髄膜炎は つらいよ

 現在 長男は小3だが、私が小3だった38年前の今頃は髄膜炎にかかり
2週間近く入院するハメになった。

 実は当時この病気は同じ学年で流行っていて同級生が5人ほど感染して
市立病院に入院していた。
 私は6月の初めにおたふくカゼに かかり寝込んでいたのだが、なかなか
治癒しないので個人病院から総合病院である市立病院に転院して検査の
結果 髄膜炎と判明したのだった。

 この髄膜炎の検査は脊髄の骨髄液を採取するのに腰椎麻酔の要領で針を差し込むのだが、これが激痛を伴うのだ。

 検査の結果‘一刻も早く入院しての治療をしないと脳膜炎になりかねない’
との事だったので即刻入院で生まれて初めて点滴を打つ事になる。

 前年の7月に扁桃腺除去手術を受けて1週間入院したのに続いて2年連続
の入院という事になったのだが、扁桃腺除去手術の時は点滴を受けずに
済み点滴の辛さを初めて経験する事になった。 

 点滴を打つのに当時はギブスで腕を固定されていたので不自由な事この
上なかったし、点滴が落ちるのが遅いので寝ようにも寝られない。

 入院したのは6人部屋で、お婆さん1人を除いて私を含めた5人が子供
だったのだが全て髄膜炎での入院。
 更に隣の病室では同級生が2人ばかり入院していたのだ。

 1週間後に2度目の骨髄液採取検査を行い再び痛い目に遭ったのだが、
おかげで その週末の6月23日に退院できる事になった。
 なぜ覚えているかといえば退院翌日の24日にOAされる仮面ライダーの
怪人がカブトロングで当時かなり前評判が高かったので、何とかOAに間に
合ったと喜んでいたのだ。

 とはいえ退院すると更なる試練が待ち受けていた。
 まさしく前門の虎、後門の狼というヤツだが それは・・・・・・・

  2週間の入院期間中は当然ながら全く勉強をできなかったので授業の
遅れを取り戻すため遊びに行くヒマがないほど勉強させられるハメになった
のだ。

 だからTVも土曜日なら19:30からの仮面ライダーは見る事ができたも
のの、 19:00からの快傑ライオン丸や20:00からの八時だヨ全員集合などは
見られなかっただった。

 そんなワケで退院してからの2週間は

 地獄だった。

 余談ながら99年1月に同じ市立病院で脱腸の手術を受けたときに腰椎
麻酔を打たれるのだが、看護士さんから‘上手いですね’と褒められた。
 これは骨髄液採取された時の要領を体で覚えていたので、まさか27年
後に同じ病院で骨髄に注射針を刺されるとは思わなかった。 

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