎朝オロオロ……。仲間同士のランチで「いまだから笑って言えるけど、ストレスで登校拒否になりそうだったのよ」と、今更ながら慨嘆することしきりでした。ラジオ体操と言えば、日本人なら誰でも、あの音楽とともに自然に体が動いてしまうほど記憶にしみ込んだ、まさに『国民的教養』ですが、それだけに、海外育ちでは絶対に身に付かない『常識』でもあります。

アメリカの幼稚園からそのまま日本の小学校に入学した娘が、最初の週に帰宅するなり言いました。「マミィ、クラスの子が誰でもできるのに、わたしだけできないことがあったの……」。「なぁに?」と聞いても説明ができないまま、私の手を引いて学校に行った娘が「これ!」と指差したのは、運動場に一定間隔で埋め込まれた自動車の古タイヤ。そう『タイヤとび』ができなかったというのです。結局、翌朝7時前に登校して練習したのを覚えています。

『常識』とは、人間が成長していく過程で自然に育まれるもので、そのコミュニティで育った人は誰でも知っていることです。ですから、そうした環境に他所からポンと”投げ込まれた”人は、さあ大変! 自分以外は誰でも知っていることなので、今さら「それな~に?」「どうして?」「どうやるの?」などと大きな声で尋ねるのも憚られ、ひそかに悩むことに。帰国子女ならずとも、オロオロ……する以外ありません。

張り切ってアメリカに留学した友人は、最初のクラスで「出席」を取る教授にどう答えたらいいのかわからず、他の学生たちの反応を必死で眺めて、つじつまをあわせたと語っていました。私は勤務先の大学で、教授/学生が日常的にファーストネームで呼び合う教室風景に驚愕しました(ブログ記事:『たかが呼び名、されど呼び名』)。学校だけではありません。始めての海外暮らしでは、ショッピングをしても(ブログ記事:『アフタークリスマスの恒例イベント』)、お昼にサンドイッチをオーダーしても(ブログ記事:『注文の多い料理店』)、ほんの”ちょっとした”ことで毎日のようにカルチャーショックを受けることになります。

大人でもこれだけのストレスを感じるわけですから、小さな子どもたちはさぞや。でも、子どもたちの順応力の高さに期待しつつ、そんな『常識』を学ぶ格好の手段のひとつが絵本です。実際、小さな子どものための絵本は、まさに常識の宝庫。短いテキストやきれいなイラストの中に、実は、その社会で生きて行くための基本的な知識・常識が満載されています。ひそかに悩んでいるお母さんも、読み聞かせながら「へえ~そうなんだ」と「大人の常識」を身につけられる、というおまけつき。カルチャーショック解消にも、絵本を使わない手はありません。

まず、どこの家庭にも必ず一冊はある『ABCの絵本』は、常識を学ぶ基本のテキストです。凝った絵本の必要はなく、『 Colors, ABC, Numbers』など、ごく一般的なもので十分。これらの子ども向けの特定の単語がアルファベットと一緒にすらすら言えると、けっこう日常会話に使えます。たとえば電話で単語の『綴り』を説明する時などに大いに役に立ちます。日本語では、「ナニヌネノのナです」なんて説明しますが、英語の場合には、"A as Apple"(アップルのA)というように説明します。こういうとき例に挙げられる単語は、たいていABCの絵本に出てくるようなもの。だから絵本に登場する単語を知っておくと便利です。日本人が発音しにくいのは、RとL、NとM、BとVなどですが、ちなみに[BはBoy]、[VはVictory]、[NはNancy]、[MはMary]、[RはRainbow]、[LはLion]あたりが一般的。こうやって説明しながら綴ると、相手に間違いなく伝わります。

