オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

キレル人

2007年05月06日 | Weblog

キレル人を病気だと言う専門家がいる。

 精神を安定させる脳内物質が分泌されず、反対に精神を不安定にし攻撃的にさせる脳内物質が大量に分泌されるためだと説明する。確かに現象的にはその通りだろう。しかしだからと言って現象を説明するだけでは問題はいつまでたっても解決しない。そこで精神を安定させる脳内物質の分泌を促進し、不安定で攻撃的にさせる脳内物質の分泌を抑制する薬を投与することによって解決を図ろうとする。しかし、これで本当に解決したことになるのだろうか。薬に頼らなければいけない状態になってしまっていること自体が問題であり、このルーティンを断たない限りいつまでも繰り返すことになる。

本来の脳は正常なコントロール機能を持っているはずである。

 青少年で未発達な者の場合コントロール機能に一時期欠陥があるだろうが、それは薬の対処療法で治すのではなく、自らの力で精神の調和が取れるように鍛錬すべきものだと思う(「鍛錬」とは古い言葉を持ち出したものである)。自らの身体機能として精神を安定させる脳内物質を分泌させ、精神を不安定にし攻撃的にさせる脳内物質の分泌を抑制する方法を学習する必要がある。極端な症例の場合は一時的な対処として薬による治療もあり得るが、何もかも全てを薬による治療に頼りきってしまうのはいかがなものかと思われる。

個人の行った行動には原則的には個人が責任をとるべきである。

 それを「個人が悪いわけではない、個人の脳が悪いのである」と言われて、全てをこれで片付けられたら困ったことになる。個人の脳の状態を悪くしているのも個人である。個人の脳の状態を良好に保つためにどうすべきかを学習するのも個人である。個人を取り巻く環境(家庭、人間関係、社会、教育など)はあくまで行動を起こす原因やきっかけにしか過ぎない。しかも、この原因やきっかけにより起こす行動は多種多様であり、悪い方向ばかりを向いているわけではない。悪いことをした人の原因やきっかけを分析して環境のせいにする人は多いが、同じ環境状態にあっても悪い行動に走らなかった人のほうが多くいるのである。

人は無菌の温室の中で純粋培養で育つわけではない。

 良い環境も悪い環境もどちらも経験して調和が保てると思う。調和が保てない人はこの経験が不足している、もしくは極端に片方の経験だけを経てきた人ではないかと思う。いや、もっと悲惨なのは、無視されて放任させられてそのような環境から隔離され大切な経験を積んでいなかったのではないかと思う。端的に言えば、心が育っていないで子供のままで何も考えていないのである。

「ストレス」を悪者扱いするが、

 人からストレスを取ったら何も残らない。人はストレスのために生きていると言っても良い。自分にストレスをかける事によって、生きる力が湧き、達成感が得られる。ストレスは身体に良い。問題なのは過剰すぎるストレスである。過剰すぎるストレスを持つ者は、基本的に外の世界との調和能力が欠けている者である。調和が乱れて、何でもないことが過剰なストレスとして自分に圧し掛かってくる。過剰なストレスと認識して思い込んでいるのも本人である。これをさらりと受け流せる能力は経験によって培われるのだと思う。どう考えても医者の薬による治療ではなさそうである。

魚の知能テストを繰り返し実験した結果がある。

 学習能力と成長速度は相関性があるそうである。脳も身体の一部で、身体の成長に合わせて脳も成長する。脳の発達のためにも充分な栄養摂取と運動は不可欠なようである。次に、生育環境でも学習能力は変化する。ただの水槽でなく複雑な環境の中で飼育した方が脳は発達しやすい。当然自然環境の天然が一番である。次に、脳には発達のための感受期がある。この時期を過ぎると外部からの影響の効果はなくなる。当然ながら知能の高い魚は生き残る確率は格段に高い。何だか、考えさせられるような結果である。


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