ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
三原正がアメリカで戴冠した40年前
今から40年前の日本時間の今日81年11月8日にアメリカのロ
チェスターで行われたWBA:Jミドル級タイトルマッチで、1位
の三原正が2位のロッキー・フラットに2-0の判定勝ちでシュ
ガー・レイ・レナードが返上し空位になっていたタイトルを奪
取した。
この81年は具志堅用高・大熊正二・上原康恒という3人の世界
王者を抱えて新年を迎えており、75年以来の複数王者での年越
しで2月に大熊が朴賛希との3戦目を制して3度目の防衛に成功し
幸先のいい年になると思われた。
ところが3月に具志堅が故郷の沖縄で14度目の防衛に失敗す
ると4月には上原が前王者サムエル・セラノとの再戦で判定負
けし、5月には大熊が1位アントニオ・アベラルとの指名試合で
KO負けしあっという間に76年10月以来の世界王者0になった。
そんな中9月にWBCバンタム級王者ルぺ・ピントールに日本
王者ハリケーン照が健闘したものの15RにKO負けするなど世界
王者0が続いていた中、11月8日の大相撲九州場所初日を見てい
たら16:00のニュースに三原タイトル奪取の吉報が流れたのだ。
当時の三原は東陽太平洋王者でWBA1位まで上がっていたの
だが王者アユブ・カルレにコペンハーゲンで挑戦の流れだった
のをWBCウエルター級王者シュガー・レイ・レナードが割り込
んで来て、レナードがカルレと9月に行われるWBA王者トーマ
ス・ハーンズとの統一戦に勝った場合は返上し三原が決定戦に
出場という事になっていた。
現実的にアマのスーパースターで工藤政志に完勝したカルレ
相手に敵地で勝つのは至難の業だっただけに、この路線で行け
ば2位のロッキー・フラットとの決定戦になる方がタイトル奪
取の確率は高い。
ただフラットはレナードのプロモーターであるトップランク
社の傘下だから決定戦はアメリカで行われるため、日本でやる
のなら十分チャンスはあるのだが…的な評価だった。
だからこそ三原のタイトル奪取のニュースは嬉しかったわけ
で翌日の夜にプロ野球ニュースの中で、映像が流れており内容
的に完勝だったのが分かった。
もともと三原は6月にレナードがカルレに勝った試合とハーン
ズの防衛戦の前座でラモン・ディオニシオをKOしアメリカでも
高評価を得ておりアメリカで2試合続けて勝った形になり、海外
の強豪相手にグローブを交えるチャンスを得たかに思われたの
だった。
残念ながらそういった夢は、僅か87日後に覚めてしまうわけ
だが・・・
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