さて、簡単な会話表現なのに、日本人は案外上手に使えない、必要十分なだけ言えていないのじゃないかと思われるのが"Thank you"と"Excuse me"です。アメリカでは"Thank you" を言う機会の多いことは驚くばかり。いくら言っても言い足りない感じがするくらいですが、頻繁に使われるのは”Excuse me"も同様。ほんのちょっと場所をあけてもらうときも、込み合った場所で人の体に触れてしまったときも、相手の言葉が聞き取れなかったときも"Excuse me"ですし、人前でくしゃみをしてしまったり、万一にもゲップが出てしまったら、それこそ間髪入れず"Excuse me!です。そして、大事なのは、"Excuse me"と言って、場所を空けてもらったら、必ず"Thank you"と結ぶこと。ここまでがセットです。最後の"Thank you"を言わないと、最初の"Excuse me"が「すみません、通してください」ではなく「どけ!どけ!」と言ったのと同じことになります。だから"Thank you"を言わないで行こうとすると、皮肉たっぷりに"You are welcome"なんて言われちゃうことも。くれぐれも要注意!です。小さな子どもには、こんな絵本を使った練習はいかがでしょうか。『Excuse Me!

アメリカ暮らしで困ったのは、難しい英語表現ができないことよりも、超簡単(なはずの)日常表現が簡単に口から出てこないことでした。たとえば子ども相手に「あ、そこのそれとって、あっちに置いてね」というようなことがすらすらっと言えないのです。でも、絵本を読んでいると、こういう日常会話がだんだん身についてきます。私ははじめは擬音語や擬態語がまったく言えず、往生しました。そう「キィッときしむ」とか「ぐちゃぐちゃぬかるんでいる」とか、「ぬるぬるする」とかが言えないのです。だから「これでもか!」って言うくらい擬音語、擬態語づくしの絵本に出会ったときは快哉を叫びました。『We're Going on a Bear Hunt』。リンゴの歯触りも、マシュマロの口当たりも表現できませんでしたが、これらはそもそも知らなかったと言った方が正確。こういう表現も、やはり絵本で覚えました。それから動物の鳴き声。これがまた日米で違うんです。でも、大丈夫。これは、まさに絵本の出番! ひよこは?猫は?犬は?牛は?----『Who Says Quack?』と懇切丁寧にひとつずつ教えてくれます。

『ラジオ体操』こそないけれど、アメリカにも国民的教養というべき、誰でも知っている歌や手遊びやゲームは実にたくさんあり、これらができないと、やっぱり幼稚園でオロオロ‥‥することになります。大人たちも、時にはふざけて子どものようなゲームをするので、職場でもときどき困惑することがあります。そんな中でも『Five Little Monkeys』はクラシックで、プリスクールのサークルタイムにも度々登場します。年中行事の歌で、とりわけ重要なのはクリスマス。クリスマスの歌は実にたくさんあり、それらはすべて国民的教養というべきアメリカの『常識』。パーティには欠かせませんので、おとなもシャンペンで酔っても歌えるようにしておきましょう。『Wee Sing for Christmas

アメリカ人はジョークが大好き! 子どものときからしょっちゅう冗談を言いあいます。しかし言わずもがな、ジョークも『常識』とか『教養』とかがないとなななか楽しめません。これも子ども向きの絵本参考書があります。『Knock, Knock, Who's There?』 こういユーモアのネタは、子どもと遊ぶときだけではなく、大人の会話にも案外と役に立ちます。でも、もちろん子どものだじゃれはアメリカでも実に無邪気。たとえば”See you later alligater!”とか、"Icecream makes everday Sundae (Sunday)" なんていう、他愛のない可愛いものが一般的です。だじゃれは、洋の東西を問わず、同音異義語を使った音遊び。このときに役に立つのはライム(韻)の知識です。これも日常使う程度なら絵本が一番。『Lyle Lyle Crocodile』はおススメの一冊。

絵本って、やっぱり国民的教養の書なんです。




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ことばのない絵本

2011-04-11 | my Anthology


『絵本の読み聞かせ』というと、やはり「お話がついている」ことが、なんとはなしに前提になっています。子どもの目は『絵』を眺めながら、お母さんが読んでくれる『お話』は耳から入り……そのうちだんだん目が閉じて、子守唄のようにお話を聞きながら寝入ってしまう……この快楽こそが読み聞かせの醍醐味です。

