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76選抜優勝投手・黒田真二氏を偲ぶ  

 
 
 元スワローズで76年選抜優勝投手だった黒田真二氏が肺がんの
ため、62歳で亡くなったという記事が今日のスポーツ紙に載って
いた。
 
 黒田真二といえばノンプロチームともいわれていた広島・崇徳
のエースとして76年選抜高校野球で優勝したイメージが大きく、
サッシー酒井圭一や赤嶺賢勇に久保康生らと並ぶ超高校級の投手
の1人だった。
 
 個人的に76年選抜は1試合1試合を食い入るように見始めた最初
の大会だったので崇徳の活躍は最も印象深く、特にエースの黒田
の活躍は出色のできで試合展開まで覚えている。
 
 大会屈指の好投手といわれ初戦で四国王者の高松商のエース・
石川隆文との投げ合いが注目された初戦こそ、まさかの乱調で高
松商打線に14安打8失点だったものの崇徳打線も負けじと打ち返
し11-8で初戦を突破する。
 
 2回戦では初戦でノーヒットノーランを達成した鉾田一の戸田
秀明に手こずり8回に戸田からHRを打たれて先制されるが、9回2
アウトから一挙4点を挙げて逆転勝ちすると準々決勝では福井を
8回2アウトまでパーフェクトに抑える好投で2安打完封し北信越
王者に4-0で快勝。
 
 そして準決勝では九州王者の日田林工に3-1で勝つのだが、
3試合全てで2桁安打を放ち23点挙げていた日田林工打線を6安
打に抑えたのだから凄い投手だと思ったし このまま優勝するの
ではと考えていたら決勝でも関東王者で新チーム結成以来30戦
無敗で乗り込んでいた小山に5ー0で勝っての優勝だった。
 
 終わってみると黒田は2回戦以降の被安打が2安打・2安打・6
安打・3安打
の計2失点という見事なピッチングを見せたのだ。
 
 春夏連覇を狙った夏は初戦の東海大四戦は発熱で途中降板し
春同様10-8という乱戦を制したのだが、3回戦でサッシー酒井
の海星と対戦し病み上がりながら6回まで
ノーヒットに抑える
好投を見せるものの7回2アウト1・3塁から不運な内野安打で失
った1点を返せずに被安打
3・9三振を奪う力投空しく敗退とな
った。
 
 当然ながらドラフトではファイターズから1位指名されるも
のの地元のカープ入りを熱望して社会人のリッカーに進み、社
会人経由で82年にスワローズ入りしたのだが5年間で0勝7敗2S
という成績で引退後は打撃投手を務めていた。
 
 ちなみに蒲田で働いていた88年&89年に神宮や横浜でスワロ
ーズ戦を観戦に行くと、76年夏に投げ合った酒井と黒田が共に
打撃投手をしているのを見て驚いたし妙な因縁
を実感したもの
だった。
 
 余談ながら黒田は山間部の東城町(現・庄原市)出身で当時
は類人猿ヒバゴンが有名だったため‘ヒバゴン’とも言われていた
のだが、今年から長男が通う大学が庄原という事から4度ほど行
っており感無量でもある。

 
 恩師の久保和彦監督は12年前の08年4月に83歳で亡くなって
おり、私が知る限り崇徳では2人目の物故者という事になるのだ
が‘黒田、来るのが20年早いぞ’とあの世で言われているのかも
しれない。
 
 
 
 
 
 
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我が青春の黒田真二投手 (40年前の高校野球大好き少女)
2020-09-18 16:21:41
高校野球 命 の私が黒田真二投手に出会ったのは、44年前の春の選抜大会のテレビ中継でした。
当時、中学二年だった私は、黒田投手はじめ崇徳野球に夢中になりました。

役者揃いのメンバーのなかでも、
ちょっと憂いを秘めた甘いルックスの黒田投手に心奪われました。
ルックスだけでなく、針の穴をも通すと言われたコントロール抜群のピッチング、大事な場面では、そのコントロールの素晴らしさを見せつけるように、強気のインコースのシュートを見事に投げ込んでいましたね。
テレビの前で正座して、ハラハラドキドキしながら試合にくぎ付けになって、応援していました。
そして、春の選抜は見事に優勝!

