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巨星墜つ!具志堅用高敗れる

 今から26年前の今日、3月8日に13回防衛中だった世界
Jフライ級王者・具志堅用高は故郷の沖縄で臨んだ14回目
の防衛戦で12RKOで敗れよもやのタイトルを失った日だ。
 具志堅が世界タイトルを奪取したのが76年10月だった、
その試合も含め13度の防衛戦は全て日曜日に行われてい
たので翌日の月曜日には友人達と具志堅の試合の話で持ち
きりになっていたのだ。
 80年6月には1位の強敵マルチン・バルガスを8RKOして
Jフライ級の防衛新記録となる12回目の防衛に成功したの
で‘20回は防衛するだろう’と思われていたのだ。
 ところが10月に行われた13回目の防衛戦はバルガスより
格下と思われていたペドロ・フローレス相手に意外な苦戦
をしたのだ。
 年に3~4回は防衛戦をこなしていた具志堅が満を持して
約半年のインターバルを空けて、故郷の沖縄での防衛戦の
相手にフローレスを選んだのだ。
 具志堅は初防衛戦でハイメ・リオス相手にダウンを喫し
目を切られるなど大苦戦をしたが5回目の防衛戦では13R
TKOで下し、2回目の防衛戦で完勝に思えながら2-1だった
リゴベルト・マルカノにも7回目の防衛戦では7RKOで圧勝。
再戦には抜群の強さを誇っていた。
 だから今回は絶対に完勝するだろうと誰もが予想してい
たのだ。
 実際に1Rから猛然とフローレスを攻め立て‘何回で倒す
のか?’と期待していたが5Rあたりからペースダウンして
8Rには連打を浴び遂にダウン。
 9R以降は毎回ロープを背負い12Rには乱打されて2度目の
ダウンを喫する。何とか立ち上がったが再び連打を浴びて
タオル投入され試合は終った。
 見終わった直後には祖父や父ともども呆然とし、翌日高
校でも友人達と‘信じられない’と話し合った。
 後から聞くと具志堅には在位中から相当なストレスが溜
まっていたようでJフライ級新記録の12回目の防衛を果たし
た時点でモチベーションを喪失していたのだ。
 やはりモチベーションは大事だと痛感したものだった。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
次は (屯田兵幸男)
2007-03-08 23:09:20
山形で防衛戦きまってたらしいよね。しかし番狂わせで王座就いた奴は意外に短命、フロレス、パスクワ、アリに勝ったスピンクスetc
 
 
 
一度 (屯田兵幸男)
2007-03-09 19:08:17
金平正紀会長について書いてもらえませんか。いい事悪い事ザクザクありそうで
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-03-09 23:54:55
>屯田兵幸男様
 そうなんですか、てっきり金回珍と韓国での防衛戦とばかり思ってましたが。セラノを倒した上原康恒もしかりでしたね、長期王朝の後釜は短命というボクサーでは。
 故・金平会長のネタは命日あたりにアップしましょう。
 
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