でも、折々ご紹介してきたように、いわゆる物語や説明のテキストが全然ついていない『字のない絵本』、つまり絵だけで構成された絵本にも、優れた忘れがたい作品がたくさんあります。

私たち親子にとって思い出深い『字のない絵本』といえば、まずは「It Looked Like Spilt Milk"(こぼれたミルクみたい)」です。渡米直後の娘が、3カ月だけ通った両親参加型のプリスクールで、先生が下さったのがこの絵本。表紙から裏表紙までの全ページが、青空に浮かぶ真っ白な雲の絵だけ。まるで芝生に寝転んで空を見上げているような気にさせられる絵本です。「この雲、何に見える?」「ソフトクリームだぁ!」「カップケーキじゃない?」なんて親子で話しながら「眺める」絵本ですから、どこから読んでも、どこでやめても全然かまわない構成。娘にとっての初めての英語の絵本でした……と言いたいのですが、もちろん、英語だろうが日本語だろうがアラビア語だろうが中国語だろうが、語る言葉にも関係なく楽しめる『ことばのない絵本』でした。

渡米したてで文字通り英単語の一つもわからず、ついに一言も口をきかなかった娘に、クラスの最終日、先生はゆっくりと噛んで含めるように「毎週通ってきて偉かったわね! 絵が上手なのよね~。はさみもすごく上手に使えるのよね~。また会おうね!」と話しかけながら、この絵本を手渡してくださいましたが、実は、『ことばのない絵本』は、もしかすると母親の私への配慮だったのかも……と今にして思います。というのも、両親参加のクラスで先生を手伝いながら、当時の私は、2-3歳の子どもにわかるような簡単な英語表現がまるっきり出てこなくて、いつも立ち往生。とにかく「話せなかった」のは、私も娘以上。なにしろ「ねぇ、ちょっとそれ取って。あっちに置いて」とか「あ、危ない!もっと、そおっと持とうね!」みたいな、フツーの表現がまるっきりできず、子どもとの日常会話はなんてむずかしいの!とため息ばかりついていました。だから、きっと先生は私も娘並みに全然英語がわからないと思われたのではないかしら?

さて、同じ頃に繰り返し読んでいた『字のない絵本』は日本から持参した絵本でした。日本のアーティストによる絵だけの絵本と言えば、そう、安野光雅さん。Anno's Journeyシリーズとして、アメリカでも知られている「旅の絵本」はむしろ私のお気に入りで、娘が大好きだったのはアメリカでは数の絵本 Counting Bookとして紹介されている「10人のゆかいなひっこし」。何度も何度も繰り返して読んだ(眺めた?)なつかしい絵本です。

英語のタイトルが「Anno's Counting House」と知ってちょっと意外でしたが、でも、そういわれてみれば、見開きページを繰る前に「両方のお家を合わせてちゃんと10人いるかな?」と数えるのが楽しい一仕事ですから、たしかに「『数』の絵本でしょ」と言われれば「なるほど」です。細かなディテールまで、それはそれは丹念に描きこまれた安野さんの絵本は、とにかく美しく、日本にはこんなにすてきな絵本作家がいるのよ!と娘に自慢しながら読み聞かせていました。

世界中で読まれているロングセラーのことばのない絵本といえば、たぶん「The Snowman」(邦訳:雪だるまの冒険)でしょう。絵だけの絵本ですが、テキストが文字で書かれていないだけで、明らかに物語はあり、つまりは物語を絵だけで表現した絵本です。

絵本の刊行は1978年でしたが、これに、すばらしい音楽をつけた映像作品が1982年のクリスマスイブにテレビ放映され、爆発的なヒットとなりました。以来”The Snowman”は、毎年クリスマスが近づくと必ず流される定番作品のひとつとなりました。いまでも世界中で愛されています。

