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岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「詩人の聲」2016年3月(2)

2016年04月27日 16時24分03秒 | 短歌の周辺
天童大人プロデュース「詩人の聲」2016年3月(2)



5、渡ひろこ 3月22日 ギャルリー東京ユマニテ

 渡は10回目の公演。聲が安定して出せるようになった。聲に力を感じられるようにもなった。天童が「10回が一つの節目」と言うように、一つステップを上がったようだ。


 作品は、自然や絵画を素材としたもので、人間の生きる息苦しさ、閉塞感、時代性を表現したものだった。以前はしばしば見られた俗語がなくなっている。インターネット用語のようなカタカナ語も見られなくなった。


 そのせいだろうか、作品の印象が鮮明になった。作品にカミソリのような鋭さを感じさせるものが出て来た。

 しかし、それがオドロオドロシイものになりがちな傾向もあったと思う。その辺りが課題だろう。


6、長谷川忍 3月25日 ギャルリー東京ユマニテ

 長谷川は37回目の公演。詩集を刊行して最初の公演。どのような新境地を開拓していくのか注目した。


 月に二編の新作を作っているという。新作がどのような展開になるのか決めていない、書きたいものを書くという姿勢で臨んでいる。『女坂より』では男女の感情の機微、下町情緒、都市生活者の孤独。こういったものが表現の中心だった。


 読まれた作品は様々な傾向が混在している。それでいいのだろう。試行錯語の中から新しいうものが生まれるに違いない。


7、神泉薫 3月30日 ギャルリー東京ユマニテ


 神泉は50回目の公演。以前はしばしば聞きにいっていたが最近は時間があわず。久しぶりに聴いた。今は、前衛生け花の中川幸夫を詩で表現している。

 花の命の活かすという中川の表現活動、中川の生き方、生け花の作品も表現されている。

 ここで驚いたことがある。こうした表現は解説になることが多い。短歌の社会詠と同じだ。しかし読まれた作品には解説的要素はなかった。

 美しい言葉が使われているからだろうか。聲に何度も出して作品を練り上げてきた成果だろう。詩集の刊行が楽しみだ。






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