常葉菊川の森下知幸元監督を偲ぶ


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-bb-tp5-240117-202401170000461

 78年第50回センバツ高校野球で浜松商が優勝した時の主将で、07
年第79回センバツ高校野球では常葉菊川を監督として率いて優勝し
た森下知幸氏が昨日 大動脈瘤破裂で急死したというニュースがネッ
トに載っていた。

 浜松商が優勝した78年は私が中3だったから強烈に覚えているし、
享年62歳と3歳上でしかないので本当に驚いている。

 今は動画サイトがあるので78年決勝・浜松商ー福井商戦を見ると
冒頭に氏の事をNHKの実況が‘非常に気性の激しいキャプテン’と紹介
しているので、当時から闘志溢れるプレーが持ち味だったわけで優
勝してスタンドに挨拶する写真を見ると号泣しているので感情の激
しい人だった事が分かる。

 その後84年夏に監督として浜松商を率いて甲子園に出場した時は
`母校の監督になっていたのか’と思ったし、初戦の智弁学園戦は3回
まで0-7とリードされた展開から5回に一挙6点を返すと6-8から9
回表に3点を奪って逆転勝ちしたのは強気一辺倒の森下監督らしい
チームだなと思ったもの。

 それから恩師・磯部監督の後を継いで新興の常葉菊川の監督に
なると07年センバツで田中健二朗&戸狩聡希の2人の左腕を擁して
初戦で仙台育英に2-1で競り勝つと2回戦で今治西に勝った後、
準々決勝では中田翔の大阪桐蔭に8回&9回に1点づつ取って逆転勝
ちし決勝では大垣日大に6-5で打ち勝って選手と監督での甲子園
優勝という快挙を果たした。

 特にバントをせずフルスイングで挑むスタイルは斬新で準決勝
の熊本工戦でも8回まで3-4とリードされながら、強打一辺倒の
攻撃で一挙に3点取って逆転勝ちした試合は浜松商監督時代と変
わらないなと思っていた。

 鍛治舎巧氏が‘1枚エースに拘り、ノーアウト1塁では打順に関係
なく無条件でバントというチームは甲子園で勝ち進めない’と語っ
ていたが森下監督は真逆の事をやっていたわけで07年夏も準決勝
まで進出したのも頷ける。

 惜しむなくは御殿場西に移ってから甲子園出場がなかったのが
残念だし、ストレスも溜まっていたのかもしれない。

 早い逝去に、ご冥福お祈りします。

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