おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

中川町の博物館へ

2024年08月12日 | 風景

実は僕、

ここへ来てみるまでは

博物館があること知らなくて。

相変わらずグルグル、

迷いながら走ってた時(笑

道路の脇に

エコミュージアムの

ちっさい看板見て、

そっちへ走ってみたところ、

でっかい看板あって、

この建物に出たんで。

建物ってか、

小中学校の再利用だな。

あれれ?

閉館中??

でも明かりがついてるし、

自動ドアも開いたので

中へ。

入口で何事もなく

入館料を支払い、

静かで幻想的な館内へ。

うんなかなか、

展示資料は

いいもの使ってますねぇ。

学術的に貴重なのは

大事ですけど、

ボリューム感も大事だなと。

東大ほかへ

貸し出してる資料もあり。

普通、博物館って、

こういうのはラベルごと

バックヤードへ引っ込める。

でもここみたいに、

これも展示のうちとして

置いておくほうが

リアルで僕は好きです。

昔は、田舎臭いとこが、

こういうのだった。

そんなイメージを

今時の博物館は嫌がる。

でもあれが、

客との距離が一番近い

博物館の姿だったなと

今にして思えば……

このすごい数の展示品を

よくここまでスッキリと

まとめたもんだなと。

石はそこまで空調に

気をつかわなくていいけど、

それでも空調は必須で。

元学校の体育館で、

それをどうやってるのかなと。

見上げればなるほど

シートで天井を、ね。

考えたなぁ……

予算と機能と美的と

すべてクリアしてる感じ。

結露からの水滴は、

石にとっても大敵ですし。

学芸員さんなかなかだなと。

へぇ、

タカハシホタテの断面なんて

初めて見たよ。

そういうの分かってて

見せてくれるのすごいな。

タカハシホタテは

北海道の貝化石としては

極めて代表的なやつで、

教科書にも博物館にも

いくつもあったんですが。

断面がない(笑

それ以来、僕なんとなく、

断面見てみたいなぁと(笑

それがここにあった。

はぇ、

駅逓(えきてい)所も

あったのかぁ。

交易と交通の要所「場所」と

そこへの道中に、馬屋と

宿屋とを兼ねて公に設置された

駅逓所。札幌近郊では、

クラークが国へ帰った島松に

建物が保存されてます。

ここにもあったんだねぇ……

看板が残ってるのって

レアじゃないかしら?

展示場を出ると

校舎の中も少し

見て回れる。

清潔感がすごいな。

懐かしいな。

給食はここで

食べたんだなぁ。

僕はずっと教室だったから、

ちょっとうらやましい。

ぐるりと見回していると、

こんな記事が……

2年前の、

この記事の日だな。

あちらでは日航機、

こちらは大地震かぁ……

けど僕は、

この地震知らないなと。

Hi-net で調べたら、

ガッツリ揺れてるわ。

と、あゝそういえば、

僕このころ8月は

道南やら道外やら

出張ってたなと(笑

思い出したくもない。

面白いのはですね、

この地震、まさに

中川町直下で起きてた、

群発地震のようなもので。

当時のチャートには、

滅多矢鱈に大小の

地震の波が残されてます。

ところが、です。

そのなかで1つが、

やはり樺太半島の東

300㌔㍍越えの深い地震

として記録されてる。

これ、どぅでしょう。

その辺りには、なんでしたっけ?

宗谷深発地震帯でしたっけ?

そんなのがあると、

言われたようですが。

間違った計算値の墓場

だったんじゃなかろうか……

なんかそんなものを生み出す

未知の構造とかあったら

ロマンやね♥️

ふぅ。

学術的には、

素敵な申し分のない

町立博物館だと思いました。

ただね、

そっちへ行き過ぎて

遊びに来た客は

つまらないだろうなと。

実は僕、展示室へ入って

立派な展示を見るうちに、

あるものを探し始めました。

もしかしたら、

この展示の終わりに、

アンモにゃいトが

ありはしないかな、と。

プレゼンでもそうでしょ?

真面目な話の合間に

フランクなのをやる。

公募でもやって

招待券でも送れば、

知り合い連れて

見に来るひとも

いると思いますし。

経済効果もあるし。

なにより

釣りびとと違って

マナーもいいからね。

博物館が町の一部になる

きっかけにもなるし。

町の一部になれない博物館は、

けっこうあるみたいですよ。


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