夏の大会では、3回戦の不運な1点で甲子園を去りましたが、
私の中では、その時の試合と黒田真二投手は、ずっと色褪せず記憶の中に残っています。

高校卒業後、相思相愛だったカープに行けず、社会人野球からヤクルト入りした黒田投手をファンとして、影ながら見守ってました。


引退されて、20年あまりを経て、
今回の訃報に接し、悲しくて寂しくて仕方ありません。

ほんとに、早すぎますよね。
もっと、長生きしてほしかった。

私の青春の1ページを彩ってくれた、キラキラとした高校球児の黒田真二投手の姿が、昨日の事のようによみがえってきます。、
ほうとうに、ほんとうに、ありがとうございました。
そして、どうか、安らかにお休みください。。


黒田投手を偲んで検索していて、こちらのブログにたどり着きました。
同じように、彼の事を知っていて偲んでいる方々と思いを共有したく、コメントさせていただきました。

ありがとうございました。





 
 
 
共に偲びましょう (こーじ)
2020-09-18 21:24:37
>40年前の高校野球大好き少女様
 
 いらっしゃいませ、初めまして。

 記事に記したように私は中一の春だったのですが、やはりプロで活躍している選手より高校野球の選手の方が身近な存在でしたので黒田に憧れた人は私の周りにも多かったです。

 投手でいえば山田久志や堀内恒夫より赤嶺賢勇や酒井圭一という形になりますし実際10年前に春の九州大会を観戦に行ったところ柳川時代に8打席連続ヒットを放った末次秀樹氏が自由が丘の監督だった事から試合前にも拘わらず記念写真を撮ってもらえた時は興奮しました。
https://blog.goo.ne.jp/ue-kj/e/3121325f0fbb98e49eb741681ae9a96f

 この世代の方々は我々の世代より5歳おど上なだけですから、原辰徳監督のようにまだまだ元気だと思っていただけに亡くなられるというのは本当にショックですよ。

 崇徳の久保監督の訃報の記事にも教え子の方々からコメントを多く戴くなど76年の崇徳のインパクトの強さには今でも驚きます。
 
 
 
せつないですねー (Go! Yankees!)
2021-02-06 09:15:42
こんにちは。こちらは以前から、時々読ませていただいてました。

ちょうど高校野球を見始めた時に崇徳高校の優勝があったので、一番印象に残るチームです。
監督さんのインパクトもすごかったですし。。。

私は女子校だったのですが、なぜか野球好きが多かったので、春の新学期はセンバツ、秋の新学期は夏の大会の話で盛り上がりました。
崇徳高校では黒田投手より、イケメンの兼光さんが人気でした。

黒田投手がヤクルトに入団されたときのインタビューで、「広島に行くと信じていたのに、日ハムが強行で指名して来て、『大人はなんて嘘つきなんだ』と思った」というようなことを言われてたのを覚えてます。
当時は本人も周りも、「このまま広島でエースになって活躍するんだろう」と信じていたと思います。

その後バッティングピッチャーになって、最後はスナックを経営されていたと聞いて、なんか切なくなってしまいました。
あのまま広島に行ってたら、全然違う人生だっただろうなと。。。

もう45年前ですね。信じられません。
私は今でも野球ファンです。アメリカ在住でヤンキースファンです。
 
 
 
コメントありがとうございます (こーじ)
2021-02-07 17:44:42
>Go! Yankees!様
 
 ご存じかもしれませんが77年までドラフトは予備抽選で引いたくじの順番というのがありましたから、カープは黒田を指名したくても前の順番を引いたファイターズから指名されればダメでしたからね。

 もっともだからこそ山崎隆造を取れたわけで、山崎が高橋義彦や正田耕三とスイッチヒッタートリオを組んでカープが強かったというのは何とも複雑な話でしょう。

 今のシステムならカープとファイターズの抽選でという事もできるでしょうけど時代が悪かったですね。

 最後に・・NYでも私の記事を読んでいただけるとは
 ありがたいです。
 これからも宜しくお願いします。
 
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