岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

短歌を詠むようになってここが変わった:近藤芳美と杉浦明平のことなど

2011年09月08日 23時59分59秒 | 作歌日誌
近藤芳美の作品に次のようなものがある。

・偽善なるバリサイの徒らみづからは苦しむものを憎悪するのみ・「冬の銀河」

 バリサイは、ユダヤ教の排他的指導者。小高賢によると「近藤を傍観者」として批判した杉浦明平に対するものだったろうかという。その通りだとすると自分を「傍観者」と批判した者を、近藤は「偽善者」として反論したことになる。杉浦明平は共産党員だったが、のちに除名された。理由は分からない。しかし、共産党が「国際派」と「所感派」にわかれて対立するのを解消する前後だけに、近藤と杉浦による「代理戦争」のようで人を不快にする。(あくまでそうだとすると、だ。日本共産党内部の対立問題については、あとで記事に書く。)

 なんだか後味の悪い作品だ。近藤を「傍観者」と攻撃する杉浦も、杉浦を「偽善者」と叫ぶ近藤もどこか不愉快な感じを僕に与える。

 そういえば、佐藤佐太郎を「思想的白痴」と呼んだのも杉浦明平。何とも粗野な言葉だが、もうすぐ「杉浦明平の評伝」が刊行されるようなのでそれを待とう。


 ところで「短歌の効用」。

これは僕の場合だが、次の様に言える。

「短歌は頭をやわらかくする。」

 写生・写実派というと、「狂信的」「セクト主義」「保守反動」「エリート主義」などと言われることがある。この中のいくつかは僕も直接言われたことがある。斎藤茂吉と言えば「戦争を煽った」と今でも言われることがあるから、そういう「レッテル」を貼られるのだだろう。

 だから戦後の「アララギ」は脱茂吉で始まったと言ってもよい。岡井隆のいう「土屋文明が< アララギ >の戦後処理にあたった」というのがそれだろうし、岡井隆の家に集まった斎藤茂吉のお弟子さんの間で土屋文明門下の歌人の評判が悪かった(岡井隆「私の戦後短歌史」)のがそれのあらわれだろう。

 しかし僕はそういう思想的意味(宗教を含む・斎藤茂吉が「生を写す」と表現したおかげで、宗教的悟りと混同する人が未だに少なくないのは困ったこと)で「写実」を選んだのではない。正岡子規の意気込み、斎藤茂吉「赤光」の衝撃などに先ずひかれて、尾崎左永子・星座の会主筆の説明する佐藤佐太郎にひかれ、佐太郎の作品に表現されていた「自己凝視」の姿勢に魅力を感じたからだ。

 茂吉や佐太郎の作品は事実にこだわる「客観写生」とは違う。「写生・写実」といえば、「見たままをそのまま詠う」と今でも考えている人がいると今さらのように驚く。「写生」を名乗っている結社のなかにもそういう理解を唯一のものとして、「写生」を考えているものもあるから、仕方がない面があるが、正岡子規はそのようなことは言わない。

 畾楽・遊び心・「嘘をつくなら、もっと気の利いた嘘をつくがよく候」とフィクションも認めている。だから「セクト主義」「保守主義」「宗教性」と「写生・写実」はイコールではない。

 佐太郎は「諦念」と言った。これはごくわかり易く言うと「静かな心で自己を見つめる」ということで、「宗教的悟り」とは違うものだ。重なる部分もあるが、イコールではない。(この「諦念」を「坊主主義にならなければよいが」と心配してくれたのはマルクス主義者の坪野哲久だった。)

 斎藤茂吉は「ためにする歌」とプロレタリア短歌を批判した。「政治宣伝のための短歌」という意味だが、マルクス主義ぎらいでもある。しかし全否定ではない。プロレタリア短歌の「かりものの批評語」「作品の小市民性」「いっときの流行にのりおくれまい」と言った傾向を批判したのだ。だから、

「プロレタリアートなら、プロレタリアートらしく< 実相観入 >するがよい。」

と言ったのだ。いろいろ読むと茂吉は面白い。

 ところが茂吉は戦時中「ためにする短歌」、戦意高揚の作品を作った。そこが大きな過誤だったのだ。師匠筋だからといってとりわけ言い訳する必要はないだろう。それを負の遺産としても差引き有り余る業績がある。問題は茂吉の過誤を繰り返さないためにはどうするかだ。

 茂吉の感受性は鋭い。歌論も隙がない。それに磨きをかけたのが佐太郎だ。しかしその佐太郎も、

・電車にて酒店加六に行きしかどそれよりのちは泥のごとしも・「歩道」

というユーモア溢れる作品を「真面目に」詠っている。

 真面目にユーモアを表現する。こんなことは短歌を始めるまえの僕には理解できなかっただろう。

 短歌は詩である。詩の役割は情報の伝達ではなく、情感の表現である。その情感は俳句でも自由詩でも表現はできない。難解だが面白くわかり易い。定型詩は窮屈なようで自在だ。どれも形式論理学ではつじつまがあわないことばかりだ。

 詩は印象の広がりを要求する。だから日常から様々なことに興味を持つ必要がある。印象が広がらない作品は、説明的で平板で面白くない。だから四方に感受性のアンテナを張る。だから歌論と宗教の経典とは違う。経典にしたとたん、古今集を「聖典」とした旧派和歌の現代版になってしまうだろう。

 そういう事をさまざま考えて作歌をする。文章を書く。本を読む。だから自然と頭は柔らかくなる。


 さて、話を最初に戻そう。僕は杉浦明平のように近藤芳美が「傍観者」であることだけを以て非難するつもりはない。共産党の35議席への躍進をきいて心を動かされるのもいいだろう。「思想信条の自由」があるのだから。「歌い来し方」を新書本で読んだが大変な時代を生きてきた。「平和希求の思い」も人一倍強い。

 だが近藤自らが代表歌として選び「現代の短歌」(高野公彦編)に収録した作品の「唯不安にてマルクスを読む」の表現はいただけないと思う。マルクス主義者、いやマルクスやエンゲルスが嘆くのではないかと思う。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮柊二の代表歌集:「山西省... | トップ | なぜ写実系以外の歌人の歌集... »
最新の画像もっと見る

作歌日誌」カテゴリの最新記事