物語のある、でも、言葉のない絵本を得意とするのは、トミー・デパオラ(Tomie DePaola)です。ハロウィン定番の「Strega Nona」も、先月ご紹介した「Pancake for Breakfast」もベストセラー。物語性豊かなイラストのためでしょう、字のない絵本であったことを忘れてしまいそうなくらい、読後には、なぜか鮮明に物語の展開が記憶にのこる不思議な絵本です。

一方、ストーリーがあると言えばあるし、ないと言えばない、とも言える絵本もあります。読みようによっては哲学的に深く読み込むこともできるし、単に作者の視点の据え方、視点の変え方に驚かされるのを楽しむこともできる、ちょっとシュールな絵本です。ひとつは「Zoom”」。カメラの焦点距離を変えるだけで情景が一変するように、焦点距離を変え、視点を変えると、物事の意味までが変わるのだということを、ありありと実感させてくれる絵本です。なかなか含蓄があります。そしてもう一冊は、先月ご紹介した「Flotsom」です。過去も現在も未来も一続きであり、そして、ここと彼方とは物理的な距離を超えてつながっているのだ……と理屈でなく、じかに心で気づかされる絵本です。何度読んでも眺めても、そのたびに想像力を刺激されるユニークな絵本ですから、小さい子から大人まで息長くいつまでも楽しめます。

さて、最後に、絵本というより、むしろ全巻アート作品というべき絵本のご紹介です。それこそ「言葉はいらない!」という絵本です。今月ご紹介した「One Red Dot」がまずはその代表。飛び出す絵本(pop-up book)というよりも、まさにポップアート(pop art)です。同じように、一冊丸ごと作品にしてしまった絵本で、ぜひもう一度ご紹介しておきたいのが「Beautiful Oops! 」。こちらには、実は、ちょっとだけ言葉が入っているのですが、四捨五入せずとも、ほとんど言葉のない絵本に入れてかまわないと思います。ぜひ、一度お手に取ってご覧ください。



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新学期に読みたい絵本

2011-04-04 | my Anthology


4月。日本は新学期。入学そして進級の季節です。新しいランドセルにちょっとはにかみながらも、おおいに張り切っているぴっかぴかの一年生たち。今週はそんな新入生に贈る『新学期に読みたい絵本』をご紹介しましょう。

いよいよ入学。はじめての学校は、楽しみなような、実はちょっと不安なような……。「もういくつ寝ると」と指折り数えて(countdown)、あれこれ準備しながら待っている”新入生”親子の気持ちはアメリカも日本も同じです。

でも、アメリカと日本では学校制度が異なり、こちらでは小学校入学前に、子どもを---学校という集団生活に慣らすための準備期間---として一年間の『幼稚園(Kindrgarten)』が置かれ、ここからが義務教育のはじまりです。ですから、アメリカで”はじめての学校”とは『幼稚園』。親子ともドキドキの、ぴっかぴかの一年生は、実は幼稚園の新入園児です。

従い幼稚園は義務教育の一環で、小学校入学準備のためのもの。ですから普通、幼稚園は小学校の敷地内に隣接し、組織的にも小学校の一部として扱われます。出入り口も一緒で、グラウンドや講堂も、時にはランチを食べるテーブルも小学生たちと共有。『全校集会』に小学生と並んで出席することもあります。校長先生も小学校と同じなら事務室も一緒。先生方も小学校と幼稚園を通して人事異動があります(幼稚園教諭は小学校教員資格と区別がない)。これは日本とはまったく違うところですね。

ちなみに、では義務教育の終了はというと、日本では”中学校卒業”までですが、アメリカは”18歳になる”まで。学校は幼稚園の一年間と、小学校が1-6年生まで(または1-5年生まで。学校または学校区によって異なる)、中学校が6-8年生(または7-8年生)、高校が9-12年の4年間。義務教育制度のことを略して『K-12 (k to twelveと読みます)』というのは、日本で「小中高」というふうに省略するのと同じ表現です。日本と違うのは、『学年』を正式に言うときには、通常、小学校1年生からはじまる”通し番号”で呼ぶことで、たとえば高校1年生は9年生といいます。それぞれの学校で何年生か---を示す表現は別にあり、特に高校以上では、一年生は Freshman、二年生は Sophomore、三年生は Junior、四年生は Seniorと呼ばれます。これは大学も同様。

