徳山昌守の最大の敵となったのは・・・・・

 今から16年前の今日04年6月28日に横浜アリーナで行われた
WBC:Sフライ級タイトルマッチで、王者の徳山昌守が川嶋勝
重に1RKOで敗れ9度目の防衛に失敗した日である。

 両者は1年前の03年6月23日に7度目の防衛戦で対戦しており
大差の判定で徳山が勝っていたし内容的にも、川嶋の一発さえ
もらわなければ何度やっても同じ結果になるという感じだった
ので大した興味は持たなかったのだが帰宅してタイマー録画し
た試合を見ると何と1Rで川嶋がKOしていたではないか!

 改めて見てみると21世紀のディフェンスマスターともいえる
徳山が‘これさえもらわなければ’という川嶋の右を貰っていたの
だから驚いたのだが、モチベーションの低下以外の何物でもな
いと思ってしまった。

 ご存知のように徳山は北朝鮮籍のボクサーで所属ジムの規模も
小さかったから経済的にも厳しく前王者との再戦となった2度目
の防衛戦は敵地・韓国で行う事になったし、かつて川島郭志から
タイトルを奪取したジェリー・ペニャロサとの2試合は素晴らし
い技術戦だったものの素人が見るには良さが分かりづらい試合ぶ
りだったので人気も今ひとつ。

 そもそも徳山は相手のよさを潰して行くスタイルだから対戦相手
が強ければ強いほど輝くタイプにも拘わらず、ジムサイドは飯のタ
ネであるタイトルを1度でも多く防衛させるため強敵相手の試合を
組むのをためらっていた感が強い。

 それでも04年の1月に1位のドミトリー・キリロフ相手に完勝した
のと同じリングでWBA王者アレクサンドル・ムニョスが小島英次と
の防衛戦を行ったので、次回はムニョスとの統一戦が期待されたの
だが6月に行われた相手はまさかの川嶋だったのを聞いて我々も驚い
たのだから徳山の落胆ぶりは想像に難くない。

 実際に1年後に行われた3度目の対戦では最終ラウンドにダウンを
喫したものの内容的には完勝で大差の判定勝ちだったし、奪回後の
初防衛戦では川嶋が大苦戦の末1-2の判定勝ちしたホセ・ナバーロ
を全く相手にせず完勝したのを見ても川嶋との2戦目が いかにモチ
ベーションが欠けていたかが分かる。

 結果的に長谷川穂積や亀田興毅との対戦が実現せずに引退という
形になったわけだが、せめてムニョスとの統一戦を戦わせてやりた
かったと思ってしまう。

 確かに昭和の時代は1度でも多く防衛を重ねる事が唯一無二の価
値観だったが平成に入ると‘誰と戦ったか?’というのが重要になる
のでボクサー達は強敵との対戦を熱望するのに対し、所属ジムサイ
ドとしてはタイトルを長く保持する事で儲けようとするわけだから
両者の思惑が合わないケースが増えており後の内山高志もそういう
類でモチベーションを落としてしまっている。

 そういう意味でモチベーションの低下こそ王者にとって最大の敵
ではないかと思うし、これはジムサイドが防げる事なのだから1度
でも多く防衛すればいいという古い価値観は捨てるべきだろう。

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