オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

自覚症状

2007年05月18日 | Weblog

職場の知人が心臓発作を起こして倒れた。

 頑強な人だったが、以前から時々胸の痛みを覚えて、病院で精密検査をしてもらったが異状なしだったそうだ。それでも気になって別の病院でも検査してもらったがやはり異常なかった。そこで本人は健康管理のつもりでいつも通りジョギングをしていたら、心臓発作に襲われ心臓停止で緊急入院し、未だに意識が回復していない。

医者の予防医学はどうなっているんだろう。

 あまりにも近代的な高性能医療機器に頼り過ぎて、検査で異常なければ結果を頭から信じ込んでしまっている。その前に本人の自覚症状があるはずだろう。検査はある時間を切り取った中での結果であり、生体は常に動いているし、環境や状態に応じて変化している。検査で異常なければ全て問題なしと断定するのは間違いだと思う。症状が出ていない時に検査しても異状がないのは当たり前である。自覚症状があったという事実はどう説明するんだろう。

この前も、医者の誤診で友人を失ったばかりである。

 友人も、自覚症状があり、何度も足繁く病院に通って病状を訴えたが、どういう訳か原因に至らなかった。そして、原因が解った時は手遅れだった。過去にガンの摘出手術をしていることも明確なのにもかかわらずである。本人もそれを承知で再発の疑いをぶつけたのである。再発が判明した時、友人はその医者を信用できなくなって、昔の摘出手術の執刀医の病院へ転院した。

人と人の関係で医療に従事しなければならないと思う。

 精密機器の故障診断をしている訳ではない。そして、医者の五感を時には第六感をも駆使してまずは自分の見立てで診断しなければならないと思う。この頃は、問診、診療を飛び越してすぐに検査に回してしまう。そして検査結果に基づいて治療に取り掛かる。昔はほとんどが問診、視診、打診、聴診、触診など身体的な診療がほとんどで、医者は過去の経験に基づいて自ら診察して病気を推測していた。今はそんな経験を積んだ医者も少なくなっているし、あえて開業医で地道に問診、診療の経験を積もうと言う人も少ない。

人間の身体は詳細に検査すれば悪いところはいくつか見つかる。

 その悪いところを徹底して治療すれば健康になるかと言えば、そうでもない。悪いままでも経過観察だけで十分な疾患もある。それなのに検査に引っ掛かったものは全て治療しようとする。治療による危険性と今後悪化する危険性の評価も無視して自覚症状の訴えもないのにとにかく治療に走る。かと思えば、検査結果に出なければ自覚症状を無視して病因を見過ごしてしまう。何かおかしいのではないか。検査は問診、診療によって下された診断を確定するもので、何でも検査に頼ってしまうのは何かおかしい気がする。

急に食欲がなくなったことも医者にとっては重要な兆候である。

 頭が痛い、吐き気がする、身体がだるい、動悸がする、身体がほてる、変な汗が出る、痛みがある、痙攣する、物忘れする、などなど、どれも医者が聞けば病因の一つや二つは浮かぶはずである。ところが、普通はこれらは個人レベルで我慢してしまうし、市販の薬で押さえようとしてしまう。果たしてこれでいいのだろうか、疑問に思ってしまう。身体の警告を無視している。

患者側の我々としては、

 自覚症状は大切にしなければならない。我慢したり、忘れ去ってしまうと、せっかくの身体からの警告が無駄になってしまう。違和感をそのままにしておくと、異常な状態で安定状態に戻って症状はなくなってしまう。一度感じた違和感は忘れないでしっかりと記憶しておかなければならない。また、医者は患者から聞いた自覚症状を見逃さず病気の原因追求に役立てないといけない。ここでも人と人のコミュニケーションが大切になる。是非個人的に信頼できる主治医を早めに見つけたいと思う今日この頃である。

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