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具志堅用高の世界タイトル奪取から40年

 今から40年前の今日76年10月10日に山梨学院大体育館で行われ
たWBA:Jフライ級タイトルマッチで10位の挑戦者・具志堅用高が
王者のファン・グスマンを7RでKOしプロ入り9戦目でタイトルを
奪取した日である。

 王者のグスマンは21勝中15KOを記録する‘リトル・フォアマン’
といわれた強打者で、9戦目のキャリアで日本タイトルも取ってない
具志堅には荷の重い相手だと思われていた。

 ところが試合が始まると具志堅は思い切った攻撃を見せると2Rに
早くもダウンを奪い3Rこそ王者の右を被弾するが、怯む事なく更に
攻撃のペースを上げて追い詰めていくと7Rに左ストレートから右ア
ッパーの返しでダウンを奪いKO勝ちしたのだった。

 76年は65年にファイティング原田がエデル・ジョフレに判定勝ちし
世界バンタム級タイトルを奪取して以来続いていた日本人世界王者が、
5月にガッツ石松と輪島功一が陥落したため11年ぶりに不在になった。

 そんな中で前日ロイヤル小林がリゴベルト・リアスコを8RでKOし
2度目の世界挑戦でタイトルを奪取して世界王者不在期間にピリオドを
打ったのに続き、具志堅がタイトルを奪取したので連夜の世界王者誕生
に沸いたわけだ。

 ただミュンヘン五輪代表でKO仕掛け人という異名を持つ小林に対し
プロ入り9戦目での世界挑戦の具志堅を比べると日本のエースという
称号は断然 小林に軍配が上がっていただろうし、会場も小林が蔵前国
技館だったのに対し具志堅は山梨学院大体育館だったのを見ても分かる
だろう。

 それが逆転するのは小林がタイトル奪取したものの挑戦時の契約で
義務付けられた45日以内の敵地・ソウルでの初防衛戦で不運にも敗れ
たのに対し、具志堅は強敵ハイメ・リオス相手にダウンを跳ね返して
初防衛に成功し3度目からは6連続KO防衛を含め4年5か月にわたって
13度の防衛に成功した事だろう。

 70年代半ばから後半にかけては輪島功一の2度の返り咲きの間に世界
挑戦戦10連敗に、具志堅がタイトルを奪取してから78年8月に工藤雅志
がWBA:Jミドル級王者になるまで16連敗という暗黒時代を迎えていた
ので具志堅の存在が日本のボクシング界にとっては唯一の光だったわけ
である。

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