アメリカでも、18歳は高校卒業の年齢です。が、厳密に言うと、保護者には「高校を”卒業させる”義務」はありません。義務は「18歳まで”就学”させておく」こと。通った学校を卒業するか否かは、いわば"子ども自身の責任"(という訳でもないでしょうが)、ともかく保護者の義務からは切り離されています。実際、詳しい学歴を書かされるような場面では、『出身高校』の記入欄に、通学した高校(卒業した、ではない)の名前と、『卒業資格の有無』をそれぞれ別に記入するように求められ、日米の制度の違いを実感させられます。以前このブログにも書きましたが、アメリカでは高校卒業資格を得ないままドロップアウトしてしまう子どもが少なからずいて、社会問題になっています。(ブログ記事:『スーパーマンを待ちながら‥‥』)

さて、新学期に読みたい絵本の話題に戻りましょう。

「一年生になったら‥‥ともだち100人できるかな?」という歌があります。なんといっても新しい学校に行く楽しみと期待は、新しいお友達ができること。どんな子がいるのかな? 何して遊ぼうかな?と考えると、入学の日が待ち遠しい。子どもたちのそんな期待を思いきりかき立ててくれるのが「On my very first school day, I met...」です。イラストからして最高!おもしろいこと請け合い、ちょっとくらいの不安は忘れて学校に行くのが楽しみになることも請け合い!の絵本です。

でも一方では、幼稚園に行ったら…学校に行ったら…、お母さんがいないから、何でも一人でやらなくちゃいけないよなぁ。トイレだって失敗したら恥ずかしいよなぁ。給食に嫌いなものや食べられないものが出たらどうしよう‥‥。心配と不安でいっぱいになっている子もいるはず。もう時効だから書いてしまいますが、親友の息子は一年生になっても毎晩の『おねしょ』が止まらず、「学校や友達宅で『お泊まり』があったらどうしよう‥‥」というのが親子そろっての深刻な悩みでした。ウチの娘の場合は、初めての学校が、右も左もどころか言葉までわからないアメリカだったので、ケガしないで帰ってくるだろうか、トイレにちゃんと行けるだろうかと本当に心配しました。

もちろんアメリカの親も子どもも、それなりに悩んで神経質になるようです。「Count Down to Kindergarten」は、あと10日で幼稚園に入園するというのに、「まだ一人で靴ひもが結べない‥‥」と悩んでいる女の子のお話です。毎日毎日、一生懸命練習しますが、とうとう靴ひもが結べないまま入園の日が来てしまい‥‥。ところが、ドキドキで幼稚園に行ってみたら‥‥なぁ~んだ!クラスのお友だちもみんな靴ひもが結べないんだって!

この「なぁ~んだ!」「ドキドキして損しちゃった!」「あんなに心配することなかったんだ!」という、"ホッと安心"体験を先取りさせて、それとなく「心配しなくても大丈夫!」と語りかける絵本がたくさん出ています。とっくに学校に行っているお姉ちゃんの手前、内心では心配でたまらないのに、いまさら不安だの心配だのと言いにくくて強がっている男の子が主人公の「Kindergarten Rock」もおすすめの一冊です。

ちょっと変わったところでは、不安だったり心配だったり、親子の別れが辛いのは、子どもだけでなく実は親もなんですよという、意外な結末がついている絵本「 The Night Before Kindergarten」。おまけに、いえいえ実は先生だってものすごく不安なんですよ「First day Jitter」という絵本もあります。

でも、大丈夫! たいていは、行きたくないのは初日の朝だけ。学校って案外楽しいんです、よね? なにしろ友達はいっぱいいるし、先生はやさしいし、ちょっと勉強したら意外に自信もついちゃうし。そんな経験をスプラットとシェアしましょう。「Splat the Cat」は、一日目は、学校に行くのがいやで早く目が覚めたのでしたが、二日目には学校に行くのが楽しみで早く目が覚めちゃったふわふわ猫のスプラットのお話です。

