おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

ノクターン

2024年05月18日 | 小金井充の

 その最後のピアノ・コンサートは、市民ホールなどの、相応しい場所で開かれたわけではなかった。金曜の夜、演奏者の自宅の居間に、その日の仕事を終えた、わずかばかりの人々が、恩師のピアノを聞くために集まった。事情を知る者もあったが、しかし誰も、あえて話題にはしない。というのも、恩師のその人となりとから、こういう終わりもありうるだろう。ついにその時が来たのかと、みなが思っていたことだから。約束の時間を前にして、一人、また一人と、最低の音量にしぼられたドアホンの呼び鈴を鳴らす。玄関先で祝意があり、贈答品があって、恩師は気恥ずかしそうにその品を披露する。そもそもこの居間でのラスト・コンサートも、このわずかばかりの人々の発案ではあった。最後なんだから、市民ホールを借りて、せめて小ホールでやろうという話にもなったのだが。しかし誰のコンサートなのかを思えば、賞だとかメンツだとか気にしない人だから、そんなところへ引っ張り出さずとも、自宅にお邪魔するのがいいだろうということで一致をみた。ついでに、花は誰、酒は誰と、贈答品が重ならないようにしようということにもなり、年季の入ったヤマハのピアノを囲んで、ちょうどいいくらいの飾りつけにはなった。めいめいが、ソファや椅子にくつろぎ、恩師はお返しにと、秘蔵の山崎をふるまって、ひとしきり、思い出話がはずむ。それでは、と、予定の午後七時半、ピアノの所の白熱灯を残して、部屋の明かりが消され、恩師は、紙ナプキンをあてたグラスを、ピアノのいつもの場所へと置く。そして何か、ちょっと思案した気なそぶりを見せ、微笑むと、おもむろにカバーを上げて、鍵盤に手を添える。静かな、山崎色の明かりのなかに、ショパンのノクターン二十番が溢れる。今夜の物語の序章に、これほど相応しい曲はあるまい。観客は拍手も忘れ、この、何人ものピアニストを世に送った教授の、最後の晩餐を堪能した。
 今、私の手のなかに、その恩師の現役時代の演奏を収めた、4トラックの大きなテープ・リールがある。再生装置は、とうの昔に廃棄されて、もう聞くことはできない。大学の旧図書館の、書庫の片付けを、私のいる会社が、仕事として請け負った。ホコリとカビとに覆われ、半ば崩壊したダンボールのなかから、私はその大きなテープ・リールを見つけた。手にして、ふと、色褪せたインクの、手書きのタイトルを見た時には、まさかと思ったが。しかし筆跡に懐かしさを覚えて、私は軍手をした親指で、タイトルを二度ぬぐった。もう遠い昔になったが。でも確かに、私は授業で、このテープを聴いた覚えがある。あの最後のピアノ・コンサートが、思い出される。ピアニストにも、作曲家にもならず、世のなかを斜めに生きてきた私は、あの日も無言で去ることができなかった。最後まで残って、私は恩師に聞いたのだ。先生、どうして辞めたんですか、と。恩師の答えは、私にそのまま当てはまった。
 「僕はね、この世のどの一人にも、生き残って欲しくない。そんな想いを持つ奴が、教壇に立ってちゃいけないだろう。そうだな。君くらいの年代の人を境にして、人は人でなくなった。僕はそれを、敏感に感じた。僕はもう、誰にも、何も教えたくなくなったんだ。」
 新しい図書館に、蔵書として受け継がれる書籍は、みな、引越しが済んでいる。ここにあるものは、すべて廃棄扱いの物ばかりだ。私のいる会社が、大学側と結んだ契約書には、撤去した物の所有権を、会社へ移転する旨の取り決めがある。会社はこれらをオークションにかけ、収入を得る。その代わり、撤去の費用を安く済ませるわけだ。無論、私はこのテープ・リールを、欲しいとは思ったが。しかし、もう終わるというのなら、何を残すこともあるまい。おそらくはマニアが、ただレトロだという理由だけで、このテープを落札するだろう。私はそれを、半ば崩壊したダンボールのなかへ、元のように戻して、そっと、ダンボールを抱えた。ダンボールの下半分は、まだ強度を保っていて、このまま、階段を登っていけるようだ。見上げれば、暗い地下道の出口のように、午後の明るい陽射しが差して、私はその光のなかに消えた。


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