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保守記事.283 どうしたもんだか

2007-11-29 14:16:34 | 記事保守

船場吉兆問題 「京都」の徳岡邦夫さん語る 創業者の心、知らず

2007年11月28日(水)15:14

 食品偽装問題に揺れる老舗料亭・船場吉兆(大阪市)。今月16日、牛肉 の産地偽装を巡って警察の家宅捜索が入った。グループの本家本元たる吉兆 は過去2回の東京サミットで各国要人に日本料理を供した名門中の名門だ。老舗の矜持(きょうじ)はどこに? 吉兆グループの一員として、京都吉兆嵐山本店 総料理長、徳岡邦夫さん(47)を直撃した。【遠藤拓】

 ◇お客さんとサービスと厨房が言葉を交わし、料理に気持ちを込める それが神髄です

  「吉兆って何吉兆?」「船場?」「ここは違うよ」。観光客とおぼしき男性グループが通り過ぎる。かと思えば、色づき始めた紅葉の下、店の看板を前に記念撮 影をするおじさん、おばさんがちらほら。国内有数の景勝地、京都・嵐山に似つかわしくない光景に、興ざめした人も少なくないはずだ。

 吉兆 は「料理の神様」と称された故湯木貞一氏(1901~97年)が30年に大阪で創業。48年には京都に、61年には東京にも支店を展開。91年に5人の親 族にのれん分けした。各料亭は湯木氏の親族が役員を務める会社から吉兆の名を借り、別資本で経営に当たる。バブル崩壊で名だたる料亭が淘汰(とうた)され る中で経営を効率化する方策だった。

       *

 徳岡さんは10人いる湯木氏の孫の一人。嵐山本店の一室に、吉兆の マークとネーム入りの白衣をまとって現れた。硬い表情に見えたのも無理はない。微妙な立場に置かれ、日ごろマスコミで食の在り方を発信するようにはいかな いのだろう。「発言はすべて私個人の意見」と書くよう、何度も念を押された。

 「吉兆の名を掲げる者の一つとして、ご迷惑をかけ、申し訳な い気持ちです。でも(船場吉兆とは)資本も株式も関係ない会社同士、経営をどうしろと命令はできない。ただ親族同士、湯木貞一の教えを受け、名前を使わせ てもらっている。株式会社吉兆(名前を貸す会社)の役員を務める責任もあります」

 すでに同趣旨のコメントを3回、ブログに発表した。それ でも、京都吉兆だけで約10件、結婚式・会合がキャンセルになり、中傷のメールも殺到する。だが、親族を擁護したい気持ちもある。「(社長の湯木)正徳さ んは情熱的でまじめだし、喜久郎君(取締役・長男)もうそをついたり、人のせいにする人ではない。尚治君(同・次男)はそれほど付き合いがないが、優秀と 聞く。金目当てと思えません」

 前兆はあった。約2年前、一部店舗でカレーを出していることが判明したのだ。船場吉兆は「期間限定にする」とグループ会社と約束したが、その後もカレーは残った。なぜグループとして止められなかったのか。

 「独立採算で、経営に口を挟み合う雰囲気がなかった。礼儀のないことを言い、親族の縁を切りたくなかった。でも、もっと強く監視すれば、問題は起きなかったかもしれない。あの時なぜもっと強く言えなかったのか……。悔しさはあります」

 でも、時計の針は戻らない。これを機に、吉兆グループは吉兆の名を捨てて再出発を図るのも手ではないのか。

 「それは僕自身思っていないし、たぶん(グループの)皆さんも思っていない。なぜなら、みな湯木貞一が大好きで、尊敬しているからです。僕たち孫の代までは吉兆の名を捨てようとは、絶対、思わない」

 屋外にはこんな看板がある。「当吉兆へ関係なきお車の駐車禁止」。「当吉兆」を強調するあたり、こだわりが感じられる。「そんなに意識していないけど(笑い)。要するに名前を大事にするのは、積み上げた信用を大事にすることですから」

       *

 京都には老舗は数多い。創業ウン百年の前には、吉兆もまだまだ新参者かもしれない。それでも「料理の神様」の流れをくむ料亭は、決して軽くはない。

 「老舗は同じことをずっと続けても必要がなければ淘汰されます。伝統を築くには適応能力が必要。守るべきなのは、創業時の志や思いです。歌舞伎や書、お茶の世界も一緒でしょう」

  湯木氏の著作「吉兆味ばなし」(一~四)で、印象に残ったフレーズがある。「われわれに出来ることといったら、料理だけです。そのかわり、その料理につい ては、いつでも真剣勝負です」。これこそ創業時の思いなのか。本を手渡しながら尋ねると、「読んだことないですよ」とさらり。

 そして、よ どみない言葉で持論を展開した。「料理に完ぺき、これだというものはありません。同じメニューを注文した80歳のおばあさんと20歳の青年に、まったく同 じ料理を出してはおかしい。相手が違えば方法は変わる。そのためにお客さんとサービスと厨房(ちゅうぼう)が言葉を交わし、料理に気持ちを込める。それが 湯木貞一の神髄です」

 「フラットでクリアなところに自分の身を置かないと、人の意見を聞き取れません。こういうもの(吉兆味ばなし)を読み、湯木貞一の表っ面しか知らないから、問題になったのかもしれません。私みたいな者が言うことじゃないとは思いますが」

 忸怩(じくじ)たる思いが、言葉の端々に表れる。では今、湯木氏がご存命だったらどうだっただろう。そう尋ねると、早口でしゃべる徳岡さんが、黙って視線を落とした。静けさの中、雨音だけがかすかに聞こえる。

  「うーん、なんと言うか。まず、まあ……怒るかな。そして原因を追究し、謝罪し、立て直そうと努力するでしょうね。でも、もしも湯木がいたら、そもそも今 のようにはならなかったはず。そこにいるだけで、みんながまとまるんですよ」。カリスマの存在はかくも大きかった、ということなのか。

       *

  東京ではレストランの格付け本「ミシュランガイド東京版」がちまたの話題をさらっている。しかし、その中に6店ある東京吉兆の文字はない。半年ほど前、星 を付けたいとの打診があったが、グループの会合の結果、断ったという。どこか浮ついたブームに乗りたくなかったのだろう。それはそれで、吉兆の矜持がうか がえる話ではある。

 世界の注目が集まる日本の食文化の将来について、徳岡さんはどう見ているのだろうか。

 「危うい感じが します。日本の食料自給率は40%を切った。世界が食料難になるだろう中で、それでも他の国に頼り切りなのはおかしい。今、心を砕くのは1次産業の活性 化。まじめにやっている人が報われ、次の世代が本当にあこがれる職種になってほしい。料理も1次産業なしには成り立ちません」

 湯木氏が「吉兆味ばなし」を出版したのは、日本の食文化の行く末を案じたためだ。徳岡さんも今年、四季の家庭料理をテーマとした「春の食卓」など4冊を出版した。食の危機を家庭から打開しようとする姿が、どこか祖父と響き合うようだ。

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 ■人物略歴

 ◇とくおか・くにお

 1960年、大阪府生まれ。15歳から京都吉兆嵐山本店(旧吉兆嵯峨支店)で修業し、95年から総料理長。05年、世界のトップシェフによる「第3回インターナショナル・サミット・オブ・ガストロノミー」に日本料理界から初めて参加した。


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