おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

もうちょっとだけ触れますね

2024年05月27日 | 雑談

こうした話を扱うと、

日ごとに、訪れるひとが減る。

目に見えて減るわけですから、

気分も沈むわけですが。

べつに、使命とか義務とか、

そんな誰に言われたわけでもない

意固地なものに

動かされているわけでなく。

ただこの世に生きている者として、

この世にあるものを

できるだけ広範に

ありのままに見ておきたい。

趣味の一環です(笑

敬遠してることって、

他人の言うことを

鵜呑みにしがちじゃないですか。

さて。

「世の終わり」という文字を

グーグルさんで検索してみますと、

まあ、あるわ、あるわ。

そのなかで、特に多いのは、

世の終わりの前に起きること

みたいなタイトルです。

そしてほぼ、

新約聖書の一節を

ネタにしている。

でも、さ。

愛が冷えるとか、

偽預言者とか、

聖書の時代からもうあったし、

いたことですし。

滅ぶ滅ぶ詐欺みたいに、

そのうち、どれかが、

予兆に当たるだろうな。

世の終わりの前に起きること

は、ただ1つだけです。

「邪悪な時代はしるしを求めるが、

 ヨナのしるし以外、与えられない。」

と、聖書に明記されてますから。

だけどネットで見たものは、

これに触れてない。

戦争も飢饉も疫病も、

腐るほどありました。

そして恐怖によって、

読者を魅了してきた。

でも、前の記事でも書いたように、

聖書が伝えたかったのは、

そういう恐怖じゃないです。

世の終わりの前に、

その予兆としてあるのは、

ヨナのしたことだけです。

このヨナという名は、jojoとか、

ヨハネの愛称のひとつです。

イエスが、

「私は世の終わりまで

 あなたがたと共にいる。」

と言ったのも、

これもまた、

聖書に明記されているように、

「予言と預言者とは

 ヨハネの時まで」だからで。

世の終わりから先のことはもう、

聖書の担当じゃないと。

だって、嫌じゃん?

いつまでも予言だの聖書だのに

つきまとわれるのって。

当の預言者らも、

それを一番、危惧してます。

いつまでも思春期のままでいないで、

大人になんなさいよ、と。

でも十分に、思い悩むことです。

思春期もまた、終えるのではなく、

終わるものですから。

ヨナの物語は、

旧約聖書にあります。

短いので、

お忙しいかたも、読めるかと。

そういう方面のための文章なので、

言い回しが実に臭いのは、

どうしようもないですけど(笑

まあ僕なら、

物語の最後に数行、

付け加えますけどね。

「そう聞いて、ヨナは無言で、

 神を殴りつけた。」

って(笑

 


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