学校では、友達も楽しいけど、先生もすごい! 先生は、子どもたちひとりひとりをちゃんと覚えて、親しみを込めて名前で読んでくれます。だけど、クラスメートが全員同じ名前だったらどうなるんだろう? いや、きっと大丈夫.先生はちゃんと区別して覚えてくれるに違いありません(「Mathew A.B.C. 」)。だって、クラスに双子が何人いたって間違えたりしないんですから。(ブログ記事:『ここにもふたご!そこにもふたご!』)。先生、だいすき!



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日本発『バイリンガル絵本』のおすすめ

2011-04-01 | my Anthology


バイリンガルも、バイカルチャラルも、言うは易し、聞こえもよいのですが、でも、実際に、母国語と違う環境に身を置く生身の子どもは、幼いときから、時には拮抗することもある二つの文化の間で、ともすればすり減りそうになる自我を保ちつつ、なお自己形成してゆくことのですから、決して楽しいばかりではありません。

バイカルチャラルがどうの……と言ったって、むずかしい話ではありません。例えばアメリカの幼稚園では、たいていクラスのスタートは「サークルタイム」といって床にみんなで車座に座ってのホームルーム活動。床に座る時は、男の子も女の子も『あぐら』です。あぐら!今は分かりませんが、娘とアメリカで暮らし始めた20ン年前には、日本では女の子は少なくとも公衆の面前で(ましてや先生の前でなど!)『あぐら』などかかないものとされていたのです。つまり、日本的にはひどく”お行儀の悪い”ことでしたから、。若い母親だった私はけっこう悩みました。日本の不作法がアメリカのお行儀のスタンダードだなんて……これが身についちゃったら困るなぁ……日本の祖父母が見たらいったい何と言うかしら……やれやれ……何と言って説明すれば娘にわかることやら……。

ことは『あぐら』に限りません。アメリカでは「会話するときには相手の目を見て話しなさい」と教わります。会話相手の目を見つめるのが礼儀で、やたらに目をそらすと時には失礼にあたります。だから叱られている時も真剣なまなざしで相手の目を見て聞いています。でも、日本では会話の時に終始相手の目を見ている人は少ないでしょう。時には、直視しないで目をそらす方が礼儀にかなっている場合もあり、叱られているときなどは俯いているくらいがちょうどよく、真剣な目をしてじっと見つめ返していたりすると、「なんだ、その目は!生意気な!」なんて、もっと叱られてしまうことも。実は、このマナーの違いを日米で使い分けるのは、おとなでも至難の業です。

そう、バイカルチャラルって日常生活の問題で、だから大変なのです。なにしろ文化の問題ですから、どちらが正しいとか間違っているとかと一元的に決めることができず、要するに『正解』がないのです。だから、なんとも困りものなのです。

要は『TPOの問題』なのですが、子どもというのは「正しいか間違っているか」という二次元の問題はわかるのですが、「場違い」という三次元のコンセプトはなかなか理解できません。だから、バイカルチャラル子育ての親は、ちょっとした注意やお小言で済むはずのことに、二倍も三倍も説明を重ねなければならず、その結果、まったく不本意にもくどくどとうるさくお説教する印象になります。アメリカに暮らし始めた最初、娘が小さい間、私は、この「いつもいつも注意しなければならない」こと、その都度「いちいち説明しなければならない」ことがイヤでイヤで、いつも憂鬱でした。親だっていちいち注意なんかしたくないし、くどくど説明なんかしたくないのです。

でも、やはり大変なのは子どもであって、親ではありません。自己形成は苦しくても子どもが自分で成し遂げなければならない孤独な作業。そんな子どもに、せめても親がしてやれることは、ふたつの国の文化にできるだけ豊かに接する機会を創り、バイリンガルであり、バイカルチャラルであることが、『半分・半分』ではなく『二倍に豊か』であることを意味するようにと祈ることくらい。あとは子ども自身が語彙を豊かにし、理解力を伸ばし、感性豊かな表現力を身につけて、バイカルチャラルのすばらしさを体現してくれる以外ありません。

そうは言っても、海外暮らしでは、子どもが小さい時にできるのは、せいぜい美味しい日本食を食べさせることや、日本の優れた絵本に触れさせることくらい。私の手料理はどうだったか知りませんが、でも、娘のために読んだ日本の絵本は、どれをとってもアメリカの絵本にまったく遜色がないどころか、実に掛け値なしに素晴らしかった!

