広い球場への第一歩となった横浜スタジアム

 今から40年前の昨日と今日4月4日&5日は横浜スタジアムで
最初のプロ野球公式戦の横浜-ジャイアンツ戦が行なわれ、1勝
1敗という形で終わった。

 前年までホエールズは狭い川崎球場を本拠地として使用していた
ため箱庭ホームランが飛び交う壮絶な打ち合いが度々見られたのだ
が、この年から試用され始めた横浜スタジアムはセンター118m&
両翼94mという広さに5mもの高いフェンスという事でホームラン
が出づらい球場になったわけだ。

 ちなみに翌79年からは西武グループがライオンズを買収し所沢に
センター120m&両翼95mの西武ライオンズ球場を作ったわけで、
セ・リーグとパ・リーグに広い球場ができる事になる。

 それまでの日本球界の球場は都心部に作られていたので先述した
川崎球場や両翼90mすらなかった後楽園など狭い球場が主流だった
ので、横浜スタジアムを見た時は高い外野フェンスに逆三角形の照
明塔など凄く斬新なデザインに驚いたのを覚えている。

 そんなわけで80年代半ばには近藤貞雄監督が高木豊・加藤博一・
屋鋪要ら俊足選手を1番から3番で起用する‘スーパーカートリオ’
として売り出し、球場が広いので一発攻勢に頼るより足の速い選手
を揃えた機動力野球を旗印に掲げていた。

 とはいえ開場当時から3塁側ダッグアウト方面からライトスタン
ドの方向へ風が吹く事から、右打者の こすったような当たりがライ
トへのホームランになる事が度々あったのも事実。

 ただし10年後の88年に両翼100mの東京ドームが完成したのを
きっかけにドーム球場が増えただけでなく屋外球場でもコボスタ宮
城やマツダスタジアムのような広い球場が次々にできた結果、今で
は最も狭い球場となっているのは何とも皮肉なものだが狭い球場が
当たり前だった日本の球場を広い球場にする先鞭を付けた功績は大
きいと思うのだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Bill McCreary)
2018-04-05 23:41:54
野球の球場というのは、おのおの大きさが異なるわけで、これもいろいろ面白いですよね。統一球以前は、各チームが自分たちに一番有利なボールを選択することも可能だったくらいで、他のスポーツよりも球場の特性というのが、特にドーム球場が主流になる以前は大きかったですよね。ナゴヤ球場や川崎球場、広島市民球場などのぼろっちさなどは、昨今とは比較の対象にもなりません。

で、私は、こんなコメントをしていて、こんなことを書くのもなんですが、今も昔もそんなに野球が好きなわけではないので、松井が活躍していたころニューヨークに行ったにもかかわらず、当然ヤンキースタジアムも行かなかったのですが、やはり昔のヤンキースタジアムとシェアスタジアムには行っておけばよかったと後悔しています。
 
 
 
意外にアバウト (こーじ)
2018-04-07 21:15:36
>Bill McCreary様

 それだけアバウトなのはアメリカンスポーツの特徴かもしれませんね。

 ちなみに広島市民球場は行った事ありますが、かなりボロでしたよ。
 
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