ハングリー精神を敗因に挙げる者は・・・

 昭和の時代に日本人選手が国際試合で負ける度に‘日本人は豊
かになり過ぎてハングリー精神が足りないから負けた’といった
コメントをやたらと耳にする機会が多く、老若男女問わずハン
グリー精神の欠如を敗因に挙げる傾向が強かった。

 確かに日本も昔は貧しかったし貧しい環境から抜け出すため
必死に頑張る事が成功への条件とまことしやかに言われていた
し、勝てなくなったのは豊かになって石にかじりついてでも勝
とうとする気持ちがなくなったからだという考えが主流だった。

 ところが冷静に考えてみると本当に貧乏でハングリーな国は
決して強くないのが現状で、ハングリー精神だけで勝てるほど
世界は甘くない。

 どちらかといえば盛った話が多かった梶原一騎氏の作品の1つ
である、あしたのジョーで本当の意味のハングリーが語られて
いた。

 東洋王者の金龍飛は朝鮮戦争の戦災孤児時代に脱走して行き
倒れになっていた父親をひとかけらの食料を奪うために石で叩
き殺した話を試合前に聞いて勝てる気がしなくなったものの、
冷静に考えてみれば飢えていたとはいえ水ぐらいは飲めていた
のに対しライバルの力石徹は丈と戦うために水すら飲まずに減
量地獄に挑んだという事。

 元々ハングリーな環境で育った者よりも敢えてハングリーな
環境に挑む方が大変だという事を語っているわけで、豊かな国
の人間だからこそハングリーな状況に身を置く者は強いという
事になる。

 最近はあらゆる競技のレベルが上がっており科学トレーニング
や対戦相手のデータ解析などを行わなければ勝てるものも勝てな
いわけで、日本でもナショナルトレーニングセンターができるな
どサポート体制などが諸外国並みになったおかげで世界と互角に
戦えるレベルになってきたといえる。

 つまりハングリーな国ではこういったサポートはできないわけ
で80年代までの日本は、むしろこういったサポートのない中で頑
張っていたにも拘わらず‘ハングリーさがない’というのを敗因に
されていたわけだ。

 20世紀の終わり頃まではスポーツなどに金をかける必要はない
という発想でろくにサポートせず選手の頑張りのみで戦わせ、勝
てないと‘ハングリー精神が足りない’と批判していたのだからマス
コミも批判する相手を間違えていたといえるだろう。

 今や敗因をハングリー精神の欠如と語る者は、分析能力が全く
ないと自分で吹聴していると思えばいい。

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