バイリンガルの子どもの語彙を豊かにするには、日本語と英語の併読、すなわち同じ本を日本語と英語の両方で読むことが効果的です。こう書くと、日本人の私たちはたいていは英語の絵本の日本語版を読むことを考えます。でも、ちょっと発想を逆転させませんか? 先に日本語で愛読している絵本の英語版を探して併読するのです。お子さんが海外で育っている場合にはとくにこれをお勧めします。

日本の絵本を英語で読むことの利点はいくつもありますが、まずはなんといっても日本を誇りに思えること。日本にはこんなに素晴らしい絵本があるのよ、こんなにクリエイティブなアーティストがいるのよ、こんなにきれいな本を印刷できる技術があるのよ、と子どもに伝えることができます。海外で育つ子どもたちが母国を誇らしく思えることはとても大事なことです。

もう一つの利点は、その絵本が英語に翻訳・出版されていたら、子どもたちはそれを学校や友達のところに持っていって一緒に読む(share)ことができるということです。誇らしい気持ちを、そのまま実際に行動にうつして、友達に見せて共有する(ちょっと自慢もする!)ことができるのです。日本の子どもが大好きな絵本は、きっとアメリカ人の子どもも大好きにちがいありません。そうして「日本の絵本っておもしろいね!」って言われたら、やっぱり嬉しい! でも、どんなにすてきな絵本も日本語のままではなかなか友達と共有できないから、英語になっている日本語の絵本を知っておくのも大事なことなのです。

英訳されている日本の人気絵本には、たとえば、半年くらいからの赤ちゃんなら誰でもきっと大好きな、松谷みよこ作『いないいないばあ』、困った2歳児(terribile two)にぴったりな、せなけいこ作『いやだいやだ』があります。また、のんびり牧歌的な詩情あふれる『かばくん』や『ぞうくんのさんぽ』も翻訳されています。『ぐりとぐら』も忘れてはいけない一冊ですし、お昼寝のおともにぴったりな「がたんごとん、がたんごとん」や、夜のベッドタイムに合った『おつきさまこんばんは』も英語で読み聞かせられます。娘と私のお気に入りだった『どうぞのいす』や、親友の息子のお気に入りだった『あーんあん』が翻訳されているのは嬉しい限り。

個性的な日本の絵本作家はアメリカでも人気です。たとえば五味太郎さんの「みんなうんち」は、何度も書きましたが、大人にも熱烈なファンがいますし、また「きんぎょがにげた」は小さい赤ちゃん向きの知的な探し絵絵本として高く評価されています。知的な探し絵といえば、かこさとし作「とこちゃんはどこ?」もすばらしい作品です。これ、娘の愛読書のひとつでした。それから、かこさんの『だるまちゃんとてんぐちゃん」が翻訳されているのは、バイカルチャラル的快挙! 伝統と現代を両方きっちり見せながら、掛け値なしに面白い絵本です。すでに古典というべき宮沢賢治の「注文の多い料理店」も翻訳されています。どうぞあらめてお楽しみください!

さて、今日のイラストは、娘と私が初めて日本語と英語の両方で読んだ『はらぺこあおむし』です。この絵本は、ちょっと大げさに言えば、私にとって「子どもをバイリンガルに育てる」と決心するにあたっての試金石とも、記念碑ともなった絵本です。言わずもがな、日本でもポピュラーなエリック・カールの傑作。このブログでもすでに何度かご紹介してきました(にほんごえいご 併読のパワー 2)。

バイリンガル子育てもまた楽し、です。





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