本多猪四郎監督が亡くなって15年!

 今から15年前の今日、93年の2月28日はゴジラを監督した
本多猪四郎監督が亡くなった日である。
 ちょうど出先から帰ってきて夕刊を広げると、訃報の欄に
本多監督死亡の記事が載っていて驚いた。
‘猪年に生まれた四男という事で猪四郎’と名前の由来が、
ゴジラのファンコレに載っていたのだ。だから‘80歳を越えて
いたら仕方ないか’とは思ったものだ。

 思えば私が生まれて初めて見た怪獣映画は、キングコング対
ゴジラ。
 以後も東宝チャンピオン祭りでモスラ対ゴジラ、怪獣大戦争、
三大怪獣地球最大の決戦、決戦!南海の大怪獣などを劇場で
見たが、いずれも本多監督作品だった。

 また当時待望だった、新しいウルトラマンの‘帰ってきたウル
トラマン’の第1話や最終回も本多監督の作品だったとは思わな
かった。

 また第1期ゴジラシリーズの最後を飾るメカゴジラシリーズで
ゴジラ対メカゴジラの続編・メカゴジラの逆襲を見た時に前作とは
全くムードが違うのに驚かされたが、大人になって見た時に面白
かったのはメカゴジラの逆襲の方だった。
 私の特撮魂を復活させた83ゴジラ復活オールナイトに行った時に、
3週あるうちの2週目の上映が全て本多監督作品だったのも何かの
縁だろう。
 本多監督のエピソードについては、
コチラに記されている。

 特技監督の円谷英二ばかりが、注目されるゴジラシリーズをはじめと
した特撮映画だったが本多猪四郎監督がいなければ名作といわれる
事はなかっただろう。
 というのも、昨今のハリウッド映画を見ても特撮シーンは凄いものの
内容がイマイチというケースが多く、これなど本編が おざなりになって
いると思われる。

 やはり

‘本編あっての特撮である’

という事を知らしめた監督である。

 音楽監督の伊福部昭が、昭和のゴジラシリーズでは本多監督作品
しか担当してないのも頷ける。
 この2人が亡くなったのが、いずれも2月というのも何かの因縁かも
しれない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
その同じ日に (ねくすと)
2008-02-29 03:40:54
平成ウルトラの中心人物だった、原田昌樹監督が加わることになるとは……52才、余りに若すぎますね。
 
 
 
まさか!ですね (こーじ)
2008-02-29 23:30:10
>ねくすと様
 知らせていただき、ありがとうございます。
 さっそく今日のネタに、させてもらいました。
 ホント52歳とは若すぎますね。
 
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