原発に依存する必要はもはやない
原子力の「平和利用」が始まったのは、昭和30年代だった。東日本大震災のあとしきりに報道されていたが、日本の原子力の「平和利用」は、アメリカによる、ビキニ環礁の水爆実験に対する反対世論が盛り上がった時期だった。
第5福竜丸のビキニ環礁での被ばく事件直後、日本国内で原水爆禁止を求める運動が始まった。杉並区の主婦たちが、築地市場の鮮魚業者が、ほぼ同時に始めた。
運動の矛先は、とうぜんアメリカにも向いた。アメリカから「原子力の平和利用」が、言われ始めたのは、この直後だった。歴史書によると、「対米感情を軟化させる思惑があった。」と言われる。
日本で原子力委員会が結成されたとき、科学者の間には反対論が多かった。それを見切り発車したのは、中曽根康弘と正力松太郎だった。政治家と財界人が牽引したのだ。
もともと反対だった、湯川秀樹は海外から急遽帰国して、「原子力の平和利用三原則」を徹夜で作って、原子力委員会のメンバーとなった。(自主、民主、公開の三原則)
これは核エネルギーの軍事利用だけは避けたいという、苦肉の策だった。しかし、湯川は原子力委員会が不十分だとして、委員を辞任した。
この経過を見ただけでも、日本の原子力政策の異常さが突出している。
さらに東日本大震災で明らかになったのは、「放射線を防ぐ五つの壁」が意外と弱かったという現実だ。科学技術に「絶対の安全はない」。科学技術に対する神話が崩れた。火力発電にも、水力発電にも、危険性はある。だがその危険性は、原子力発電の比ではない。原発の事故は取り返しのつかない事態を起こす。
グリンピース・ジャパンの調べによれば、この9月で、日本の原発が全部止まってから一年経つ。これほど急激に原発がゼロになったのは世界に例がないそうだ。
民間の節電も進んだ。その総量は、原発13基分に当たるそうだ。再生可能エネルギーの導入も進んでいる。それは原発3基分に相当する。この間、停電は起こらなかった。化石燃料による二酸化炭素の排出はほとんど変化がない。燃料の輸入で「国富の流出」とも言われたが、輸入額の増加は、円安などが主な原因で、火力に切り替えたせいではないそうだ。
そもそも福島第一原発以外の、原発48基のうち46基は、丸2年使われていない。
ここまで来たら、この方向で続けたほうがいいと思う。科学者たちは、再生エネルギーの開発普及に全力を尽くしてほしい。
原発は、大手電機メーカーが手掛けている。企業利益のために原発再稼働など、ゆめゆめ意図しないでほしい。
日本政府も、原発を「企業の成長戦略」などと、位置づけないで欲しい。景気が回復しても、放射線の汚染の危険を、感じつつ生きるのは御免だ。
日本は、世界有数の地震国火山国だ。災害列島と言ってもいい。その日本に世界の原発の一割が集中している。これはイビツではないか。九州の川内原発の周囲には、活火山が多い。「火山が爆発する時は、核燃料を持ち出す」と電力会社は言うが、火山の噴火に当たって、そんな悠長なことは言っていられないだろう。
「原発ジプシー」と言われる労働者がいる。全国の原発の点検を専門に行う労働者だ。ほぼ一年中全国を駆け巡る。知り合いに一人いたが、癌で亡くなった。原発はそこで働く労働者にも過酷な労働条件を押しつける。
原発はどこから見ても不条理だ。その不条理な原発を、安倍政権は海外に輸出している。事故が起こった時の補償は日本政府が受け持つと言う。これもまた不条理だ。
