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保守記事.391-19 花は咲く

2017-03-14 12:26:06 | 記事保守

震災とアイドル 被災地支援の顔だった元AKB48岩田華怜の葛藤と決意

BuzzFeed Japan 3/12(日) 19:48配信

震災とアイドル。元AKB48の岩田華怜(18)にとってはイコールで結ばれる。AKB48が2011年から続ける東日本大震災、被災地支援のチャリティー活動「誰かのために」プロジェクト。唯一の被災者だった岩田は活動の顔として多くのメディアに登場してきた。
【BuzzFeed Japan / 徳重辰典】

「人生の分岐点の日」という2011年3月11日。小学6年生だった岩田は宮城県仙台市内のマンションで被災した。

父親の自動車で一夜を過ごし、その後は家族とともに避難所や親類宅に身を寄せた。
震災から3週間後にAKBの研究生オーディションがあった。

こんな状況で受けるべきか迷ったが、母からの「AKBになって故郷に戻れば力になるのでは」との言葉に後押しされ、東京に向かった。結果は合格だった。

慌ただしい中での上京。震災で延期された小学校の卒業式に出ることはなく、友人たちに、さようならも言えなかった。

ふるさとへの思いから進んだアイドルへの道。だが、きらびやかな服、自身に浴びせられる光と被災地のギャップから自己嫌悪に陥った。

ふるさとの人はきっと私の活動をよく思っていないのではないか。そう思って、苦しかった。

怖かった初めての被災地訪問

2011年11月13日、岩田は岩手県の陸前高田市にAKBとして初めて被災地訪問。

「怖かった。ふるさとを捨てたと言われてもおかしくないと思っていたし、みんなにどんな顔で会えばいいのかって」

被災地での最初のステージ。11月の冷たい雨の中、子供たちが傘もささず、ずぶ濡れになりながらAKBの登場を待っていた。

「私たちのその時期の活動をよく思ってない人もいるし、理解されないことももちろんあるけど、目をキラキラさせて、この子たちが待ってくれる。何時間も待ってくれる人が一人でもいる以上は、ここに来続けないといけないなと思った」

陸前高田で見た一本松は今も忘れない景色だ。AKBプロデューサーの秋元康氏からは「AKBの一本松になれ」と言われた。強く立ってなきゃいけない。そう思った。

芸能人と復興支援

唯一の被災者だった岩田はAKBの中で、復興支援の顔になっていく。

2012年の東日本大震災復興支援チャリティーソング「花は咲く」には歌唱メンバーとして参加。カップリングではソロも歌った。

NHK「カレンの復興カレンダー」ではナビゲーターとして、ニュースで取り上げられない、被災地で暮らす人々の日々を伝えた。

これまで被災地訪問は80回を超える。

AKBとしても被災地を回ったが、震災から3年間は、復興も進んでおらず、ステージを見る人も少なかった。来た人もどこか一歩引いていた。

「歌なんて聞きたくない。夢や希望なんてどうでもいいと思っている人がたくさんいたから。そんな中で、私たちがマイクをもって会いに来ましたって、一方的な優しさの押し売りなんじゃ。被災者である私以上に、被災していないメンバーが何倍も考えていました」

活動に対してネットなどでバッシングを受けることもあった。

「当時はがむしゃらすぎて、何を言われても全然気にならないくらい。そんなことに私が気をとられている場合じゃない。その思いが一番にあった」

「必死すぎて、心の痛みすら、ちゃんと感じようとしていなかったなと今となっては思う。12歳で入って、そういう境遇でよくやっていたなって」

芸能人の活動は被災地を救うのか? その質問に岩田は言葉を選びながら答える。

「活力になる人もいれば、ならない人もいる。別に芸能人に興味のない人もいる。自分たちが信じてその活動を続けるしかない」

一番大きいと考えているのが、ブログなどを通しての有名人の発信力。そして周囲を笑顔にする力だ。

「こんな私ですら、一緒に撮った写真を待ち受けにしてくれる人、サインをずっと飾ってくれるお店もある。私でも喜んでもらえるんだったら。有名人はうれしいなと思う」

震災関連でコメントを求められ、少し暗いイメージもあった岩田だが、元来はお調子者。バラエティー番組で登場するときはうれしかったが、同時に葛藤もあった。

「震災関連で出るのは私。そんな私がクリームを浴びて、ぎゃーとなっているのはどうなんだろうと悩みました」

悩みを救ったのは被災地で会う笑顔だった。

「番組は宮城でも流れていて、見てますという人がめちゃ多くて。仙台から出て行った子が今こんなことしているんだって、笑ってくれたらいいかなって吹っ切れた。『(バラエティー番組で食べた)さそりってどんな味だったんですか』と聞かれて、半面、ちょっと複雑だった(笑)」

自分のことは二の次、三の次。とにかく東北の人に会いに行きたい。何かできることはないか、いつも探していた。前のめりだった。

東北のために頑張ることがつらくなったことはなかったのだろうか。

「なんなら、それが私の頑張る理由だったので。震災もなく、普通にAKBに入っていたら1年持っていなかった。この世界にもいないと思ってます」

どれだけつらいことがあっても、どれだけ辞めたいと思っても、東北のことを考えると頑張れる。

「頑張れる理由があって、守りたい人たちがいて、自分の帰る場所がある。それはすごく幸せなことだと思う。だから故郷のために頑張るのがつらいと思ったことは一度もないです」

