仕事を一時期お休みして優雅な生活を送っている。
通勤帯でしか外部との接触がなく、ほとんど就業時間は職場で過ごしていたのであまり気付かなかったが、日中に電車に乗ると意外と赤ちゃん連れの若いお母さんを目にすることが多い。世の中で一番大切なものを大事に抱きかかえて守っている姿を見ていると、何となくホッとして平和で安泰な気持ちになる。そしてそのお母さんの顔が菩薩に見える。
赤ちゃんは本当にいたいけで、か弱い存在である。
細心の注意を払って大事に育て守ってやらないと言い方は悪いが簡単に壊れてしまう。そんな小さな命を全身全霊を注ぎ込んで育てている母親がたくさんいる。この母親があって世の中の老若男女の人達は存在しているのである。私もそんな計り知れない愛情を受けてここまで生きてこれたのだと思う。両親から私が幼い頃2回くらい死に掛けた事を聞かされた。一度は赤痢で、もう一度は怪我だった。死ぬ寸前であったが奇跡的に生き返ったそうだ。両親の献身的な看護のおかげだと思う。
人間の赤ちゃんを見ていると、
全く無防備で、自分では何も出来ない。落っことしたら、捻じ曲げたら、ぶつけたら、押しつぶしたら、すぐにでも壊れそうである。呼吸もか弱く、食べ物も自分では取れないし、排泄の世話もしなければならない。体温調節も不十分で一時も目を離すことができない。そのほとんどを母親が面倒を見ている。そんな赤ちゃん生活を経験しているのだから、ほとんどの人が母親を思慕する感情は当然のことにも思える。そういう意味で母親は偉大である。
若い母親が子育てしている姿を見ていると、
日本の将来は安泰だなぁと思う。知識とか知能は別として、人間の精神的な要素は3歳くらいまでに決まってしまうそうである。その重要な部分を担っているのが母親である。母親は優秀な日本国民を育てる重要な役割を担っている事になる。是非愛情をたっぷり注いで、しっかりとした心を持った子供を育ててもらいたいものである。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理(ことわり)十五で末決まる」という昔からの言葉がある。確かに言い得て妙である。
この言葉からすると、
15歳で人間はほとんど出来上がってしまうことになる。昔の人は15歳で元服して成人として扱われていた。この方が自然に思える。今の若者が甘えているんではないかと危惧する。心が悪いのか、躾が悪いのか、言葉が拙いのか、読み書き能力が不十分なのか、道理をわきまえないのかわからないけれども、学校教育ばかりではなく、子供の育て方を根本から全てにわたって見直してみる必要があると思う。
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