オクトシティー正直村

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国の生い立ち

2024年06月14日 | Weblog

人間に生い立ちがあるように国にも生い立ちがある。

 それぞれの国の生い立ちによって国の性質が違ってくる。当然と言えば当然であるが、意外と気づかないことが多いし、あまり気にしていない。考えようによっては人間でも一人一人の生い立ちを細かく気にしていないし、そのような情報をいちいち確認することも不可能である。時々犯罪を犯した人の生い立ちを事細かく調べあげていろいろと分析しているが、果たして正しいのかどうか怪しいものである。

我々は現在に生きている。

 しかしながら膨大な過去の経歴を抱えて生きている。現在の考え方や行動を決めるのは膨大の過去の経歴から絞り出したエキスに基づいている。しかしながら、それを具体的に表現することはできないし、理由を明確に説明することもできない。いい加減ではあるが、何となく決めているのが現実であろう。何となく決めて行動してみて少しずつ周囲の環境に合わせながら生活しているのではないだろうか。

それでも本人の決定した大本の根拠は本人の過去の経歴の中にある。

 これが個性でもある。これまでの生い立ちが個性を決めているのである。生い立ちは人それぞれに違うので、個性が多様であるのは当然だと思えるし、個性が同じになることの方が難しいし、不可能でもある。この個性を大切にして自分をちゃんと主張できる人と、個性を捨てて周囲に合わせてしまう没個性の人もいる。通常であれば自己を主張できる人の方が望ましいし、あるべき姿なのであろう。

国の生い立ちを調べてみると面白い。

 一介の一人の人間の過去を記録したものはないが、国の歴史は丹念に記録されている。例えば、日本国は約2700年前から建国され世界最古の国である。四面環海で外敵からの侵略にさらされることもなく、数々の内戦はあったが、比較的平和な中で国家を築きあげてきた。日本人の基本的な考え方は「和をもって貴す」である。このような考えを持つ国は数少ないし、日本人として誇りとすべきである。

ロシアや中国はどうだろう。

 私はロシアや中国も善良ないい国だと思う。本来は温厚な農耕民族が主体の国だったと思う。この国を乱したのは北方の騎馬民族であった。乗馬技術と武器と集団での戦闘能力を駆使して略奪と破壊と征服を繰り返し、農民が作り上げたものを搾取し破壊し蹂躙して征服していった。はっきり言ってこの歴史の繰り返しである。その実態は悲惨なものであり、この対策に苦労した歴史でもある。

私は、時々ロシアや中国はどうしてこんな考え方をするんだろうと思うことがある。

 それは日本と違って、大陸国家のため平地続きのどこからでも侵略でき、定着民族は土地を開拓し農耕を営んでいても、北方の遊牧騎馬民族の侵略、略奪、征服によって蹂躙されて平和を乱されていたのである。中国の万里の長城は苦肉の策だったと思う。悪いのは北方の遊牧騎馬民族ではあるが、これは民族の特性でもあり、一概に非難することはできないのだろう。

このような環境の中で国の性質が決まってくる。

 そう考えてみると、ロシアや中国の考え方がわかるような気がする。我が日本国とは違うのである。「和をもって貴す」なんて言ってられない。いつ外敵から攻撃されるのかと戦々恐々としているのであり、武力に対しては武力で対抗するのが彼らのやり方である。たとえ敵意を表明していなくても、いずれかは敵となる国だと思われている。我々もそこの部分はある程度理解して同情する必要がある。

ロシアの前はソビエト連邦であった。

 連邦とは邦が集まったもので、「ソビエト」とはもともと評議会のことである。別々に存在した邦の代表を集めて評議会を開催し、重要事項を決定した。その評議会の下でまとまったのがソビエト連邦であった。もともとロシアは王政による民主的な国家だったのである。これを終わらせたのは日露戦争で、皇帝の権威は失墜し、第一次世界大戦の長期化による生活の困窮から皇帝の政治は終了し、社会党政府による政権が誕生した。これがソビエト連邦である。

中国は正式には中華人民共和国である。

 中国は中華民国政府と中国共産党が対立し、中国共産党が中華民国政府を大陸から駆逐し毛沢東が中華人民共和国を樹立し、中華民国政府は台湾に撤退し中華民国を名乗っている。清朝までの壮絶な混乱の時代から中国共産党独裁の政権が発展していったのである。ここでも日本国が影響を与えている。日清戦争であり、その後の統治である。決して赤の他人ではない。
中華とは真ん中の華であり、自己の文化が最高で天下の中心に位置するとみて、それと異なる周辺の文化を蔑視(べっし)する考え方が強い。

国の生い立ちを考えてみると、

 各国の外交における考え方や行動が理解できるし、ある程度は良くても悪くても理解してやるところから出発しなければならないのだろう。どんな国であってもその存在は認めてやらなければならないのだろうし、そんな国もあるというところから話し合いを始めなければならない。嫌いだ、気に食わないと感情的になっても仕方ないし、感情的になるところから争いに進展する。これまでの戦争の歴史がそうであったではないか。理性的で冷静になる時でもある。

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