5年間在籍したAKBからの卒業

岩田は2016年3月にAKBから卒業した。加入から5年という節目。根拠はないが、自分の中で今という思いがあった。

「自分を過大評価するわけじゃないし、やり残したことはあるけど、自分の青春をすべて、AKB、支援活動に捧げてきた。そろそろ自分のために頑張らなきゃいけないと思えたのかもしれない」

そこまではやりきろうと思っていた5年目の3・11の活動を終え、4日後の3月15日の卒業公演をもってAKBとしての活動を終えた。

公演で、母からのメッセージが代読された。文末にはこうあった。

「親馬鹿ですが、本当に世界一自慢の娘です」

AKBを離れても故郷への思いは変わらない。

古巣のAKBは4日、岩手、宮城、福島の被災地を訪問し、復興支援ライブを開いた。同期たちが被災地を訪れている姿を見て、行きたいなと思いがよぎり、少しつらく感じた。

けれど、今は目の前の仕事を頑張り、現地に行っただけで喜んでもらえる女優になりたい。ふるさとで見てもらえる映画や映像でも頑張りたいと考えている。

東北に関わる仕事もしたいという思いも変わらない。

3月に放送されたドキュメンタリー番組「高校生がつなぐ 東北の未来、私たちの夢」ではナレーションも務めた。録音の際、自分よりも年下の子たちが歯を食いしばって頑張る姿に、言葉が詰まった。

夢の先には故郷がある

現在の夢は女優だけではない。

ブログやSNSを通して、被災地の今を発信する中、復興の光だけでなく、復興の進んでいない日陰の部分を伝えたいと考えた。

だが、文章では誤解を生むことも少なくない。そんな時、写真ならば、今の東北の光も日陰も映し出せるかもしれないと思った。

「被災した建物をあえて残しているところもある。自分なりの表現でフレームに収め、発信することで、東北へ足を運んでくれる人が増えたらうれしい」

写真経験はゼロ。今は写真を学ぶため、知り合いのカメラマンの手伝いをしている。

「勉強させてくださいと頼みました。いい表情とか撮れるとすごくうれしい。東北の風景もそうですけど、現地で頑張っている人たちの写真も撮りたい」

12歳からスタートしたAKB、そして復興支援の活動。青春をすべて捧げてきた。

「私は故郷が好きで。故郷の人が好きで。故郷の景色が好き。その景色が一日でも早く元通りになるように頑張ってきた。だからこそ、今の自分がいる」

女優と写真、今は、2つの夢に向かっている。その夢の先には故郷がある。

岩田華怜は今も、東北とともにいる。

 

 
 AKB48グループが東日本大震災から6年を迎えた11日、全国の劇場などで「東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2017~」を開催した。義援金の呼びかけ、チャリティーTシャツの販売などを行い、震災が起きた午後2時46分に合わせ、メンバー全員で黙とうを行った。

 それに先立つ4日には47人のメンバーが東北3県を訪問。AKB48グループは11年3月の震災発生直後、「誰かのために」プロジェクトを発足。義援金の寄付や送迎用車両などの寄贈ほかこれまで63回被災地を訪れ、無料ライブなどを行ってきた。

 しかし、今でこそ復興支援活動は受け入れられているが、当初は難しい面もあったという。

「義援金などは歓迎されましたが、無料ライブなどは適切な場所も見つからない状況で、自治体も『そんな余裕はない』と難色を示すことも多かった。(元AKBの)高橋みなみさんらメンバーも『このタイミングに被災地に来るのは申し訳ない気がする』と悩みを明かしていた」(関係者)。自治体との話し合いや支援活動を通じて、メンバー、運営スタッフは試行錯誤を重ねてきた。

「例えば、震災当日の『3月11日』に被災地を訪問していましたが、今は1週間程度早めて訪問している。震災日を静かに過ごしたいと思う方がいるのは事実ですし、親御さんの中にはお子さんが支援ライブを見に行ってしまうことに複雑な気持ちを抱く方もいることを配慮してのこと」(同)

 同プロジェクトの開始当時はネット上で「偽善」「売名」とバッシングが起こっていたが、今は理解を得ているという。

「支援を続ける芸能人も少なくなっている。時間の経過とともに忘れ去られがちですが、支援の必要性を思い出す一つのきっかけにもなっている」(地元メディア関係者)

 4日に宮城県を訪れたNMB48・山本彩(23)は「活動を始めたころは『一方通行なのかな?』と感じたこともありましたが、続けていくことで私たちの思いも少しずつ伝わっていると思いましたし、『毎年来てくれてありがとう』と声をかけていただいて、続けることに意味があるんだ、と思いました」と話した。

 地道な支援活動を見続けた市町村から「AKB48(グループ)なら来てください」と言われるまでの道のりは決して平坦ではなかったようだ。
 
 


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