
エコ燃料が世界的に騒がれている。
石油への依存度をなくして国際的な脆弱性をなくそうという米国の戦略の一環であろうが、基本的に食料や燃料や材料を全世界から安価で仕入れて自国が豊かな社会を築くことに限界がきているのだと思う。考えようによっては、発展途上国の犠牲の上に自国の繁栄があり、世界的に見ると富の片寄りと貧富の差が拡大している。
これからは、大量消費の時代は終焉を迎える。
一方通行の消費ではなくサイクル管理された消費が求められる。消費量は徹底的に節減され、使い捨ては許されない世界が広がる。当然ながら、これにかかるコストは2倍、4倍と膨れ上がって行く。それでも、この流れは避けられない運命である。大量消費を謳歌していた時代は過去の歴史の中に封じ込められてしまう。
基本的にはエネルギーは循環させなければならない。
一方通行のエネルギー消費は、膨大な廃棄物を生み出すし、地球上を排気ガスとゴミの山にしてしまい、瓦礫だらけの荒廃した地球を生み出す。はっきり言うと、ゴミの山を次のエネルギーを生み出す資源としなければならない。地球上に安定的に供給されているエネルギーは太陽エネルギーであり、このエネルギーを有効に使う手段が求められる。
地球そのもののエネルギーを使い果たすと、
地球上の調和は乱れてしまう。降り注ぐ太陽のエネルギーをそのまま利用することは、太陽が消滅しない限り未来永劫無限循環が可能である。エコ燃料は基本的にはこれを目指しているんだろうが、まだ、太陽のエネルギーだけで循環している訳ではない。化学肥料や栽培、収穫、加工などに使うエネルギーは従来の燃料に依存している。このエネルギーもエコ燃料でまかなって、初めて循環サイクルが完成する。
我々としては、将来のエネルギー環境に備えなければならない。
コストはかかっても、循環サイクルが成り立つエネルギーに切り替えて行くことを考えなければならないし、エネルギーの無駄使いも自粛しなければならない。一番効率のいいのは、自分の体を使うことである。人間の体ほどエネルギー効率がよくて自然に優しい機械はない。おおいに活用しよう。自分の足で歩いて、走って、肉体労働して、ものを作り出して、なおかつ健康に生活できる。良いこと尽くしである。
そう考えると、大都会はもう一度再検討しなければならない。
大都会こそ巨大なエネルギー消費の元凶である。少なくとも、地方は自然と共存しているし、外部からのエネルギーを断たれてもどうにか我慢して自活できる。大都会は自然と懸け離れた環境に築き上げられているので、エネルギーの供給を断たれると、そのまま死活問題につながる。考え直さなければならないと思う。自然回帰は不可能だと拒絶している場合ではない。切実な問題でもある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます