前にもどっかで、
何度か書いてるんですが。
例えば、ありがちですが(笑
過去へ行って、
自分がその時、忘れていったもの。
そのせいで実現しなかったこと。
それを実現させようと、
その時の自分に
持たせることができたとして。
それって、触れるものですよね。
移動できる、実体のあるものです。
ということは、質量あるよねぇ。
もしも、ですよ。
その過去の時間が、質量を持つならば。
どの過去の時間も、質量を持つでしょ。
そしたら、どうなる?
時というのは、言い換えれば変化です。
変化ってのは、同じ空間のなかで起きる。
連続した、ひとつながりのものです。
もしも、過去が質量を持てば、
宇宙が始まった瞬間、
宇宙は∞の質量になってしまう。
インフィニティーの反対はゼロですから、
お馴染み、E=mC^2からも、
エネルギーはゼロになってしまう。
エネルギーってのは、つまるところ、
分子や原子なんかの振動です。
そういうのが、不可能になる。
時もまた、止まってしまいます。
これは未来についても同じ。
もっとも、
こんなメンドクサイ考えじゃなしに、
前から言われてるようにですね、
質量保存則が壊れるだろと。
同じ時間に自分がふたりいると、
自分ひとり分の質量が余分になる。
宇宙ってのは、
なかなか微妙なものだそうで。
ちょっと重くても軽くても潰れる。
最近の話だと、
対称性が崩れるんじゃないかとか。
片割れの自分が、
ペアになる前の過去へ行っちゃうと
(あるいは
ペア解消後の未来へ行っちゃうと)、
ペアってのは排他的ですから、
過去の場合はもう、
本来の相手とペアになれない。
未来の場合も、
次にペアとなったはずの相手と
ペアになれない。
恋人じゃなく量子論のお話です(笑
ファスナーひとかかりの掛け違いだ。
それだけでも、
ちゃんとしまらなくなる。
しまっても
引っ張ると開いちゃったりして。
宇宙がそうなるってことです。
だけど、また一方で、
そんなメンドクサイことをしなくても、
例えば、太陽に向かって車を走らせれば、
止まってるひとたちからしたら、
ほんのわずか未来の太陽を
先んじて見ることができるし、
自分が止まってれば、
車を走らせて行くひとたちよりも、
わずかに過去の
太陽を見ることができるわけで。
それだって立派なタイムマシン。
何も変えられないけどね(笑