野球部を休部させられていた40年前の今ごろ

 今から40年前の今ごろ私は高1だったのだが自業自得とはいえ、
痛恨の出来事の最中だった。

 それは2学期の中間テストで9教科中6教科で赤点を取ったため
担任の先生から怒られ野球部を休部させられていたのだが、とり
あえず期末テストで盛り返したため3学期からの復帰ができるよう
になったのだ。

 期末で盛り返したとはいえ3学期からの復帰というのは冬休みの
課題をクリアしたらの話で、それだけ担任の先生からの信用がなか
った事になるのだろう。

 考えてみれば1学期は中学の復習という形で終えたのに対し2学
期からは本格的な高校の課題に入るのに対し、夏休みの間は朝の
8:30から17:30ぐらいまで猛練習していたおかげで家で勉強す
る余裕はなかった。

 そして2学期に入ると秋の九州大会予選や翌年夏の甲子園に出場
する田川と対戦できる市長杯に向けた練習に熱を上げて臨んでいた
ので、帰宅してからバットを振ったり筋トレをする暇はあっても勉
強する暇はないという状態が10月まで進み10月10日の市長杯決勝
終了後に入る試験休みでも部室に集まりキャッチボールをしたりし
て時間を過ごしていたのだ。

 当然ながら勉強する事など頭になく中間テストに突入したところ
試験範囲が広いという事もあり、得意としていた英語のリーダーで
も25点という悲惨な点になったのだから担任の先生が怒るのも無理
はない。

 ただし休部させられた間にようやく勉強するクセが付いたおかげ
で期末は盛り返せたので3学期の頭から復帰できたのだが数年前の
OB会では、なぜか私が途中退部して復部を申し入れて許可された
という話が出て驚いたものだ。

 特に投手だったAクンはまだしもキャプテンだったHクンは同じ
クラスで、年賀状には‘野球部に復帰できるように頑張れよ’と激励
まで入れてくれているのだから とんでもない誤解だった。

 結果的に10月下旬からのブランクが響く形になるのだが強制休部
されられた事で、それまでややもするとキツい練習が嫌だったのが
野球に対する渇望ができた事で臨む心が強くはなったと思う。

 そういった意味では良くもあり、悪くもあった強制休部だった。

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