うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

♪愛宕の山は天下の険(違)

2005-09-23 20:55:01 | 表へ出ろ
昨日の夜は、東京・港区にある愛宕(あたご)神社のお祭りに繰り出したのである。この神社は1603年、徳川家康の命によって、江戸の防火の神様として祀られた由緒正しき神社である。NHK発祥の地としても知られているし(現在も神社の隣にNHK放送博物館がある)、鉄道唱歌を知っている人ならピンと来るかも知れない。

♪汽笛一声新橋を は我が汽車は離れたり
  愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

この「愛宕の山」こそ、ここのことだ。昔の、高層建築が全くない江戸の町において、標高26mの愛宕山は一大ランドマークだったわけで、安藤広重の浮世絵などにも題材として取り上げられ、文学作品にもしばしば登場する。
今でこそ超高層ビルに囲まれてはいるがしかし、東京23区内では最も高い「山」なのである。「江戸城築城の際にお堀の土で作った」という説があったが、調査の結果、土壌は立派な関東ローム層だったそうで、なぜここだけ何の脈絡もなく山ができてしまったのかは未だ謎のままらしい。

それはさておき、今年の愛宕神社のお祭り、は2年に1度の「出世の石段祭り」。出世の石段とは何か?実は、愛宕神社正面の石段のことを指す。

寛永11年、江戸三代将軍・徳川家光が芝・増上寺参詣の帰りにこの前を通りかかった。季節は春。愛宕山に咲き誇る源平の梅(一本の木に紅白の花が咲く梅)を見て、家光は「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じた。一人の男がその命に応え、石段を馬で駆け上り、山上の梅を手折り、再び馬で駆け下りて家光に献上した。この男は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)といい、家光から「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名を全国に轟かせたという。その故事以降、この石段は「出世の石段」と言われるようになったそうな。

この石段が普通だったら、わざわざこんな話は生まれない。とんでもない急勾配なのである。目測およそ45度。上りはキツイし下りは怖い。冒頭の写真は、石段のてっぺんから下を撮ったものである。夜だから暗くて、提灯しか見えていないが、この提灯の連なる角度でご想像いただきたい。馬どころか、若い人間でもかなりキツイだろう。タイ人の観光客集団が、一所懸命に上ってきた年配の人(赤の他人)や、楽々上った警官に拍手を送っていたぐらいだ。ちなみに、江戸以降では3人がこの石段を馬で上り下りすることに成功しているそうだ
この石段を神輿が上り下りするというのが、「出世の石段祭り」なのである。

夜7時過ぎ、石段下に神輿が到着。三本締めで気合いを入れて、一気に石段を駆け上る。一歩間違えば死人が出かねない危険なことだけに、緊張感がほとばしる。私も写真を撮るのも忘れて見入ってしまった。もっとも、撮ろうにも他の見物客が多すぎてシャッターチャンスを失った、ということもあったのだが。



神輿は無事に山上へ到着した。ちなみに、この日は一基が上るだけだったが、今日は二基が上り下りしたそうだ。もし見てみたい方は、再来年の例大祭にぜひお越し下さいませ。ほど近い東京タワーなどの夜景も、なかなかオツですよ。


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