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岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

原子力災害はどうなったか

2012年06月17日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
短歌を詠む場合にしばしば思うのは「一度聞いた事は忘れないようにしよう」ということである。「星座」の尾崎主筆や「運河」の長沢代表と直接話をするのは稀だからである。

 直接話をするのが稀だからこそ一度聞いたことは忘れてはいられないし、こちらからの質問に対する答えは、なぜ、そうなのかという事を含めて、よく考える必要があるのだ。

 いわば、納得出来るか出来ないかの問題が肝心なのだが、直接話をするのは、滅多にないチャンスと心得ている。それでなければ、結論だけを丸暗記することになる。これでは意味がない。

 斎藤茂吉は次のように書いている。

「すぐさまその結論だけに飛びつくのであるから、自然出来たものが軽薄になるのである。」(「短歌初学門」)

 これは、「結論だけに飛びつく」ことの無意味なことと、「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」というようなことを戒めている言葉だと思う。

 天災、人災、事故、事件なども同じである。現在の事で言えば、福島の原子力災害と原発再稼働の事がこれにあたる。

 2011年3月11日の地震発生直後、その後の福島第一原子力発電所の水素爆発により日本列島に衝撃が走った。それから毎日、新聞の記事にならない日はなかった。少なくとも一年はそうであった。

 だが、一年を過ぎると、報道がめっきり減った。

「東日本大震災と原発だけが、報道すべき事ではない。」

 その通りなのだが、どこか次第に或いは徐々に記憶が薄れていくように感じる。マスコミの報道の回数や時間、ともに減少しているのは事実だ。

 喉もと過ぎれば熱さを忘れるでは済む問題ではないし、忘れてはならない問題だ。原発の安全確認、所謂ストレステストの結果も説得力がないように思う。まして、原発の再稼働など考えも及ばない事であった。


 大飯原発のあとは、伊方原発、玄海原発と続くに違いない。いや、続く方向に道を開いたとも言える。人間は歴史から学ぶとよく言われるが、果たして手放しでそう言えるのだろうか。何かこの消費税引き上げ法案の三党協議の交渉カードとして使われたと思えるのだがどうだろうか。

 だとすれば、「歴史の教訓から学ぶ」というのは土台無理だということになる。学ぶ意欲や、姿勢、努力、さらに能力がなければ、学ぶ事は出来ないということか。




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