僕がタバコを吸う背景として、
老い先短いのが知れているという
私的な事情があることを、
折々、書いてきましたけれども。
もらう薬や、
医師の口から時には漏れる
検査の結果について、
今は知ろうと思えば
ネットから知れる時代になって。
僕もいろいろ見聞きした口です。
ネットは不確実な情報の塊ですが、
そういう方面の情報だけは、
けっこう正確でした。
おかげさまで、
健康診断のとき
一時持たされる心電図のチャートや、
病院でもらう検査の数字が、
およそ何を言っているのか
想像つくようになり、
それと医師の仕草とが
合致していたりして面白いです。
数えるほどですが
症状の進展にあわせて病院を替わり、
両手に満たない数ですが、
何人かの医師と関わっても来て。
今言うところの医療が、
こんな具合で
患者と離れたところにあるのを
実感した次第ですが。
日に30人も来る患者を
限られた時間のなかで
診ていかねばならないので、
流れ作業になるのは
自然な流れだと思います。
法律上、
診断ができるのは
医師だけなんだそうで。
看護師や技師は医師の指示のもと、
注射だとかX線だとか
限られた業務に従事するのみ。
自分の病状について聞いても、
答えられないことを知ったのは、
割と最近のことです。
それについては、
今も昔も、
医師に聞くよりないのですが。
医療全体は
昔とはかけ離れた構造
になりました。
よく知られた言葉で言えば
縦割りになった。
その昔、
医者は直接問診をし、
患者に触れ、
脈をとり体臭を嗅ぎ、
排泄物や吐しゃ物を参考
にしながら、
病理を推理し、施薬を試み、
無数の失敗をふまえて
患者の苦痛を和らげた
わけですが。
今、医師は
そのどれにも関与せず、
それらは看護師や技師に委ね、
みずからは法律にもとづいて
医療を執行する役回りとなり。
その責任を担うための存在
になったなと。
患者は治療しなければならず、
生かさねばならないのですから、
役回りの変化もまた
仕方のないことです。
それが一番、効率がいい。
ひとりふたり、
このひとは生かしたいと思える
そんな患者を相手にする時代は
とうの昔に過ぎ去りました。
今ふと、
このかたの作品を思い出して。
「飛べなくなった人」
で、僕はこの作家を知ったんですが。
この表紙を飾る
「燃料補給のような食事」
が、今のすべての分野に
あてはまっているなと。
教育、製造販売、
街に流れる音楽なんかもね。
コンビニに行けば、
商品はもう並んでいる。
牛丼屋へ行けば、
音楽はもう流れている。
大学へ行けば、
授業はもう用意されている。
病院へ行けば、
薬も施術ももう決まっている。
至極詳細な説明書によって、
どんな症状に何を使うかが、
あらかじめ定められてある。
医師は、医師だけに与えられた
法律にのっとった権限により、
説明書の、
技師の検査結果に該当する
ページを繰り、
そこに書いてあることを
執行する。
それはそうさ。
一々考えてる時間なんかない。
月に何人
こなさなきゃならないと思う?
複雑怪奇だが
素晴らしい結果を出す
検査機器を、みずから
扱う余力もありゃしない。
患者の個性をできるだけ省き、
ただ体質や病状にのみ注目して
時間あたりより多くの患者を
治療するほかに、
この世の医療が目指せる道はない。
基本的人権にかかる要求は、
憲法が求めるところでもあるし。
その辺のことをまっとうするには、
この流れ作業的方法が
一番しっくりと来る。
結果、そこに生身の患者が
いなくなったとしても。
僕はそれを肯定してるよ。
どうやったって、
流れ作業以外にはないものさ。
でも可能なら、
胸部X線像は見たいな。
それと心電図とで、
僕の体に関する疾患は
大体、理解できそうだから。
日常気をつけるべきことも、
分かるしさ。
いずれ、近い将来、
まだこの世があればだけど、
病院に行かなくても、
自分の健康診断の結果として、
心電図と胸部X線像くらいは
ネットで見られるように
なったらいいなと。