思わぬ訃報・伊良部秀輝

元ヤンキースの伊良部さん死去=ロサンゼルス近郊の自宅、自殺か(時事通信) - goo ニュース

 今朝PCを開いてネットのニュースを見ると「伊良部死去・自殺か」という記事が
載っていて驚いたし、それから いろいろなサイトを閲覧して見ても詳細が分から
ないのだが亡くなった事だけは確実で まだ42歳の若さで命を絶つとは・・・と
愕然とした。

 個人的に伊良部の名前を最初に知ったのは86年夏の甲子園。
 尽誠学園の2年生エースとして出場し初戦で東海大四に5-6でサヨナラ負け
したのだが、後にチームメイトとなった大村巌に打たれた同点HR以外は討ち
取ったはずの打球が内野安打になったりポテンヒットになったりする不運な
ヒットばかり打たれてのサヨナラ負けだっただけに試合後
‘負けた気がしない、バックには もう少ししっかり守って欲しかった’と先輩など
関係なく批判していたのが印象的だった。

 87年に再び甲子園に戻ってきて超高校級といわれた鈴木健が4番を打って
いた浦和学院相手に自らHRを放ち、鈴木健をねじ伏せて4-1でリベンジを果た
したのは名勝負だった。

 その後マリーンズに入団し清原和博との直球勝負でファンを沸かせ、ファイタ
ーズの大沢監督からは‘伊良部クラゲ’と呼ばれたりしたのも この頃だ。

 97年にNYヤンキースに入団し98年と99年の2年連続2桁勝利を挙げポスト
シーズンでの登板はなかったものの日本人選手初のワールドシリーズ優勝
メンバーとなってチャンピオンリングをもらっている。

 とはいえNYヤンキースは活躍していれば居心地のいい所だが、調子が落ちる
と一転して批判の対象になり‘太ったヒキガエル’と故ジョージ・スタインブレー
ナーオーナーから酷評されたり‘イラBoo~’とブーイングされるなど悲惨な目に
遭い、しかもヤジなどに激高してツバを吐くなど日本人としたら眉をひそめるような
所業をしていた。

 もっとも野茂英雄との対談では先輩の野茂を立てて しっかりとした野球理論を
語っていたし‘メジャーでは結果が全てだから、結果さえ残せば何をしても許さ
れる’と励まされていた。

 03年に阪神タイガースに入団してリーグ優勝に貢献。
 マリーンズ時代の豪腕のイメージを覆して技巧派投手の顔を見せていたのが
印象的だったのだが、残念ながら故障が原因で引退していた。

 引退しても飲酒運転や飲み屋での乱闘騒ぎなど話題に事欠かなかったのだが
‘事業などで人に騙されていた’という話を聞くと、何ともやりきれない。

 ご冥福を お祈りし
ます。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
たしか (屯田兵)
2011-07-30 00:52:27
>97年にNYヤンキースに入団し
1つ勝った途端 ますごみは
すごい手のひら返しをしたのだけ
覚えている

人が亡くなるって記事見るのってホント嫌だね
ご冥福を お祈りします
 
 
 
全くです (こーじ)
2011-07-30 23:54:43
>屯田兵様
 やはり一時代を築いた人が自殺などとはホントに辛いですよね。
 
 なんでも離婚して1人になっていたようですね。
 気の毒な話ですよ。
 
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