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広岡達郎、最後のユニフォーム姿から30年

 今から30年前の今日85年11月2日にライオンズはタイガースとの
日本シリーズで敗れ監督を務めていた広岡達郎が、パ・リーグで
優勝を飾っていたにも拘らず監督を辞任した。

 当時GM兼任を望んでいたもののフロントから拒否されたという
事での辞任といわれていたのだが、むしろシーズン中に痛風で入院
したという事で責任を取ったのではないかと思われる。

 というのも広岡は82年にライオンズの監督に就任して最初に主張
して導入したのが食事革命。

 当時の日本プロ野球では練習や試合が終わると焼肉屋に繰り出し
ビールを飲みながら肉をたらふくというのが定番だったのを広岡は
‘肉1に対し野菜を5ぐらいにするべき'と主張しただけでなく、ア
ルコールは酸性のビールやウィスキーよりもアルカリ性のワインを
薦めるなどアルカリ性食品を多めに取る事によってケガをしづらい
体質にする事を薦めた。

 肉を1食べるなら野菜は5の割り合いで食べるというのは現在では
常識になっているのだが、当時は斬新過ぎて拒否反応を示す者も多
かったものの2年連続で日本一になるなど結果を残した事からいつ
しか批判も消えていた。

 ところが85年にアルカリ性への体質改善を薦めていた広岡自身が
酸性体質の極みといわれる痛風で入院したのだから当然ながら示しは
付かないし、痛風になりやすい体質があるとはいえ批判は免れない
だろう。

 選手達を厳しく管理する広岡のスタイルは年配者を中心に評価を
受けていたし‘指揮官は特権階級'という意識があるからか結果を
残せば批判されなかったのだろうが、若い世代では人を厳しく管理
するならば自らが襟を正さないといけないという意識があるので
受け入れられないのは当然である。

 それから10年後にマリーンズのGMに就任したものの今度は監督
として招聘したボビー・バレンタインと衝突し、バレンタインを追い
出して江尻体勢にしたのだが前年の2位からケガ人を続出させ5位に
順位を落した事からGMを辞任するハメになる。

 この年にはMLB入りした野茂英雄に対しても辛辣なコメントを
連発したのだが、意に反して野茂は大活躍したのだから完全に広岡
株は暴落し以後は広岡監督待望論は一切出なくなったのだった。

 広岡という男は自分のポリシーをしっかり持っているからこそ現役
時代から80年代初めまでは成功したのは分かるし、以前某スポーツ
紙記者が駆け出しの頃に広岡宅で記者達がカラオケで歌う中でサザン
オールスターズを歌うと‘あんなのは歌ではない’とあからさまに不快
感を表して部屋を出たというエピソードなど典型的だ。

 ただし時代と共に価値観や流れが変わるというのは自明の理なの
だが、そういう事を理解せずに自らの価値観のみの言動が氏の現場
復帰を遠のかせたとではないだろうか。

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